sakura-zensen

春の雪

04話

近藤局長と土方副長が呼んでいる、と沖田先生がご機嫌に俺を連れ出したので何事かと思っていたら、浅葱色にダンダラ模様の羽織を渡された。───これが、壬生浪士組の隊服である。
家紋の剣桜も入れてもらって、まさに俺の為に用意されたもの。ほう、と惚けた息を吐く。
「身の引き締まる思いです」
「うむ、これからも頑張ってくれたまえ」
「それを羽織っていたら童扱いされねェからな」
近藤局長からの労いと、土方副長からの皮肉にニコッと笑う。
「心配性ですね、土方副長」
「俺がいつお前を心配した!?」
土方副長は盛大に顔をゆがめる。横で笑い転げている沖田先生と、豪快に笑っている近藤局長を見るに、やはり俺の考えは合っているのだろう。
沖田先生のようにカワイイとは言わないが、俺は土方副長のことを「優しいンだから」と言える。
「~~~~っや、優しいだと!?!?」
あ、本当に言っちゃってたみたい。

沖田先生は照れが極限に達した土方副長に怒鳴られて、俺を稽古場に連れて行くよう命じられた。
いまだ笑いの底に沈んでいた彼だけど、這うようにして部屋を出る。去り際、近藤局長に肩を叩かれ項垂れる土方副長をチラとみたが、耳も真っ赤になっていた。……あれは、カワイイかもしれない。
「ひーっ、苦しーっっ」
「そんなに笑います?」
外に出てもまだ、沖田先生はお腹を抱えて笑っていた。
「だって、土方さんが頑張って嫌われようとしてるのに、春野さんったら全然通じないんですから」
「頑張ってるんですね……」
「私、殴られた甲斐がありません」
いつぞや、拳骨を落とされた頭頂部を撫でる沖田先生に、アァと遠い目をする。あれは確かに理不尽だと思ったが、俺に一芝居うったつもりだったんだろう。
勝手にウロチョロするなといわれてからは、なるべく沖田先生にヘバりつくようにしていたが、そんなのはものの三日でままならなくなった。もちろん誰にも咎められなかった。
「上に立つ者は、嫌われていた方が良いというのが土方さんの持論なんです」
「───理解できます。近藤局長も山南副長は普段お優しい雰囲気をしていらっしゃいますからね。気が緩む隊士はいるでしょう」
沖田先生はじっと黙って俺を見た。そして、参ったな、と口走る。わかった口をききすぎて、生意気だったかもしれない。
「そういえばこの羽織、素敵ですねえ」
俺は話をそらして、羽織を引っ張った。
沖田先生は今度は意外そうに、首を傾げる。
「この羽織、一部の隊士には不評なんですよ。土方さんとかね」
「あぁ~……」
今の江戸では浅葱は田舎侍の象徴などと言われてるが、実際のこの色は切腹裃を現してもいる。いつ死んでもその死が美しく映えるようにという覚悟のようだ。あとはだんだらが忠臣蔵の赤穂浪士にあやかっているのだったか。
いかに不評でも、後年この浅葱にだんだらと言えば『新撰組』と連想されることだろう。もちろんそんなことは口が裂けても言えないが。
「わたしは色合いや模様よりもただ、この羽織を仕立てたことによって、食卓がわびしくなるのが心苦しいです」
「あはは。春野さんは賄方だけでなく、勘定方にも目配りをしてるんですか」
そんな話をしながら歩いていると、丁度山南副長が通りかかって、俺に声をかける。
どうやらまた、帳簿のことで俺の手を借りたいそうだ。
沖田先生に以前も俺が手伝いをしたことを言い添えると、山南副長は俺のことを算盤が達者だと褒めてくれた。
「あら、春野さんは多才な方ですねえ」
「そうだぞ。医学の知識も豊富なのだから、総司もよく春野くんに相談すると良い」
「へえ、医学。私の知ってる春野さんは木登りが得意ですから、山南さんも木登りのコツは彼に聞くと良いですよ」
「この組所で木登りするのはお前くらいだよ」
軽口の応酬が目の前で繰り広げられているのを、俺は少し離れたところで眺める。
風がふわりと通り抜けて、俺を追い越した。ややあって、沖田先生や山南副長の毛先や袖が揺れた。
今度は背後で人が地面を踏みしめる足音を聞く。だれだろうと振り返ると、門のところに佇む青年の姿が目に入った。
「あ……」
兄上、と一瞬呼びかけて口を閉ざす。
雰囲気がそっくりだったが当然別人で、その人はもう一歩二歩とこちらに近づいてくるにつれて俺に気が付く。

