sakura-zensen
春の雪
08話
沖田先生の姿がないと思ったら、斎藤先生が報告から戻ってきた傍にいる。どうやら近藤局長たちと同室にいたようだ。
俺が駆け寄っていくと視界に入れたが、話があるなら忙しいので後日と断られてしまう。なぜならこれから、大阪に手練れの配下を数名見繕って出立しなければならないのだそう。
手練れ───。そこに俺は含まれないだろう。沖田先生はスタスタと廊下を歩きだした。俺はそんな沖田先生の後を追いかけ、廊下を軽く走る。
もう少しで追いつくところで、沖田先生は振り返った。
「旅支度の手伝いなら不要ですよ、春野さん」
「お願いがございます」
間髪入れずに願い入れた俺に、沖田先生は驚く。
まさか大阪に同行したいと言い出すとは思いもしなかったはずだ。俺だって普段なら志願などしないだろう。でも今回は、理由があった。
「実は、父と兄を襲った下手人が大阪に潜伏していると言う情報がありました」
沖田先生は目を見開き、自室に俺を招き入れた。
これは手籠未遂事件があった時、俺を釣る餌として使われた情報とかなり酷似している。まさか俺がそれを鵜呑みにしてはいまいかと、沖田先生は眉を顰めたがそうではない。
自分なりに伝手を使って調べた結果であって、本当に偶然の合致なのだ。
「隊務に加えて欲しいとは言いません。ただ、大阪には行く許可をいただきたく───」
言いかけたその時、背後にふと人の気配が立つ。特に隠す話ではなかったので障子を開けたままだったし、廊下を人が通ることも念頭にあった。
「春野も大阪へ行くのか」
背後にいたのは、沖田先生と同室の斎藤先生だった。
当然話は聞こえていたようで、俺と沖田先生を順にみる。
「春野さんは隊務ではなく、所用があるので同行させます。大阪では別行動になりますね」
「そうか」
沖田先生は斎藤先生に答える形で俺に許可を出した。
俺は深く頭を下げてから、旅支度をしてくると言って部屋を出る。斎藤先生はそんな俺をいつもの眠たげな目で微かに追ったが、やがてその視線の糸は途切れた。
大阪への道中は、沖田先生と斎藤先生が選んだ手練れの隊士数名と、大阪の遊里に行きたい芹沢局長とお付きの隊士という顔ぶれになった。
腕は確かな芹沢局長が来てくれるならば、一騎当千ではあるだろう。が、果たしてこの人は肝心の場に素面でいられるのだろうか。マア、酒が入っていてもかなり強いので俺の心配は無用だろう。
むしろ俺は、芹沢局長に遊里に連れて行かれそうなのを、どうやって振りほどけば良いのかを心配したほうがよさげだ。
「───こんなに早くでくわすなんて、よっぽど縁が深いんですねえ」
「げえっ沖田……!!」
大阪に着いて早々、何か考えているようだった沖田先生は誰かに会うなりそうぼやいた。
その誰かとは、大阪の旅籠の三男坊でかつて俺を手籠めにしようとした男、山城勘二であった。
沖田先生の横にいる俺のことも目に入れて、身体の輪郭が波打つほどに揺れる。
山城は俺たちを見るなり地面に這いつくばって頭を下げた。主に沖田先生の方を怖がっているようだったが、首に刀を突きつけられて本物の気迫を浴びたのだから当たり前だろう。
「何者だ?」
俺達の妙な空気に、芹沢局長が関心を示す。そこでさらりと情報を付け足すのは斎藤先生だ。
「山城勘二君。大阪の出で半月ほど前仮入隊までするも、持病の癪が出てすぐ離隊した同志……だったかな、沖田さん?」
ほとんど関わり合いのない関係だったのに、斎藤先生は隊内のことにはよく精通しておられる……。沖田先生は感心したように笑って返してから、山城に向き合った。
