sakura-zensen
春の蕾
09話
頬や顎、こめかみや額が何かに触れて、信介の意識は浮上していく。
かぶった布団や頭を押し付けている枕ではない。指の腹と、かすかな爪に撫でられていた。
声も意図もない戯れは、ふいに肌を摘んでは放し、揺れた表面を指の腹で叩く動きが追加された。
振動につられて瞼を開くと、ぼんやり霞む視界は白く光り、やわらかくの姿を浮かび上がらせる。
「おはよ、信介」
言いながら、信介の髪の毛をとかして耳にかけるように流す。
短い髪は実際に耳にかかることもなく、生え際がそちらに流れる感覚だけがした。
信介は微睡みながら挨拶を返した。
昨夜、隣で寝ると言ったに、起こしてほしいと頼んだのは信介であり、目論見どおりの朝を迎えた。とても満たされた気分だった。
今までは祖母と同様の呼び方だったのから、単なる名前に呼び方が変わったのも新鮮で、胸がくすぐったい。
これまでだって時折普通に呼ばれることはあったけど、それとは違う。の内側の、それも深いところに、信介を入れてくれたような気がした。
今年の春、信介とは同じ高校に進学する。
信介が稲荷崎に誘われた時、はまだ志望校を決めていなかった。だが、信介が稲荷崎に進学すると伝えたら同じ学校にすると決めたらしい。
そこに妙なべたつきがあるわけではなかったが、決め手はやはり信介の存在なのだろうと自負している。
本来なら自分を理由に進学先を決めるなんて馬鹿げている、と言いたいところだけど、ことに関しては違った。
彼は自分の進路において、選択をおろそかにしたり、妥協をしたりはしない。必要な条件を加味した上で、それと同等の場所に信介を置いたのだ。
───「あの子はなあ、一人ぽっちなんや」
の祖父であり、信介の大叔父はかつて、憂うように呟いた。
親戚からあんなにも愛されて、信介だって大事にしているのに、は一人でいるつもりなのだ。
大事にされているのは子供だからだと思っていて、大人なったら一人になると決めている。そして恩をいつか返そう───なんてことを考えているに違いない。
大叔父もだが、きっと大人たちはの孤独をよく理解していた。だからこそが北に預けられるのは簡単に許された。親族はだれも、彼を一人にするつもりはなかったからだ。
でも信介は、そんなの本心を少しだけ知った。
望んで一人になろうなどとは考えていない。本当は少し、寂しいと思っている。
だからこんなにも、触れる手つきが優しいのだ。
「───うん」
「うん?」
信介は自分の頬を撫でる手を包み込む。
は一瞬、きょとんとしたけど、目を細めて笑った。
庭先で、光を食む植物みたいにじっとしているをよそに、信介は祖母と一緒に朝食の準備にとりかかる。
先ほどは門の前や庭の掃き掃除をしていたので、この時間は自分のために使わせていた。
目を瞑り風にそよがれ、暖かくも寒くもない空間を作り、何をするでもなく、何を考えてるかもわからない姿がそこにある。
それでも世界から切り離された存在ではなくて、北の家の庭に馴染む。
朝食だと声をかければきっと、人間に戻って嬉しそうにこっちへやってくるのだろう。
「そういえばテレビ、今日やねえ」
「ん?」
朝食の席で、汁物に口をつけていたは祖母の言葉に眉を上げた。
まるでなんの話だかわからない顔をしているが、テレビといったら昨年カメラに追われていたことだろうに、もう忘れ去っているらしい。
自分はたいして使われないという、何の根拠もない自信は果たしてどこからくるのか、だれも知らない。
「夜八時や、録画予約しとるよ」
「楽しみやなあ〜〜くんきっとかっこよく映っとるでなあ〜」
「そうやな」
「いや~~~、どうだろうネ?」
ようやくなんの話かわかったようだが、映らないという思いと、映ったとして大したものじゃないという思いの両方があるようで、あまり期待して欲しくはなさそうだった。
「も観るやろ?」
「うん、まあ……部員は出るだろうし」
「ほんならランニングは早めに終わらせてこんとね」
祖母に言われて二人は頷いた。
夕方、早めにランニングから帰り、順番に風呂を済ませて食事の準備をした。
