sakura-zensen
春の雪
05話
壬生浪士組にはお金がない。その為山南副長と俺は帳簿とにらめっこしながら削れるところを削り、しめられるものをしめた。
時に横行する押し借り紛いの真似を、臍を噛みながら見逃したのも記憶に新しい。
そんな暮らしがある日突然、一変した。
京都守護職松平容保公から、これまでの借金返済のための金子と、今後の禄高の取り決めについてのお達しが下されたのだ。
ひと月ごと一人三両───。それは、長屋住まいの五人家族がふた月はゆうに暮らせるほどの額だった。
隊士たちははしゃぎ倒し、早速女を買いに行くぞと声高らかに宣言した時、さすがの俺もズッこけた。
斯くして、この待遇が周囲に知れ渡ったのは数日後。京の町ではいまだに壬生浪士組は壬生の狼と嫌われ者の人斬り集団だったが、入隊志願者が続々と押し寄せた。数にして凡そ百名。庭に並ばせるとかなりの密度になり、圧巻の光景が出来上がる。
「私は近藤局長をお呼びしてまいります。春野さんはこちらでお待ちなさい」
「はい、沖田先生」
俺は庭にひしめく人々の顔ぶれを眺めながら、沖田先生の戻りを待った。
そしたらニコニコ笑顔の近藤局長が駆け寄って来て、俺の肩を掴む。早速近藤局長に報せが行ったのだろう。
「春野君! 入隊志願者がいると言うのは本当か!?」
「あ、はい、こちらに」
「おおっ! ようし、さっそく試験を執り行う。春野君、総司と歳を呼んできてくれないか」
「承知仕りました」
集まってきた連中のほとんどは、近頃決まった禄高の額につられた、志の違う者共だろうけれど───それをわからない沖田先生や土方副長ではない。その二人が何も言わないのならと、俺は近藤局長の喜びに水を差すことはしなかった。
試験が進むにつれて、百名あまりいた志願者たちは二十名ほどに減った。集められた入隊前の青年たちを並ばせた一室で、近藤局長から隊務に関しての確認が始まる。壬生浪士組の在り方や志を言葉にして、具体的な行動、目下の急務は倒幕派の浪士たちの壊滅───と口にした。俺は思わず口を結ぶ。
「改めて問う。諸君らは武士であるか」
「身分ではない」
「士道に殉ずる、覚悟があるだろうか」
局長の問いは入隊前の青年たちにかけているのに、俺はそれを今まさに突きつけられているようだった。とっくに肚を決めて、ここにいるはずだったのに。
俺の心がまだきっと、武士になっていないからなのかもしれない。兄程の情熱を持ってないから。そして兄が俺を武士になるなと言ったことに反しているから。色々な後ろめたさと、それでもやり遂げなければならないという意地がせめぎ合っていた。
近藤局長の熱は、俺の中に確かに灯る。
新入隊士候補たちも、熱弁に感銘を受けて声をあげている。その様を俺は静かに見守りながら、かすかにふるえていた。
暫くそうしていると皆はめいめいに部屋を後にし始める。いつまでも動き出さない俺を沖田先生が覗き込んだ時、ようやく止めていた息が零れる。同時に心から言葉が出てきた。
「───ここにきてよかった」
「え?」
聞き返してくる沖田先生に、誤魔化して笑う。
彼はそれ以上尋ねて来ることはなかった。
隊士が増えたことにより、俺が一番の下っ端ではなくなった。とはいえ年齢的に言えば結局俺が一番若いみたいだ。
とにかく何が言いたいかというと、土方副長が厳しくする相手が俺から新入隊士に変わったのである。
そうでなくとも最近、わざと嫌われようとしてることを沖田先生が口にしてしまったこともあって、土方副長は俺への計画的イヂワル行為を諦めつつあった。なので俺の周囲はわりと静かになってしまった。
稽古中に怒号が来ない、打ちこみが来ない、となるとなんだか物足りない。でも土方副長は今、新入隊士を叱ったり、どれだけ使えるのか吟味したりするのに忙しいのだ。きゅうん……と鼻から切なげな声が出そうになって、胸を押さえる。
「どうした春野! 胸が苦しいのか!? しからば口移しで胸の薬を」
「結構でえす」
しおれた俺に、すかさず原田先生が唇を尖らせて近寄ってくるので、手で顔面を押し退ける。そのまま視線を逸らした先に、沖田先生がまた為三郎と勇之助と脚を丸出しにして木登りしているのを見つけた。
「あ、沖田先生! 今は稽古中ですよ!」
子供と遊んでサボるなんて、新しく入った隊士たちに示しが付かないじゃないか。そういう思いで注意をすると、彼らはひねくれた子供のように逃げ出した。いや二名は正真正銘子供だけれど。
逃げたきり暫く姿を見せなかった沖田先生は、夕方土方副長の部屋で昼寝をしているところを見つけた。
丁度土方副長に持って行く書類があったので部屋に入ると、何か書きつけてる副長の背後で横たわっていたのだ。
「……」
声を出そうと思ったが、眠りの妨げになるだろうかと口を噤む。
「どうせ暫く、何をしたって起きやしねえよ」
「そうですか?」
俺の思案に気づいたらしい土方副長が、ふんと息を吐く。そして俺から書類を受け取ろうと手を出すので渡した。
もう一度、ちらりと沖田先生を見る。枕代わりにしてるのは座布団で、きっと自分で折り曲げて敷いたのだろうけど肩にかかっている羽織は土方副長がかけてあげたものだろう。
「やさしいンですね」
うふ、と笑いかけると土方副長の鋭い目つきが俺に刺さる。
「……夜には巡察があるんだ、風邪なんて引かれたら面倒だろうが」
