sakura-zensen

春の蕾

03話
ある日親戚の訃報が舞い込んだ。それが祖母の姪だと聞いて、信介は実感が沸かなかった。時々集まる、顔を合わせた事のある親戚ではなかったからだ。
そもそも存在していた事すら知らなかった。
けれど、その亡くなったと言うのが事故だったこと、信介と同い年の子が遺されたことを思うと、少なからずショックだった。

関東に住んでいたらしいその子は、京都にいる親戚に預けられることになったらしい。急な環境の変化に、信介の家の人たちは憐れんだ。彼らもまた、残された子供が信介と同い年であったことから気にかける思いが一入だったのだろう。

結果、信介と彼は引き合わされることになった。
関係性で言えば"はとこ"にあたる。同い年なので、遊びに誘ってみたらいいのかも。でも親を亡くしたばかりの子を遊びに誘っていいのだろうか。そう悩んでいたことを祖母に相談してみたら「ありのままでええよ」と言われてしまった。
信介がいくら気をもんだところで、悲しみや孤独を癒せるわけでもなし、そもそも、そんな大役を期待されてなどいない。失礼なことは勿論しないし、結局会ってみない事にはどんなことをしたらいいのかわからないかと、信介は考えるのを辞めた。

当日、信介は祖母にお遣いを頼まれた。本当は午前中のうちに母が買ってくる予定だったのだが、急に仕事が入ってしまったので代わりに。
信介が行って戻ってくるには少し時間がかかってしまうが、そんなことで向こうが気分を害することはないと祖母は信介を送り出す。でも、ちゃんと出迎え出来ないのは気がひけて、信介はやや急いで戻った。

しかし頑張ったところで出迎えには間に合わなかった。玄関には草履が二つ並んでいて、普段そんな履物が玄関の土間に並ぶことはなかったので、もう親戚が来ていることがわかった。
信介が上がり框に座って脱いだ靴を揃えていると、帰宅の声と音に気がついた家人が居間からやってくる音がした。
祖母が信介の帰りに気づいて出てきたのかと思ったが、振り返った時に一番に目に入ったのは和服姿の女性、それから続いて同じく和服姿の少女だ。
信介は祖母に呼び掛けようとした声を引っ込めた。

着物を見たのが初めてでもないけれど、二人はまるで別世界の人間のような雰囲気があった。上品な笑みと、近づくと鼻孔をくすぐる、かぎ慣れぬにおい。
なんとか挨拶をしたが、二人の後ろから祖母が出てくると、信介は足早に駆け寄っていた。逃げたわけではないのだが、なんだか気恥ずかしかったのだと思う。

手を洗ってくるという理由でその場を離れることに安堵し、洗面所へ向かいながら思った。
"はとこのくん"が来るというのは聞き間違いだったのだろうか、と。
居間に行くと、男の子の姿はなくやはり女の子がいて、その子はサクラちゃんと呼ばれていた。やはり間違いだったのだ。
彼女は目の前で繰り広げられる会話に時に入ったり、入らなかったりしながら、信介の買って来た水羊羹を匙で掬って食べる。
こっそりその様を覗き見ていると、ふと「信ちゃん」と呼びかけられた。

「これきれいだね。信ちゃんが選んだ?」

にこりと笑った顔は屈託ない。
つられて自分も水羊羹に手を出してから理解したのは、多分彼女が気を使って声をかけてくれたことだった。

大人たちは信介とサクラを一緒くたに考えていたのか、外で遊んできたらと提案した。でもサクラは普通の女の子よりも綺麗な格好をしていて、歩くのも遅くて、大人しかった。
だから信介は彼女のことは一緒に遊ぶというよりも、大事にしないといけないと思って、手を引いてあげていた。

「今からやること、誰にも内緒にしといてな」

大人しくて上品───その印象は、神社の長い階段を前にして覆る。
まさか階段を、三段も飛ばしながら駆け上がっていくとは思わなかった。
耳打ちされた声と微笑みに動けなくなっている間の出来事で、本当の一瞬にして上にたどり着いてしまう。
か弱く見えたのは、着物で動きを封じられていたせいだったらしい。
上から元気に声をかけられて、信介も自力で駆け上がったがきっと、遅いのだろうなということはわかっていた。



お供えをした後境内の中を散歩すると、サクラは時におとなしく、時に活発な姿を見せた。それでも信介の隣で微笑んでいることはかわらず、なんとなく手を繋いだ。
変に思われるだろうかと思ったが、サクラは何も言わない。きっと、着物の所為だとでも思っているのだろう。
本当はもう、信介は彼女と同じペースで歩くことに慣れていた。