食べ終わる頃には、予告のCMが流れ、が一瞬だけ映る。
「あ」
「今のくんやったねえ」
「本当に映ってる〜。ってかよりによって俺予告に使われるんかい」
本人は使われない自信が強すぎて、余裕の笑みを浮かべている。
予告にしか使われないとさえ思っているのだろうが、そんなわけがなかった。
前年全国初出場を果たし準優勝、翌年は優勝を果たしている。
密着度は高く、放送時間も長かった。なにせニュースの一枠ではなく、全国の部活に取り組む学生を取材する番組だ。
いざ始まった内容を観て、は何故あんなにも自信満々でいられたのか、信介は不思議に思った。
まず学校に来たディレクターが、最初に生徒に声をかけるシーンから始まる。相手は制服姿のである。この学校で頑張ってる人や部活といえば何か、と聞かれて「剣道部ですかねえ」と答えた。
他にも何人か生徒と教員にインタビューした結果、やはり剣道部が注目株だったということで、ディレクターは顧問の先生にあたる。
するとそこにもまた、顧問と練習内容を相談していたが出てきた。「あ、さっきの」とディレクターが声をかけるとは会釈をする。
顧問は頑張ってる部活としてが剣道部を挙げたことに感涙していた。
「お、めちゃくちゃ出るな俺?」
やっと気づいたのか。
テレビを見ながら笑っていたに、たじろぎが生まれる。
テレビの中でのは、まるで剣道部の一員のような内容を顧問と話し合っていた。ディレクターたちも、だから自分の部活を答えたのだろうと。
しかしいざ練習を見る段階になると、は「じゃあ俺、今日は部活なんで」とその場を去った。───そこで、顧問が苦い顔をしながら「彼、茶道部なんですわ」と説明をした。テロップは「!?」で埋め尽くされた。
「わははは」
はこれで自分の出番は終わり、つまり掴み役を果たしたと安堵して笑っている。
───いやそんなわけないやろ。
信介がそう思った通り、は日を変えて剣道部の練習に参加するところからカメラに捉えられた。
ディレクターたちはもう、の存在を構わずにはいられないのである。
は部員たちだけでなく、顧問にまで師範と呼び慕われ、練習にも参加しつつ手本を見せたりアドバイスをしたり、やはり顧問と練習内容の相談をしたりと、その姿は人々に伝わるように作られた。
挙句の果てにはもう、茶道部の練習にもカメラがついてきており、完全に剣道部兼茶道部の"主役"扱いをされているのは明白だった。
「なんで……なんで……!?」
とうとうはテレビ内での自分の立ち位置を理解して、顔を覆って倒れた。
夕食の片付けもできないでいる。
「かっこええなあ、くん」
「うん」
祖母と信介も箸を止めて、テレビを見つめた。
は茶道部にまでカメラが付いてくることに少し照れ臭そうにしていた。茶道部の顧問らしき若い女性の姿もあったが、他に部員はない。
和服に着替えて現れたは顧問と共に、茶室へとディレクターとカメラマンを誘った。
───「春野さんは剣道部に入部しようとは思わなかったんですね」
───「そうですね、思いませんでした」
───「お強いのに。なぜなんですか?」
一通りの作法を見せた後、ディレクターはに深く切り込む。しかしは曖昧に笑った。
その問いは全ての剣道部員がまさに聞きたかったことであるし、身内の誰もが明確な答えを聞いたことはないだろう。
───『春野さんはこれまで、剣道、柔道、合気道、時には空手や拳法など様々な武術を嗜んで来たという。中でも柔道は子供の頃に出場した大会で優勝を果たしていて、剣道は試験こそ受けてはいないが連盟から熱烈に声がかかるほどだそうだ。そんな彼が今なぜ茶道部に。我々はそれが不思議でならなかった。』
目を伏せて答えを考えているようなの沈黙を、ナレーションの声が補う。
───「強いことって物事をやるのに絶対に必要ですか?負けても死ぬわけじゃないでしょ」
やがて返って来た極端な回答を聞いて、ディラクターはえっと言葉に詰まる。
誰もが彼の強さに特別なものを感じるが、本人は剣道が唯一とは思っていない。
───「体を鍛えるのが好きなんです。子供達に教えるのも、強くなっていくのも、見ていて楽しいですね。だからぼくがしているのはその手伝いです」
