sakura-zensen

春の雪

09話

お小夜さんに髪を結ってもらって別れた後、山城が団子を御馳走すると言うので店に入った。単に俺と連れだって歩きたかったのか、情報収集の手伝いをしたかったのか、それとも───。
「春野はん、その……お小夜のダンナのことなんやけど」
道に面した長椅子にかけてほおばっていると、神妙な顔をした山城が口を開く。
ああ、やっぱり。まあ横で聞いてりゃ、見当がつくわな。

お小夜さんの夫、缶藤四郎なる男は半年前に大阪に来たそうだ。元は長州藩の武士だったとお小夜さんが本人から聞いている。彼女は討幕だの佐幕だのことはよくわからず、俺を壬生浪士組の隊士とも思っていなかった。山城はその時つとめて動揺のないよう表情を取り繕ったけど、僅かな変化があったのを俺は見逃していない。
そもそも山城は俺の過去も、素性も、壬生浪士組の存在理由も知っている。一瞬でも壬生浪士組にいたのだから、もしあの男が尊攘派であれば俺たちが見過ごさないこともわかっていた。
幼馴染とその子供の未来、志士の矜持や隊務、そして俺の気持ちでも汲んでいるのか山城の表情は浮かない。まあ、割り切れと言う方が難しいだろう。彼は今やただの町人に戻ったのだし。
「───君が以前言った、大阪に下手人が逃げてきたっていう情報、あながちはずれでもなかったらしい。騙した、と言ったことを撤回する」
俺は明るく笑った。
そしてゆっくりと視線を落とす。「───ここから先は、俺一人でいい」と突き放した。
親切心もあったが、単純に一人で動いた方が都合が良いからだった。どうあがいても、山城の幼馴染の男という立場が、俺や壬生浪士組を止める理由にはならない。
だが、山城は案外しぶとく嫌がった。
「俺かて武士になろうとした身やさかい、春野はんを邪魔だてする気はありまへん! 」
その言葉に拍子抜けする。お小夜さんのことはいいのか、と。
どうやら沖田先生の殺気を浴びて、命のやり取りをする場で沸き起こる本能的な衝動が癖になったみたいだ。───武士になりたい、壬生浪士組ひいては俺の本懐を遂げさせたい、そんな炎に燃えている。
次いで山城は強引に、俺を友人の船戸に引き合わせた。
この男はかつて京でも一緒にいた。蔵で俺を押さえるのに一役買おうとして沈んだ。顔を合わせた時に「ひぇ」と引き攣った声を出されてしまったが、山城が逃がさなかった。
「この辰吉、童の頃から目明しに憧れとって、めっちゃ情報通でんねん」
「フウン。じゃあ隊内で俺の過去について調べてきたのも?」
「「あ……、あはは」」
二人は揃って目を逸らした。
「ちょっと揶揄っただけ。───お小夜さんの旦那、缶藤四郎について知ってることを教えて」
「……春野はんには詫びも込めて協力しまっけど、勘二は捕り物に首突っ込もうやなんてろくなことにならへんで、やめェや」
俺は船戸の言葉に深く頷いたが、山城は聞く耳を持たなかった。

船戸から聞きだせた缶についての情報は、あまり多くはなかった。素性についてはそもそも、お小夜さんが言っていたのが確かなのだろう。しかし新鮮な目撃情報だけは得られた。
町のはずれにある、十年以上前に廃寺になった『善楽寺』の方へ歩いて行くのを見たと言う。
山城と船戸曰く、その寺は通称妖怪寺ともいわれており、夜な夜な人魂が見えたり、声がしたりと気味が悪いのだそう。だから人も寄り付かない。
───つまり、潜伏場所にはもってこいということだ。当初考えていた通り、大阪で横行している押し借りの連中は、缶とその仲間である可能性が高い。