「信ちゃんこの池なんかいたりする?」
「たしか鯉がおる」
「あ、カエルもいたー」
「どこ?」

散歩中は、とりとめのない、誰とでもするような会話が続いた。
祖母と何度も見たことのある池だが、全く退屈にならないのは、サクラが屈託なく笑っているからだろう。
しかしその無垢なよろこびようは何故なのか、信介は不思議に思う。京都にだって神社はあり、池はあり、鯉やカエルがいるだろう。
もしかしたら、サクラにとっては信介の存在が退屈を、家族を喪った哀切を忘れさせるのだとしたら───。
繋いでいた手の中に、じわりと汗がにじんだ気がした。

「アマガエルじゃない?ちっこいな」

丁度、サクラは信介の手を離した。どうやらカエルを素手で捕まえたみたいで、手に乗せて信介に見せにくる。
しばらく状況の掴めないでいるカエルはおとなしくて、サクラの小さな爪のついた指で優しく突かれていた。

「よう触れるな」
「あ、信ちゃんダメな人?こわい?」
「平気や」

気を使って顔の高さにあった手を下げられたが、信介は少し前のめりになってカエルを眺めた。
信介の脳裏にあったのは、クラスメイトの女子が教室に舞い込んできた蝶々にすら叫んで逃げ惑う姿だ。それがこの蛙であればもっと阿鼻叫喚だったに違いない。
別に、虫や爬虫類を怖がる、怖がらないに優劣はない。人が何を得手不得手にするかはその人の自由である。ただ単にサクラが蛙を愛でている姿が、かわいいと思った。

春風みたいにあたたかくて、凪いだ水面のように静かで、蛙みたいに身軽。
今日だけで見たたくさんの姿、その一つ一つが、ずっと目に焼き付いていた。
何度も来た神社の階段、池も、夕日も、サクラの姿があるとより一層の満足感を感じる。
───そんな日常をきらめかせてくれる特別を、知ってしまった。

信介はそれが永遠とは最もかけ離れた言葉だと思った。
毎日丁寧に"ちゃんと"するのが大事だと、祖母から教わったけれど。サクラは信介の毎日にはいない。

なら、サクラは特別じゃなくて良い、驚きも、新鮮さも要らない。
当然のような不変が欲しかった。





「なあ、なんかめっちゃいい匂いしよんねんけど」
「変態か?……あ、ほんまや」

治は薄くて白い、不思議な触り心地の紙に顔を寄せて目を見開いた。侑はそれにつられるようにして同じく持っていた紙の匂いをかぐ。

それは今日出会った女の子が、二人に金平糖をくれる時に使った包み紙だった。
あとで母親に見せたら、懐紙というものだと聞いた。着物姿の女の子にもらったと言ったら、茶道でも習ってるんじゃないのかと。
洒落た持ち物や習い事に目を白黒させた双子であったが、そもそも少女は高そうで上品な和服に身を包み、町の文房具屋や百均では到底売っていないような便箋をもっていた子だ。
───なかなか、身近にはいないであろう、きっとまた出会うことが難しい、二人には遠い子だった。


子供会の遠足で春休みの子供を1日預かってくれるとわかった母は、二人の意見を聞くことなく参加を決めた。そして侑と治は遊びに行くなら場所を選ばないので、なんだかんだとひとしきり遊んだ。
帰り道、バスが一時止まった場所で下ろされた。そこは土産屋が軒を連ねる街並みで、多くの子供たちは家族や友人、または自分への土産を探しに散っていく。

二人は誰かに気の利いたものを買って帰るという概念はなく、そもそも大して小遣いを持ってこなかったので、買えもしない物が並ぶ店を見て回るのが嫌になる。
集合時間と場所はわかっていたため、大人の目を盗んでひっそりと静かな道へ入った。

一本違う道路に出ればがらりと雰囲気は変わり、地元の人が入りそうな定食屋だとか、酒屋、古びた洋装店に鍵の修理屋などが並んでいた。
あとは何の店だかわからない面構えのものが多く、さらに興味は失せていく。
しかし、土産屋に戻るのも癪で、二人はこの後のことを相談しようと顔を見合わせた。

その時に風が吹いてくるのと同時に、細い道の先に人影が現れた。

「それ、とってー!!! 桜のやつ、便箋ー!!!」

どこか埃っぽい春の風の匂いと、頬を撫ぜた桜の花びらよりも、なんだか必死な声が二人を駆り立てる。
反射的に目に飛び込んできた、白い大きな塊を掴んだ。『桜のやつ』というにはほど遠いものだったが、最終的にそれで合っていたので奇跡だった。
しかし、せっかく捕まえたものを、二人して両端から力を込めてしまったことで、それは二つに破けてしまった。