「少しは良くなった様ですね」
「はいっ、おおきに!! ほんまおおきに、沖田先生!!」
沖田先生に見逃された挙句に上手い事庇われたことを、山城は感じ取ったらしく必死にお礼を言っている。今この場で本当のことが露見しては、芹沢局長の刀の錆になっていたことだろう。
「春野はん、あん時のことはほんま悪ふざけが過ぎた思てます……二度とあないな真似はせえへんよって、許したってください、頼んます」
山城は次いで俺に平謝りした。その気持ちに嘘はないだろう。
それに大阪でも壬生狼と疎まれる俺たちを、実家の旅籠で世話してくれると言うので、責め立てる気持ちはとくになかった。
山城屋の部屋に通された時、俺と沖田先生は二人部屋だった。俺は隊務ではなく個人的な用事で来たので、むしろ別宿の方がよかったのかもしれないけれど、沖田先生は気を使ってくれたのだろう。
それに、大阪の町に入った時壬生浪士組の隊服はかなり目についた。そんな中で俺だけ違う宿を探すのは、きっと色々な面で難儀することだろう。
始めから別行動であればまだやりようはあったが、俺と沖田先生、そして斎藤先生はあらかじめ下手人が同志たちと行動を共にして匿われているかもしれないことや、その連中が押し借りを行っている可能性についても話していたので、拠点は共に置いた方が良いと思ったのだ。
「ところで沖田先生、芹沢局長には話さなくて良かったんですか?」
「わたしが春野さんをお使いに出したと言っておきます───って、春野さんあなたその格好……」
俺はさっそく町人に紛れ込むべく、隊服を脱ぎ、袴も脱ぎ、持ってきた着物に着替えていく。それを沖田先生が横で見ながら徐々に表情を変えた。
「町娘の格好ですが?」
この人生でも小さい頃は女装の機会があり、母や兄からはサクラやサクラやと可愛がられたものである。ので、俺は変装と言えば女装なのだ。
笠をかぶって俯き歩くより、堂々周囲を見れた方が良いと言うもので。
「……芹沢先生にはくれぐれも見つからないでくださいよ!?」
「わははっ、はーい!」
俺は沖田先生の苦悩の表情から想像できる、芹沢局長が俺をみたときの様子を思い浮かべて笑った。
十中八九騒ぎ出し、俺を手元に置きたがることだろう。
着替えた後、山城屋の廊下をすたすたと歩いていると、角から出てきた山城に遭遇した。
向こうは見知らぬ客人とでも思い視界にただ入れるだけの顔をしていたが、すぐに俺に気が付いて目を丸める。
「はぇ!?……春野はん……?」
「山城さん、丁度良かった。探してたんだ」
髪を下ろして化粧をしていても、近くで見れば顔立ちで俺とわかるようだ。町をぶらぶらする際には芹沢先生や隊士たちに近づかないようにしなければ。
「お、俺んこと探して……? せやけど、どうしてそないな格好をしてはるんです?」
「町人に紛れて情報を集める為だよ」
「そらぁ納得でっけど」
山城は俺を手籠めにしようとしたくらいなので、やや興奮気味に俺の女姿を注視する。
「町娘に見えるよね?」
「へえ、それはもちろん。せやけど、」
「あとは髪を結えば完璧ってところ?」
言葉を濁す山城の意図を当てると、こくりと頷かれる。俺は着付けも化粧も自分で出来るが、髪を結わなかった。ちょっと苦手なのもあったが、髪結い屋に入って噂話でも聞こうと思ったからだ。
「この辺で、口の軽い髪結い屋さんを教えて欲しくて」
「! せやったら、俺が案内しますわ!」
山城は途端、飛びつくように俺の両手を握った。
京で見逃した恩として、大阪では多少こき使うのも悪くはないだろう。