話を聞き終えても山城は離れなかったので、しかたなく善楽寺に案内させる役目をおわせた。船戸は口では止めるが、行動を制することができる存在ではないらしかった。
商店や民家の並ぶ町をはずれ、雑木林に囲まれた人気のない道をゆくと次第に日が暮れはじめた。
その薄闇は、近距離にいる山城の顔すらも見えなくした。
明かりがないのは不便だが、偵察にはもってこい。───しかし、横で震える男はやっぱり足手まといな気がしてならない。
「春野はん、ほんまに行かはるんでっか?」
「くっつくな」
俺の着物の袖を握りしめ、さぶいぼ立ったと震えている情けない男を押し返す。
寺の堂の中がぼんやりと光った時に人魂だと悲鳴をあげそうになるのを、口で押えるついでに顔を手で覆った。
「明かりをつけた。人がいる証拠だ」
「……っ……っ……!」
ふごふごと俺の手の中で息を殺す山城の、肩を掴んで屈ませる。
背の高い茫々に生えた草叢の中に座り込んだ。それは遠くから人の気配がしてくるのと同時で、俺たちは暗闇の中で息を殺してさらに身を低くした。
雲が移ろうにつれて、月灯りが照らす場所を変える。それは運という風が味方をするように、向こうから来る人を照らして林の中を泳いでいった。
見えたのは三名の男だ。二本差しの影がある。歩き方は剣を扱う者のそれだ。
「……堂の中に一人以上いるとして、最低四人」
呟きながら、山城の様子を窺った。
刀は一本腰に差しているが、京にいたころの稽古の感じは、格好つけの派手な立ち回りの男だった記憶がある。実際に人を斬ったことはなさそうだ。
仮に奴らに囲まれたら、奇跡的に一人くらい斬れても、その隙にすぐやられそう。そうなっては山城屋と船戸に面目が立たない。
斯くして俺は、山城に旅籠屋へ戻るように言いつけた。
「春野はんをおいてきゃしまへん」
「俺はここで待機しながら様子を見たい。斎藤先生と沖田先生に事態を伝えて欲しいんだ」
山城は嫌がったが、事態を飲み込み後ろ髪引かれながらもかけていく。
その足音に反応して寺が騒がしくなることもなく、すっかり暮れた夜闇の静けさが辺りを覆った。

男の足で駆ければ山城屋に戻るまでそう時間はかからないだろう。斎藤先生と沖田先生はどちらか、または誰かしら隊士が待機しているはずだ。そうしてここに来るまでに要する時間を考えて、───さほど、時間が"ない"。
俺は木の陰に溶けた身体を、月下に照らした。

「ごめんくださいませ」

明かりの灯る堂の障子越し、浮かび上がる人影に向かって声をかけた。障子はほんのわずかな隙間のみが開けられ、そこに身を屈めた人影が映る。おそらく俺の姿を確認しているのだろう。
この瞬間に刀を差し込めば喉を突けただろうに、と思いながらも俺はまだ女のふりをした。
「ここに缶藤四郎さんがいると、お小夜さんから聞いてきたのですが」
「───」
障子の向こうがざわめく。缶は間違いなくこの奥におり、誰かしらが小夜の名を知ってるんだろう。
もう少しだけ障子が開いた。そして正面に出てきたのは、町で見かけた缶であった。
「女、おまえ、何者だ? お小夜とはどういう関係なのだ」
「お小夜さんとは関係があると言うほどではない。今日、偶然会って髪を結ってもらっただけ───その時、おまえの話を聞いたんだ」
「……俺の……?」
缶はややたじろぐ。周囲には思ってた以上の人数がおり、総勢八名もいるらしい。
ぐるりと部屋の中を見回して、部屋の出入り口の数、明りの位置を把握した。
途中俺の態度に無礼だと怒りをあらわにする男がいたが、関与せず缶のみを視界に入れる。今はまだ慌てる時ではない。
「缶藤四郎───半年ほど前に京で、左京区にある富永玄庵の診療所を襲っただろう? わたしはその生き残りだ」
「富永……まさか、おまえが富永───?」
缶はすぐに思い出したようだった。診療所を襲ったこともそうだが、俺の名前まで。
この瞬間に俺が男であることは少なくとも缶本人には知れたが、そのことを指摘する者は誰ひとりいなかった。どちらにせよ、小柄な身体と幼い顔立ちよって、油断されているに違いない。