───「で、では茶道部に入ったのは?」
───「本当はバレー部に入りたかったんだけど、なくて」
───「!?」
そこでまた周囲を困惑させるテレビの中の。
一方で畳に這いつくばっていた現実のは、映像から逃げるようにして台所に食器を片付けに行ってしまった。
───「親戚がバレー始めた時、一緒にやろーねって言ったんですけど、できなくて」
───「え、あ、はあ」
───「だから高校はバレー部があるところに行きたいですね」
───「????あ、じゃ、じゃあ、えっと、将来はどんな仕事に就きたいとかあるんですか?」
ディレクターは困惑から抜け出すためか、少し話を飛躍させた。
そこでは、ずっと前から言っていた通り「医者になりたいです」と口にしていた。その夢は至極真っ当だったので、ディレクターは安堵して話を終わりにする。
その後も色々との映る場面は多かった。剣道部の支柱であると認識されていたのだから無理もないだろう。
しかし途中で服部平次の登場により画面が賑わったり、大会が始まれば部員が主体となるため、後半はの登場も減るようになっていた。
入学式の当日、早起きするのだろうと思っていたはどうやらまだ起きてこないようだった。
たまにはゆっくり寝ていればいいのだと、信介も祖母も朝食を準備していたが、いつまでも起きてこない。体調でも悪いのかと部屋を見に行けば、特におかしなこともなく───いや、少しだけおかしな寝相になって布団からはみ出して寝ていた。
「、具合わるいんか?」
「んーん」
掠れて呻くような声が返事をした。
「休むん?」
「、きる……」
ぼさぼさの頭でなんとか体を起こしたを、信介はまじまじと見る。
目がほとんど開いてないのだ。
「……平気なんか?」
肌に触れてみたが、体温はいたって普通のようだ。本人は一応起きてはいて、自分の容体もわかっているのか、開いてない目のままふにゃんと笑った。
「たまにすんごい眠い日あって、……きょうそれ」
いつまでも瞼を揉んでいるので、心配になって両手を取り上げた。
「階段、おりられるんか?」
「ん」
よたよた歩くが心配で、信介は前に立ち後ろ向きにおりた。朝食の席で待っていた両親と祖母は、いつもは見せない寝ぼけた姿で手を引かれて現れる彼の姿を見て、思わず笑った。
「あらあら、かわいい」
「どないしたん、昨日夜更かししてもうたか?」
「してなぃ……かお、あらわな」
「もう先食うたら、片付かんと困るし、あとで頭とまとめて直しや」
「うーい、ぉめぇん」
隙だらけの様子を、家族は微笑ましく見ていた。
今のは甘えた子供みたいで、だらしないただの男の子だった。
両親は朝食を手早く取ったあと、スーツに着替えて入学式の準備をしている。信介はとっくに着替えていたが、の手伝いに奔走した。
「くんどないしはったんやろ、珍し……というか初めて見たわ」
「あるやろ、そういう日も。なんやうちに馴染んできたんとちゃうか」
「体調悪いんと違うらしい。たまにそういう日あるて、前言うてた」
「そうなん、なら今日はちょっと気にかけといたって、信介」
「うん」
車で学校へ行く最中も、は目を開けてはいるが、眠たげな顔でぼんやり外を眺めていた。
手を引いて車から降りて、新入生用の花とバッチをもらい、クラスを確かめる。残念ながら別クラスなので、の教室に先に送り届けることにした。
「信介、もう大丈夫」
「転んだらどないすんねん」
「そこまでアホじゃないです……」
教室の外の廊下で袖を引っ張ったの顔を覗き込む。
朝食の時よりはいくらかハキハキと喋っているので、覚醒はしているのだろう。
「ほとんど目ぇ瞑っとったやん」
「信ちゃんに掴まってるからいっかーと思って」
ふわあ、とあくびをしたあと、涙を拭いている。
甘えた呼び方をされても、心配した信介は報われない。
「危ないんやから、ちゃんと起きなあかんやろ、特に外では」
「はぁい」
信介が真面目に言えば、眉を八の字にしつつ、少し拗ねた声で返事をして教室に入って行った。とぼとぼと。