「あれ、勘ちゃん?」
山城屋から出たところでふいに、呼びかけられて足を止める。勘ちゃんというのはこいつの名じゃないかと思っていると、女の子が気安げに山城に声をかけてきた。
隣にいる俺を見るなり彼女は「この人は」と首を傾げる。
「"勘ちゃん"うちの他にも女がいてるん? うちは京だけの遊びやったん?」
ちょっとした意趣返しも兼ねて、俺は山城の肩に凭れて腕を抱える。するとその肩はぎょっと飛び跳ねた。
「な、ち、ちがいまっせ!? お小夜は幼馴染で、今度嫁行く言うねんから」
「あはは勘ちゃんたら何や、ムキになって。あんたも心配せんとええで、うちには夫婦になる人とややもおんねん」
女の子の名はどうやらお小夜さんというようで、山城の焦りと俺の嫉妬を笑い飛ばしながらお腹をそっと撫でた。
「なんだ、ソンした」
「あぁ~っ、なんていけずなんや、春野はん!」
俺は掴んでいた山城の腕をポイと投げ捨てる。
無駄に山城を喜ばせるだけだった。
「それより、どないしたん、髪を下ろした格好で。あ、まさかこんな昼間っからあんたら……」
「えへ、えぇ? いやあ、どないやろなあ」
「おい誤解を招くな」
事後だと思われたので、その不名誉は山城のデレデレした顔を押し退けて訂正する。
自分の不注意で崩れてしまったが、不器用で結い直せないために髪結い屋を紹介してもらうところなのだと。
「せやったら、うちに寄っていきよし」
「へ?」
お小夜さんがぱあっと明るい顔になる。
「うちあんたみたいな可愛い子ぉ、着飾ってみとおてん」
「こらお小夜、このお人はおまえのお人形さんごっこに付き合うてる暇はないんや!」
「あら、ええとこのお嬢さんやったの?」
「そうや! なんせ壬生ろ───」
目の前で話が進むにつれて、山城は"恩人"にあたる俺を町娘に任せるにはと気後れする。かといって壬生浪士組の隊士であり、つまるところ男だと暴露されるのも困った。なので、俺は山城の口を抑え込んで黙らせる。
「それなら、お願いしても良いですか?」
どちらにせよ町人からの情報が欲しかったので、この娘さんに世間話でもしてもらおうと、提案に乗ることにした。
喜んで道具を持ってくると言ったお小夜さんだったが、ふと何かを見つけるなり足を止めた。そして俺と山城の方を振り返る。その顔は頬を赤らめ、瞳を輝かせたかわゆい顔だ。
「あれあれっ、うちの人やねん!」
「うん?」
「あの四つ辻を渡ってく大工! あぁ~こっち気づかへんかなあ。藤四郎はーんっ♡」
どうやらお小夜さんのイイヒトがいたらしい。
山城と俺は揃ってお小夜さんに身を寄せて、人混みに目を凝らした。確かに彼女の言う通り四辻のあたりを大工が通り過ぎた。
お小夜さんの声や身振りが大きかったせいか、その男はおもむろにこちらを見る。
するとお小夜さんは嬉しそうに飛び跳ねた。
男は照れ臭そうに手を振ったあと、去っていく。俺はその姿を静かに見送る。
だけど脳裏ではずっと、記憶を掘り返そうと頭を働かせていた。
「春野はん? 春野はん?」
ぼんやりした状態の俺を不思議に思ったのか、お小夜さんと山城が俺の顔を覗き込む。肩をつん、と突かれる衝撃を遅れて認識しながら、ゆっくりと視線を近くに戻した。
「今の方がお小夜さんの旦那さんですか。よかったら髪を結いながら、馴れ初めなど聞かせてくださいよ」
「え♡」
俺は俄然、彼女に興味が沸いた。
あれは、うちを襲って逃げて行った男に、よく似ていた。
主人公が忍者という強みがここにきて増す。
そして女装は絶対さす。(強い意思)
July 2025