俺は、ほとんど仇討ちを宣言したようなものだった。その時点で斬り捨てられてもおかしくなかったけど、相手は案外落ち着いていた。それもまた俺が幼く見えるがゆえだろう。
周囲はすぐに処分しようと息巻くが、缶は俺を「まだ何もわからないのだ」と庇う余裕があった。
「こやつは話がしたくてきたんだ、わかるはずだ」
缶の言葉に促された連中は改めて俺の格好を見た。
どこからどう見ても女にしか見えないだろう姿。当然腰に刀を佩いているわけでもない。一同は俺の幼さや女子然とした格好を見て、むっすりと黙る。その雰囲気を見て、缶に改めて問う。富永玄庵を討ったのは、証拠があってのことかと。

あの事件の後、俺は細々と情報を集めた。この連中のことも、思想のことも、指導者がいるのかも、何故我が家が襲われたのかも。
当初は近頃頻発していた、佐幕派への過激な『天誅』と見ていた。近い日に、役人が斬殺されて耳を切り落とされると言う事件もあったから。うちの父は幕府の元直参だったから、そのせいかと。しかし調べてみたらそれだけではない可能性が浮上した。

「富永玄庵は、佐幕尊王に限らず患者を治療した」
「だがそうして気を許した者から反幕派の内情を探る、密偵だったのだろう」
「事実あの診療所を接点にして洩れる情報が相次いでいた」

口々に言い出した謂れのない疑いに、唇を噛む。そう言うと思っていたさ。

「あの診療所はそんなものではなかった」

俺はすぐに否定を口にする。日々診療所の手伝いをしていた俺が知らないわけがない。もちろん、いくら俺がそう言っても、証拠にはなりはしないだろう。それに今更、診療所の燃え殻を復元することはできまい。
「それでなくとも、お前の兄は世間にも聞こえた佐幕派だった!」
「は───それだけ?」
周囲の連中の言葉に一応耳を傾けたが、俺は缶を見据える。あの日の実行犯の中で一人生き残ったのはこの男だけだ。
「密偵だった証拠もなく、思い込みで殺したんじゃないか」
缶は俺の話に狼狽を見せた。自分たちが証拠もなく暴挙に出たと非難され、たじろいでいるのだ。正義と信じていた行動なら、余計にその価値観はぐらつく。
「ないかもしれない内偵書きをおそれて診療所を燃やして、善良かもしれない医者を殺し、十五歳の子を取り囲んで足止めしろと命じたのか───情けないなア、桂小五郎は」
「なっ、きさま、桂先生を愚弄する気か!?」
長州藩の代表的指導者と言えばこれだ。そう思って鎌をかけたが、周囲はいともたやすく腹を立てる。缶は焦った顔で周囲を止めているが、俺が煽った連中はもはや怒りをおさめる気はないだろう。
今の幕府は夷狄に成すすべなく蹂躙を許しているとし、そんな情けない幕府を一刻も早く倒して政治を天皇に任せるべきだと言うのが尊王攘夷とされている。奴らもそれを口々に発し、例え間違えていたのだとしても、大義の為にはしかたがなかったと言っていた。
俺は思想だの国事だのを語るのは得意ではない。だけど大きな歴史の流れによって死ぬ人々をただ見過ごすのは、生きている人間としてはしてはいけないことだと思った。
許すとか憎むとかじゃなくて、悲しみ、知り、忘れず、どう生きるか───。

今まで勤皇だの佐幕だのを考えたことはなかった。"歴史的に"いずれ江戸幕府は終わるというのが念頭にはあった。それでも今生きている俺は、父と兄の無念の死によって"知っている"未来について考えるのは辞めた。未来はまだ来ていない。だから今を生きる道を、もう決めた。

「───俺は壬生浪士組、春野だ」

え、と周囲が騒然とする中で身を屈めて走った。背後の戸の外に気配があったからだ。
「明り、確保します!」
声を張り上げながら、転がるように人の間を縫う。そうして飛び込んだ先にある灯篭を一つひっつかんで、部屋の隅に背をへばりつける。
その時障子が勢いよく開かれ、月を背に人影が二つ浮かび上がっていた。



山城くんは本来、ここで武士として死ぬのですが、主人公がコレだと武士になれなくない? と思ってこういう形に。
これを命が助かったのだからよしとするべきか、武士になれないと悔やむべきか。

July 2025