「はい。どちらにせよ仮眠をとるよう声を掛けようと思っていたので、丁度良かったです。お仕事の妨げになるようでしたらお運びしましょうか?」
「さすがにお前が畳を引き摺ったら総司も起きるぞ……いや、どうだかな」
「ンハハ」
土方副長は遠回しに、ここで寝かせておいて良い、と言っている。
そう言うだろうことは分かっていたが、下の者としては聞いておかなきゃならないことだった。
「沖田先生のことくらいなら、なんとか抱き上げられると思います。最近力がついて来たんですよ」
「馬鹿いえ、その豆粒みたいな身体で総司を担いだらたちまち潰れるだろうが」
「本当ですぅ。土方副長は近頃わたしを"扱いて"くださらないので知らないのでしょうけど、腕力も突き始め、永倉先生に褒められたんですよ」
「ほぉ~、"構って"やらなくて悪かったなァ? 寂しい思いをさせたようだ」
土方副長はにんまりと意地の悪そうな表情で俺を見た。しかしその後俺を叱る程ではない。これは俺につとめて厳しく接しているのではなく、素で俺を揶揄っているだけなのだ。
「はい───さびしいです」
筆をおいで肘をついた彼の袖を、少し摘まんで引っ張った。
土方副長の怒声がないと静かで、緊張感がなくて、張り合いが……と色々な言葉を駆使して物足りなさを表現しようと思ったが、言われた通り俺は寂しかったらしい。
彼が俺を叱るのは、その身をもって俺を強くしてくれるようで、嬉しかったりして。
「……へへ、でも暫く我慢します。新しい隊士の皆さんを知るのも大事ですから」
本当は寂しいと言うつもりはなかったので、照れ隠しにヘラヘラ笑った。
土方副長は俺が突然変なことを言い出した所為か固まってしまったので、これ幸いと立ち上がり部屋を退出する。
沖田先生のことは夕餉の頃に起こしに来ると、言い残して。
「あれ、春野が一人で飯とは珍しいな」
夕餉の時刻一人で飯を食っていると、永倉先生に指摘された。
いつもは沖田先生と共にしているので、確かに珍しい光景だろう。彼はまだ土方副長の部屋で爆睡していたので起こすのは辞めた。どうせ夜の巡察があるので、寝られるだけ寝てもらおうと思ったのだ。
「いつも総司にくっついて飯食いに来てただろ」
「沖田先生はまだ仮眠をとってらして」
「ほぉ~、起こしてこなかったのか」
「ええ。もう少し時間がありますから」
「……健気だねェ。こんな嫁さんがいて、総司は幸せモンだな♡」
永倉先生はンフと笑って揶揄った。途端に周囲もどっと沸く。
俺が沖田先生の嫁に見えるってのか? 目玉おかしいんか。
「そういや、春野の操は総司のモノでもあったなあ~」
アァ~、それいわれると反論できない。
初対面の時に原田先生の誘いを断る為に、俺は沖田先生のモノ発言をしたのだった。というわけで、俺はその場をイソイソと逃げ出すしかなかった。
今回は俺の負けである。
さて。そろそろ沖田先生を起こそうと、握り飯を拵えた。それを手に土方副長の部屋を訪ねようとして外を歩いていると、出くわした隊士に引き留められる。
確か最近入ったばかりの、大阪の旅籠の三男坊・山城勘二さんだ。同郷の友人らしき船戸辰吉さんもいる。
普段からよく山城さんには声をかけられ、目でも追われているのに気づいていたけれど、今は忙しいのであまり相手にはしていられない。
「すみませんが、急いでいて」
「あぁ~ほんま堪忍です、せやけど実はひょいと小耳にはさんだんでっけど、春野はんお医者殺しと火付けの下手人探してはるてほんまでっか」
どうしても俺を引き留めたいようで、山城さんは早口でまくし立てた。
そこでまさか父と兄の件について話しが出てくるとは思わず、無視して歩こうとしていた足を止める。
山南副長や斎藤先生、沖田先生に話して以降、俺の身の上については少しずつ明らかにしていた。特に医者の父の手伝いをしていたことを話すのは、今後この組で助力するためでもあったし、下手人を探すと言う意味でも必要だったからだ。
新入隊士の彼らが知ってるのは、俺の話を誰かから聞いたからだろうが、それを話題にすると言うことは何かしらの情報を持っている可能性はある。
一縷の望みを抱いて、山城さんと船戸さんの話を聞くことにした。
その際に蔵の中で話したいと言われても、構わなかった。
山城さんの実家が旅籠という背景から、話には少しだけ信憑性があった。色々な人の出入りがあり、噂が舞い込むことはある。京で二人斬った上に火付けして逃げた男が大阪に潜んでいる───そういう話が、聞こえてくることもなくはないだろう。
信じるか信じないかは、もう少し情報を集めてからでないといけないと前のめりになる。
「大阪の、どこですか?」
「それが、そこまでは知らへんねん♡」
少しずつ押し殺していく声につられて近づいていたら、山城さんは俺の両手首を掴んだ。そして背後にいた船戸さんが俺の口に布を巻こうとした。目の前に白い布が現れた瞬間、俺は反射的に後頭部をぶつけて抵抗する。
背後からはうめき声と尻餅をつく音、正面には驚く顔があったので、不意うちは出来たらしい。
だが俺の腕は未だに掴まれたままだ。マア、やりようはあるから焦りはない。
ひとまず俺は山城を見据えて問う。
「───騙したな? 俺を」
燃えよ剣の土方さん見た後、風光るの土方さんを見ると、可愛い……って思える。
July 2025