「───?」
「せんせい……? ───先生だ! わーっ先生!!」

そこにいたのは兄の友人でもあり、兄の通う道場で短期間のうちに師範代にまで上り詰めた斎藤先生だ。
ビョッと飛びあがってしがみ付くと、たいして身体がブレずに受け止められる。
「春野くん?」
「あれっ、斎藤さん」
俺の背後からは不思議そうに呼び掛ける山南副長と沖田先生の声がする。そして斎藤先生はため息交じりに俺を揺さぶった。
「はしゃぎすぎだぞ、
「すみません、つい嬉しくて───」
斎藤先生にしがみついてた足を地面に下ろして自分で立つ。
振り返ると山南副長も沖田先生も、目を白黒させていた。それは俺と斎藤先生が顔見知りだからだろうけれど。
「いやあ、春野くんの年相応な姿が見られたよ」
山南副長にそういわれたことで、俺は今まで自分が周囲に猫を被っていたことを思い出した。いやこれまでだって斎藤先生に、あんな風にスリスリしたことはなかったが。
「ああ、そう言えば春野さんは吉田道場に通っていたとか。斎藤さんとは面識があったんですね」
「はい。斎藤先生は、亡き兄のご友人で、道場でも何度か顔を合わせたことがあり……今日はつい兄のことも重ねてしまいました」
「そうか。最近亡くしたばかりだものな」
山南副長は俺を子供扱いするように、頭を撫でた。
揶揄のないそれを流すことができず、頬に熱が集まるのを感じた。


積もる話もあるだろうと、山南副長は手伝いの依頼を撤回した。そして残された斎藤先生と沖田先生とで、宿所内の一室に座る。
斎藤先生が切り出したのは、俺が富永ではなく春野と呼ばれていた件だった。
「───姓を改めたのだな、
元々は兄の祐馬を富永、俺のことをと呼んでいたので不都合はないだろう。春野と姓を改めたのには理由があったが、どう説明したものか。
「家族のことは人伝てに聞いた───お前だけでも無事で何よりだ」
「買い物に、出ていた時でした」
俺は悩むのをやめて、話せることから話してみることにした。
沖田先生は俺の身の上を"父と兄を亡くした春野"としか知らない為、気を利かせて立ち去ろうとしたが、その着物の袖をつまんで引き留めた。
沖田先生に言わずにおこうと思ったが、気が変わった。聞いて欲しかった。

俺は富永として、診療所で起きたことを斎藤先生と沖田先生を前にして話した。父が江戸幕府の元直参であったこと、家が診療所だったこと、長州藩尊攘派の浪士に襲われたこと、壬生浪士組・沖田総司が助けに入ってくれたことを。
「あ、春野さんはあの時の───……」
思い出した様子の沖田先生に、俺は小さく笑う。
「今まで言い出せなくて、申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ。一人、取り逃がしたことをずっと謝りたかったのです、申し訳ありません」
「助けに入ってくださっただけでも十分です、ありがとうございました」
「……では、はその仇討ちと、沖田さんへの恩返しのためにここに居るというわけか」
斎藤先生の言葉に、沖田先生ははっと息をのむ。
まさか自分がそんな風に使われるとは、思いもしなかったかもしれない。そんなつもりで助けに入ったわけではないだろう。
仇討ちとか恩返しとか、その思惑が少しもないわけではなかったので、否定はできない。ただ、俺はそれに身を窶すほど向こう見ずではない。
だから沖田先生に恩を感じながら、これまで礼のひとつも言えなかった。
「ここに居る一番の理由は、亡き兄と父の志を継ぎたかったからです」
俺は安心させようと、沖田先生に笑いかけた。
恩返しのために人生を懸けられる、それは少なからず重荷だ。そうはなりたくない。そして山南副長にも話したように、武士になろうとした兄、人を救う医者であった父両方の信念を生かすならこの場所が良いと思ったのも本当だ。
斎藤先生は、「らしい」と言ったきり黙って、突然爆睡し始めた。

俺と沖田先生は、眠る斎藤先生を横に目配せをする。
斎藤先生は長旅を終えてきたところだったので、休ませてあげた方がよろしかろうと。
しかしふと、「───剣桜」と声がする。寝ていると思った斎藤先生からだった。
どうやら兄が生前、壬生浪士組に入れたら家紋を剣桜に改めるという話を聞いていたらしい。
剣桜の家紋には、『花は桜木、人は武士』という諺が意図されていて、散り際の潔さのことを示している。兄は、自分でもそうありたいと言ったそうだ。俺も、その話は知っていた。

───「、私はお前に武士になって欲しくないのだ」
頭の中に、兄の声が蘇る。

───「お前が時に私より強かろうと、大切な弟だ。勝手なことを申すが、わかってくれ。お前は人を斬るためでなく、救うためにその力を奮う方が性に合っている」
俺が時に兄より強いというのは、瞬発力や経験の差からくるものだ。体力や筋力が足りない為負けることも多かったが。兄はきっと歳を重ねれば俺が強くなると分かっていてこの話をした。
父には武士になることを反対されていた兄だが、自分は絶対に頑として首を振らなかった。そんな兄が俺に武士になるなというのだから、本当に『勝手なこと』を言ってるだろう。しかし俺には、兄が武士になることにどれだけの覚悟を持っているかを理解していたため、否定はしなかった。
───「心配しないで、兄上。俺は、武士にはならない」
───「ああ、それでよい」
兄はそう言った後、俺に剣桜の話をしたのだった。

「その通りに、逝ったんだな」

斎藤先生の目が開いて、虚空を見つめた。そこに何かが映っているわけではないが、兄のことを見ている気がした。
俺は小さく頷いた。実際の兄の最期の様子を知らないが、彼は浪士に襲われ、そして抵抗するべくして刀を抜いた状態で事切れていた。
武士として戦って死んだ───それこそ、桜が散るように。




男なので斎藤先生と面識ありにしました。

July 2025