かぶった布団や頭を押し付けている枕ではない。指の腹と、かすかな爪に撫でられていた。
声も意図もない戯れは、ふいに肌を摘んでは放し、揺れた表面を指の腹で叩く動きが追加された。
振動につられて瞼を開くと、ぼんやり霞む視界は白く光り、やわらかくの姿を浮かび上がらせる。
「おはよ、信介」
言いながら、信介の髪の毛をとかして耳にかけるように流す。
短い髪は実際に耳にかかることもなく、生え際がそちらに流れる感覚だけがした。
信介は微睡みながら挨拶を返した。
昨夜、隣で寝ると言ったに、起こしてほしいと頼んだのは信介であり、目論見どおりの朝を迎えた。とても満たされた気分だった。
今までは祖母と同様の呼び方だったのから、単なる名前に呼び方が変わったのも新鮮で、胸がくすぐったい。
これまでだって時折普通に呼ばれることはあったけど、それとは違う。の内側の、それも深いところに、信介を入れてくれたような気がした。
今年の春、信介とは同じ高校に進学する。
信介が稲荷崎に誘われた時、はまだ志望校を決めていなかった。だが、信介が稲荷崎に進学すると伝えたら同じ学校にすると決めたらしい。
そこに妙なべたつきがあるわけではなかったが、決め手はやはり信介の存在なのだろうと自負している。
本来なら自分を理由に進学先を決めるなんて馬鹿げている、と言いたいところだけど、ことに関しては違った。
彼は自分の進路において、選択をおろそかにしたり、妥協をしたりはしない。必要な条件を加味した上で、それと同等の場所に信介を置いたのだ。
───「あの子はなあ、一人ぽっちなんや」
の祖父であり、信介の大叔父はかつて、憂うように呟いた。
親戚からあんなにも愛されて、信介だって大事にしているのに、は一人でいるつもりなのだ。
大事にされているのは子供だからだと思っていて、大人なったら一人になると決めている。そして恩をいつか返そう───なんてことを考えているに違いない。
大叔父もだが、きっと大人たちはの孤独をよく理解していた。だからこそが北に預けられるのは簡単に許された。親族はだれも、彼を一人にするつもりはなかったからだ。
でも信介は、そんなの本心を少しだけ知った。
望んで一人になろうなどとは考えていない。本当は少し、寂しいと思っている。
だからこんなにも、触れる手つきが優しいのだ。
「───うん」
「うん?」
信介は自分の頬を撫でる手を包み込む。
は一瞬、きょとんとしたけど、目を細めて笑った。
庭先で、光を食む植物みたいにじっとしているをよそに、信介は祖母と一緒に朝食の準備にとりかかる。
先ほどは門の前や庭の掃き掃除をしていたので、この時間は自分のために使わせていた。
目を瞑り風にそよがれ、暖かくも寒くもない空間を作り、何をするでもなく、何を考えてるかもわからない姿がそこにある。
それでも世界から切り離された存在ではなくて、北の家の庭に馴染む。
朝食だと声をかければきっと、人間に戻って嬉しそうにこっちへやってくるのだろう。
「そういえばテレビ、今日やねえ」
「ん?」
朝食の席で、汁物に口をつけていたは祖母の言葉に眉を上げた。
まるでなんの話だかわからない顔をしているが、テレビといったら昨年カメラに追われていたことだろうに、もう忘れ去っているらしい。
自分はたいして使われないという、何の根拠もない自信は果たしてどこからくるのか、だれも知らない。
「夜八時や、録画予約しとるよ」
「楽しみやなあ〜〜くんきっとかっこよく映っとるでなあ〜」
「そうやな」
「いや~~~、どうだろうネ?」
ようやくなんの話かわかったようだが、映らないという思いと、映ったとして大したものじゃないという思いの両方があるようで、あまり期待して欲しくはなさそうだった。
「も観るやろ?」
「うん、まあ……部員は出るだろうし」
「ほんならランニングは早めに終わらせてこんとね」
祖母に言われて二人は頷いた。
夕方、早めにランニングから帰り、順番に風呂を済ませて食事の準備をした。
食べ終わる頃には、予告のCMが流れ、が一瞬だけ映る。
「あ」
「今のくんやったねえ」
「本当に映ってる〜。ってかよりによって俺予告に使われるんかい」
