sakura-zensen
春の雪
02話
暑い。───熱い。そう感じ始めた時、耳元でパチッと何かが弾けるような音を聞く。
火が、燃えていた。診療所の中、血の匂いをかき消すほどの、木や布が燃えるような匂いが広がる。
地面に転がっているのは父と兄、そしておそらく襲ってきた浪士であろう二名の男。浪士たちは首の半分以上斬り落とされていたり、胴体を深く斬られていたりすることから、相手の勢いや凄まじさはわかった。対して父と兄は背後から袈裟斬りと、突き刺された傷によって事切れていた。
目を開けたままの兄の瞳には、何の感情も浮かんでいない。
だというのにギラギラと揺らめいて見えるのは、強く燃え盛る炎の所為だった。
俺は目蓋を強く押し付け、兄の目が熱に焼かれてしまわないように閉じる。それでもぴたりと閉じることがないのは、そこに命がないことを見せつけてくるようで、目をそらした。
なんとか兄の身体を抱き上げ、肩に担いで家の外に出る。
近隣住民と火消しが既に我が家を取り囲んでおり、出てきた俺の身体を引っ張り家から離す。兄の遺体は彼らの手を借りながら、家から少し離れた所へと寝かせた。
兄がずっと手に持ったままの太刀をはずし、鞘に納めた後身体の上に置く。そして俺が外出する時に押し付けられた脇差も並べておいた。
大小の片方を俺に貸すなど、武士としても俺に荒事をしてほしくない兄としても、らしくない行動だったけれど、近頃の世情を思うと無理もなかった。
無力感と後悔が押し寄せてくるのを、首を振って拭い去る。
まだ動かなければならなかった。家に父を残してきてしまった。無念の死を遂げた父をあのまま浪士たちと共に燃すなんて、到底ゆるせなかった。
火消しの人たちの隙間を縫う間に濡れた身体で、再び燃える家の中に入った。
眼球が焼けそうで、きつく目を閉じる。それでも目蓋を通り抜けて熱や、強い光が差し込んでくる。
服や肌の水気はたちまち蒸発し、急速に俺の肌を焼き始めた。痺れるような痛みから突きさすような痛みに変わっていき、関節は軋むように曲がり始め身体の自由を奪う。
外の怒号が酷く遠く、耳には轟轟と炎が酸素を喰らう音がしていた。
ほとんど見えない視界のなかで手探りに父を見つけ出し、燃えかけていた身体を押しつぶして火を消した。着物を通じて、じゅわりと胸の皮膚が溶けるのを感じる。
再びなんとか父を抱いて外に出る直前、倒れた柱が背に圧し掛かり、俺に炎が乗り移った。それをまた火消しの人たちが引っ張り出しながら、水をぶつけて消火してくれるのを、痛みに耐えて受け入れた。
生きた自分をないがしろにするような行為だったが、亡き父と兄をせめてきちんと弔ってやる事だけが、なけなしの希望だった。
この身に負った火傷はふた月経った今でも痕を残し、痛みは度々俺を襲った。
その痛みを感じるたびに、傷じゃない部分がそれ以上の痛みを俺に思い出させた。
今夜もその痛みに目を覚まして、ああ、夢だった───と思ったあとに、変えようのない過去だったと思い知る。
気を紛らわすように、大部屋に密集した隊士たちのいびきにしばらく耳を澄ませた。男クサくて、どこかベタつくような空気、布団にしみついた湿気さえも自分に起きた悲劇を遠ざけてくれるような気がした。
背を丸めて膝を抱えると、かすかに汗ばんでいた背中の皮膚が、熟んだ果実のように柔らかく撓む。腰ひもを緩めて着物をはだけると、少し風通りが良くなり痛みを和らげた。
その延長の行動で、俺は大部屋を抜け出す。夜風に当たるか、井戸の水を浴びるくらいならきっと許されるだろう。
兄の形見の大小だけは手に、廊下を足音を立てずに歩いた。
ふと、俺以外の気配を感じて立ち止まると、周囲を警戒した様子の誰かが後ろ歩きでやってくる。俺に気づいてはいないようで、声をかけようか迷った。
このままだとぶつかるだろうな、と思った寸前で彼は振り返る。俺を見て、口から心臓が飛び出すのではないかというくらいに動揺していた。
「……大丈夫ですか?」
あんまりな驚きように、申し訳ないことをしたなとその身を案じる。
「あ、ええ、……」
男は、平隊士の一人だったはずだ。近藤局長のお供についていた。
しきりに視線をさまよわせたその顔に浮かぶ、焦りや緊迫感は妙だった。
俺が無言でその様子を見ていると、自滅するように庭に下りて駆けだす。厠に、と口走ったがそっちは厠じゃないだろが。舐めとんのか。
尻っぱしょりの間抜けな後姿を追うべく、俺も庭に下りた。
「な、なんで追いかけてくるんだ!」
俺が追うのに気づいた男は、振り向きながら走る。
「いや、なんだか怪しいので」
「!」
俺の指摘に男は肩を尖らせ、意を決したように立ち止まった。俺の方を振り返り、手を懐に差し入れようとした時、俺は男の奥に揺らぐ人影を見つけた。
「追い込みご苦労様です、春野さん」
建物の角から出てきた、ほんのりと月灯りに照らされた人は沖田先生だった。男は先生の登場にたじろぐ。
「ようやく尻尾をだしましたね」
「───沖田……!」
「荒木佐十郎、あなたを長州の間者として隊命により処断します」
「く、……くそぉ───!」
男、荒木は沖田先生に抵抗するべく、先ほど出そうとした小刀を今度こそ抜いたが、太刀の間合いに入った途端、瞬時に首を斬り落とされた。