自分と瓜二つの顔がさっと青ざめて責任転嫁してきた。
ちらりと見やった、叫んでいた子は着物姿の少女だったので、おぼつかない足取りでこっちに向かってくる。
もはや二人が近づいた方が早いかと歩み寄りながら、どう言い訳しようかと考えていた。しかし彼女は気分を害した風でもなく、むしろ謝ってきた。
素直な謝罪にさらなる罪悪感が募った。

いつもならこのくらい、自分たちは何も悪くないと結託して主張するのだが、どうしてだか本領を発揮できないでいる。
少女の優しくもどこか大人びた雰囲気が、二人をそうさせていた。

それにしても破ってしまったのはどうにも格好がつかなくて、治は自分が一人であったならと考えた。急に相方が邪魔に思えたのだ。
それは侑もそうで、反論してくる。
互いに一人でこの少女に出会っていたらという思いが胸に浮かぶのは、生まれてこの方同じ顔した男が横にいる故に根付いた闘争心からだった。

「二人とも悪くないから喧嘩しないでな」

困ったように、そして微笑まし気に見られて、二人とも目をそらす。
そして治は便箋を、侑は少女の肩のあたりを見た。

桜色の便箋に散りばめられた花びらと、柔らかそうな髪の毛に紛れ込んだ花びらに気づいたのはおそらく同時だったのだが、治が先に口を開いた。
侑は治と同様に、日に空かした破けた便箋を見上げる。上品な装いの少女が持っているのは似合うが、自分たちには分不相応な気がして侑は憎まれ口を叩いた。

その会話の流れから、京都には遠足で来ていると知った少女は、二人が遊んで来た場所に興味があるみたいだった。
アスレチックの公園だったので、縁のなさそうな子だと思っていたら知ってる場所らしい。
「行ったことあるん?」
「便箋も捕まえられんと、アスレチックできるんか」
「あるよ! いつもこんな格好してるわけないじゃん」
口を尖らせて拗ねる様は、確かに快活な子に見えた。
「へえ、見てみたいわ〜、鈍臭ないところ」
「ちゃんと上まで行かれたん?」
「なんかバカにしてません?? 初対面なのに??」

思わず二人して揶揄ってしまったのは、普段男兄弟で乱暴なやり取りをしているせいだと思いたい。まるで好きな子に意地悪を言う典型的なガキであるはずがない。ないったらない。
けして、一緒に遊びにいけたら良いなと思ってなどない。

「───まあええわ。そろそろ大人に心配されない? 戻ったら?」
「そ、そうやけど」
「なあ……」

少女へのあたりがきつかったことを自覚し、二人はド突きあって口ごもる。この子に謝れや、と。自分のことは棚に上げて。
しかしそんな二人を他所に、少女は胸元と巾着から色々と取り出しはじめた。「───ちょお、まっといてや」と言いながら。
その場にしゃがんだ膝の上に、白く綺麗な紙を敷いて、色とりどりの金平糖をそこに落として丁寧に包む。
歌うような仕草、うつむく顔から二人は目が離せず、何も口にできない。
そうこうしている間に、二つの包みが作られる。

「ふたりにおわびと、京都のお土産」

二人は渡された包みを崩さないように持とうとしたが、言葉が出ない情けなさに、変な力を込めて握った。

「こ、これもちょおだい」

やっとのことで口を開いたのは治だった。
少女に一度返した便箋を指さす。

「え? こんなんでいいの? あっ……と二人で分ける?」

破けた便箋を二枚差し出してくれたので、治は一枚だけとった。残った方は侑に差し出されたけれど、侑はこの時妙に勘が冴えていて、治の気持ちを少し汲んでやることにした。───否、そこにあったのは対抗心だった。

「俺は、こっちもらうわ」

侑は、少女の耳元に指をさした。そこにあった滑らかな髪の毛をひとふさ、摘まんで毛先までなぞると、桜の花びらが指先に残った。
少女は侑の手に気づいて目で追い、現れた桜の花びらに破顔する。まるで手品を見たかのように。
「……なあ、あんた」
侑がそのまま、口を開いたその時、

「宮兄ーーー弟ーーー!!!」
「げぇ!」
「あかん、おらんのバレた!」

何を言おうしていたのか自覚もなかったが、二人は急に叱られる気配を感じてビクッと飛び上がる。少女のことも放っぽり出して、一目散に駆け出した。

ろくに別れも言えなかった。ちょっと意地悪も言った。それで、名前も聞けなかった。
そのことを後で振り返って、悔しいと思った。

関西弁の人の一人称視点てよくわからなかったので、三人称です。
前半後半で北さんと宮ンズに視点を分けてます。
不思議でかわゆい女の子()に出会った男の子視点を書くのがハチャメチャに好きです。
Mar 2025