本人は使われない自信が強すぎて、余裕の笑みを浮かべている。
予告にしか使われないとさえ思っているのだろうが、そんなわけがなかった。
前年全国初出場を果たし準優勝、翌年は優勝を果たしている。
密着度は高く、放送時間も長かった。なにせニュースの一枠ではなく、全国の部活に取り組む学生を取材する番組だ。
いざ始まった内容を観て、は何故あんなにも自信満々でいられたのか、信介は不思議に思った。
まず学校に来たディレクターが、最初に生徒に声をかけるシーンから始まる。相手は制服姿のである。この学校で頑張ってる人や部活といえば何か、と聞かれて「剣道部ですかねえ」と答えた。
他にも何人か生徒と教員にインタビューした結果、やはり剣道部が注目株だったということで、ディレクターは顧問の先生にあたる。
するとそこにもまた、顧問と練習内容を相談していたが出てきた。「あ、さっきの」とディレクターが声をかけるとは会釈をする。
顧問は頑張ってる部活としてが剣道部を挙げたことに感涙していた。
「お、めちゃくちゃ出るな俺?」
やっと気づいたのか。
テレビを見ながら笑っていたに、たじろぎが生まれる。
テレビの中でのは、まるで剣道部の一員のような内容を顧問と話し合っていた。ディレクターたちも、だから自分の部活を答えたのだろうと。
しかしいざ練習を見る段階になると、は「じゃあ俺、今日は部活なんで」とその場を去った。───そこで、顧問が苦い顔をしながら「彼、茶道部なんですわ」と説明をした。テロップは「!?」で埋め尽くされた。
「わははは」
はこれで自分の出番は終わり、つまり掴み役を果たしたと安堵して笑っている。
───いやそんなわけないやろ。
信介がそう思った通り、は日を変えて剣道部の練習に参加するところからカメラに捉えられた。
ディレクターたちはもう、の存在を構わずにはいられないのである。
は部員たちだけでなく、顧問にまで師範と呼び慕われ、練習にも参加しつつ手本を見せたりアドバイスをしたり、やはり顧問と練習内容の相談をしたりと、その姿は人々に伝わるように作られた。
挙句の果てにはもう、茶道部の練習にもカメラがついてきており、完全に剣道部兼茶道部の"主役"扱いをされているのは明白だった。
「なんで……なんで……!?」
とうとうはテレビ内での自分の立ち位置を理解して、顔を覆って倒れた。
夕食の片付けもできないでいる。
「かっこええなあ、くん」
「うん」
祖母と信介も箸を止めて、テレビを見つめた。
は茶道部にまでカメラが付いてくることに少し照れ臭そうにしていた。茶道部の顧問らしき若い女性の姿もあったが、他に部員はない。
和服に着替えて現れたは顧問と共に、茶室へとディレクターとカメラマンを誘った。
───「春野さんは剣道部に入部しようとは思わなかったんですね」
───「そうですね、思いませんでした」
───「お強いのに。なぜなんですか?」
一通りの作法を見せた後、ディレクターはに深く切り込む。しかしは曖昧に笑った。
その問いは全ての剣道部員がまさに聞きたかったことであるし、身内の誰もが明確な答えを聞いたことはないだろう。
───『春野さんはこれまで、剣道、柔道、合気道、時には空手や拳法など様々な武術を嗜んで来たという。中でも柔道は子供の頃に出場した大会で優勝を果たしていて、剣道は試験こそ受けてはいないが連盟から熱烈に声がかかるほどだそうだ。そんな彼が今なぜ茶道部に。我々はそれが不思議でならなかった。』
目を伏せて答えを考えているようなの沈黙を、ナレーションの声が補う。
───「強いことって物事をやるのに絶対に必要ですか?負けても死ぬわけじゃないでしょ」
やがて返って来た極端な回答を聞いて、ディラクターはえっと言葉に詰まる。
誰もが彼の強さに特別なものを感じるが、本人は剣道が唯一とは思っていない。
───「体を鍛えるのが好きなんです。子供達に教えるのも、強くなっていくのも、見ていて楽しいですね。だからぼくがしているのはその手伝いです」
───「で、では茶道部に入ったのは?」
───「本当はバレー部に入りたかったんだけど、なくて」