重たい落下音と跳ねる血の水音が、静かな夜に虚しく響いた。
「ところで春野さん、あなたいったいそんな格好で───…………」
刀をおさめた沖田先生は、やれやれと言った様子で俺に向き合う。が、俺の格好を見てすぐに視線を固定した。それは、露わになった上半身だ。彼と向き合う胸には、広く焼け爛れた痕がある。
今の俺は着物の上を剥ぎ、袖を腰に巻き付けると言う体たらくだった。風に当てて肌を乾かす、或いは井戸の水で冷やそうとしていたから。
「あ、これは……ふた月程前に家が燃えました。その時に負った傷が原因で、寝苦しくて」
俺を脱走犯と思わないのは助かったが、この痕を見られたのは痛手だった。沖田先生が俺と火傷で、あの日のことを結びつけるとは思えないが。
「家……ご家族は?」
「私以外はみな」
「そうでしたか」
言葉少なに首を横に振れば、彼は察して押し黙る。どうやら気づいていないようだ。
どうかそのまま放っておいてくれ。そんな俺の願いも虚しく、沖田先生は俺に井戸の水をかけてくれると言ってついて来た。自分で掛けるのではバシャバシャと騒がしくなるだろうと言われてしまえば、頼むしかなかった。
「───沖田先生に、ここまでお世話をされるなんて……」
「まあまあ、いいじゃないですか」
優しく水をかけてくれた挙句の果てには、布を身体に押し当てて水気をとってくれる沖田先生に、俺は肩を巻き込んで背を丸めた。
背後でコロコロと笑っている顔が目に浮かぶ。
「春野さんはこれから私の下についてくださるのだから、十分恩を返す機会はありますよ」
その言葉に静かに息をのむ。
俺がここに来たのは兄や父の遺志を継ぐ意味もあったが、俺の不在の間に助けに入ってくれたと言う沖田先生に恩を返したかったからだ。彼は俺が気負わないようにと冗談で言っているのだろうけど。
「きっと、このご恩、お返しします───」
こっそりと、自分の手を強く握りしめた。
沖田先生と別れて大部屋に戻り、翌朝。
隊士たちが起きだすより前に、俺は身支度を整えて周辺を見回っていた。どこかよさげな場所で軽く瞑想や準備運動をしたかったのだが、ふと畑に行き当たって足を止める。
前川家の人が育てていたものだろか。それにしては、よく手入れをされている。
「なす……ねぎ、きゅうり」
「そこで何をしている」
どんな野菜があるのかと見て回っていると、背後から厳しい叱責のような声がかかった。
低くどすの効いた話し方に、引っ張られるように背筋を伸ばして振り返ると、仁王立ちした土方副長がいる。
「おはようございます。早く目が覚めたので、鍛錬する場所を探していたんですが畑が見えまして」
「……」
俺の身体を上から下まで形をなぞるように、視線が動く。
怒っているように見えた。畑荒らしかと思われたのかしら。
「あの、何も盗ったりなんてしてません、よ」
ちょろり、と両手を開いて差し出す。
盛大なため息とともに、彼は俺の首根っこをひっつかんだ。
そしてズカズカと大股で歩いたと思ったら、隊士たちの群れの中に俺を放り投げる。
「……総司」
静かに沖田先生を呼んだかと思えば、その頭に拳骨を落とす。えーっ!? なんで。
「春野の世話はお前に任せたはずだ総司! この犬っころをチョロチョロさせるな!」
「……すみません、私の監督不行き届きです」
「土方副長っ、畑に勝手に入って申し訳ありません。でも、それならその場で私を」
「責任者は沖田だ! 入隊は許したからといって、勝手な行動まで許したつもりはないぞ、しっかり手綱を握っておけ! 罰として朝食はお前らだけで準備しろ」
頭頂部を押さえて涙目の沖田先生は、土方副長の叱責を粛々と受け入れた。確かに俺はここにきてまだ一晩だが、だからってこんなに叱られるのか。筋が通ってない気がする。
副長は他の隊士たちに号令を掛け、連れて行ってしまうのでその場には沖田先生と俺だけが残った。
一拍置いて、沖田先生はため息を吐く。けろっとした顔をしているが、相当痛かったろうに。
自分が殴られるのはいいが、自分の所為で他人が殴られるのは身に沁みる。行動を顧みて深々と頭を下げたが、彼は慣れているからと意に介さなかった。それどころか、朝食を作ってしまおうと明るく言う始末。
俺はどうしてこんな理不尽を、と思うも彼がテキパキと動き始めたので、手を動かさなければならなかった。
そこで新たに気がかりになったのは、かなり質素な朝食だと言うこと。蔵にはかなりの量の米が備蓄されていたが、どうして使わないのだろう。そう思って問いかけると、沖田先生は一度悪ふざけをかました。
「畑だけでなくそこまで見てきたんですか……あなた間者の素質ありますよ」
実際のところ、あの米は近藤先生と土方副長の信念というか信仰で、『米さえ食って出れば戦に負けることはない』のだとか。
元は武州の大農家の出らしいので、そういった考えが根付いているらしい。
「かわいいったらないですよね、土方さんて♡」
「カワイイ……カナァ……?」
それでも俺は、自分があそこまで彼を怒られる理由を見いだせなかった。
土方さんが怒るのは公式イベント()なので何が何でも怒る。ただ本人も若干気後れしているので顔面ではなく頭拳骨です。カワイイね。
June 2025