───「!?」
そこでまた周囲を困惑させるテレビの中の。
一方で畳に這いつくばっていた現実のは、映像から逃げるようにして台所に食器を片付けに行ってしまった。
───「親戚がバレー始めた時、一緒にやろーねって言ったんですけど、できなくて」
───「え、あ、はあ」
───「だから高校はバレー部があるところに行きたいですね」
───「????あ、じゃ、じゃあ、えっと、将来はどんな仕事に就きたいとかあるんですか?」
ディレクターは困惑から抜け出すためか、少し話を飛躍させた。
そこでは、ずっと前から言っていた通り「医者になりたいです」と口にしていた。その夢は至極真っ当だったので、ディレクターは安堵して話を終わりにする。
その後も色々との映る場面は多かった。剣道部の支柱であると認識されていたのだから無理もないだろう。
しかし途中で服部平次の登場により画面が賑わったり、大会が始まれば部員が主体となるため、後半はの登場も減るようになっていた。
入学式の当日、早起きするのだろうと思っていたはどうやらまだ起きてこないようだった。
たまにはゆっくり寝ていればいいのだと、信介も祖母も朝食を準備していたが、いつまでも起きてこない。体調でも悪いのかと部屋を見に行けば、特におかしなこともなく───いや、少しだけおかしな寝相になって布団からはみ出して寝ていた。
「、具合わるいんか?」
「んーん」
掠れて呻くような声が返事をした。
「休むん?」
「、きる……」
ぼさぼさの頭でなんとか体を起こしたを、信介はまじまじと見る。
目がほとんど開いてないのだ。
「……平気なんか?」
肌に触れてみたが、体温はいたって普通のようだ。本人は一応起きてはいて、自分の容体もわかっているのか、開いてない目のままふにゃんと笑った。
「たまにすんごい眠い日あって、……きょうそれ」
いつまでも瞼を揉んでいるので、心配になって両手を取り上げた。
「階段、おりられるんか?」
「ん」
よたよた歩くが心配で、信介は前に立ち後ろ向きにおりた。朝食の席で待っていた両親と祖母は、いつもは見せない寝ぼけた姿で手を引かれて現れる彼の姿を見て、思わず笑った。
「あらあら、かわいい」
「どないしたん、昨日夜更かししてもうたか?」
「してなぃ……かお、あらわな」
「もう先食うたら、片付かんと困るし、あとで頭とまとめて直しや」
「うーい、ぉめぇん」
隙だらけの様子を、家族は微笑ましく見ていた。
今のは甘えた子供みたいで、だらしないただの男の子だった。
両親は朝食を手早く取ったあと、スーツに着替えて入学式の準備をしている。信介はとっくに着替えていたが、の手伝いに奔走した。
「くんどないしはったんやろ、珍し……というか初めて見たわ」
「あるやろ、そういう日も。なんやうちに馴染んできたんとちゃうか」
「体調悪いんと違うらしい。たまにそういう日あるて、前言うてた」
「そうなん、なら今日はちょっと気にかけといたって、信介」
「うん」
車で学校へ行く最中も、は目を開けてはいるが、眠たげな顔でぼんやり外を眺めていた。
手を引いて車から降りて、新入生用の花とバッチをもらい、クラスを確かめる。残念ながら別クラスなので、の教室に先に送り届けることにした。
「信介、もう大丈夫」
「転んだらどないすんねん」
「そこまでアホじゃないです……」
教室の外の廊下で袖を引っ張ったの顔を覗き込む。
朝食の時よりはいくらかハキハキと喋っているので、覚醒はしているのだろう。
「ほとんど目ぇ瞑っとったやん」
「信ちゃんに掴まってるからいっかーと思って」
ふわあ、とあくびをしたあと、涙を拭いている。
甘えた呼び方をされても、心配した信介は報われない。
「危ないんやから、ちゃんと起きなあかんやろ、特に外では」
「はぁい」
信介が真面目に言えば、眉を八の字にしつつ、少し拗ねた声で返事をして教室に入って行った。とぼとぼと。
テレビ出すの好きなんです……。
番組イメージは吹奏楽とかダーツをやってるアレです。
Mar 2025
番組イメージは吹奏楽とかダーツをやってるアレです。
Mar 2025