sakura-zensen

春の雪

10話

*斎藤一視点

壬生浪士組とわかる出立ちで急遽下った大阪。町人たちからの厳しい目つきに難儀した我々を世話してくれたのは、元隊士・山城勘二の実家が営む旅籠屋だった。
連れてきた隊士を半数ずつ待機と仮眠に分けた一方で、酒乱の芹沢が乱痴気騒ぎを起こしている。沖田さんと春野だけがこの喧噪とは無縁だった。
沖田さんは隊務の為の所用、春野は隊務ではなく私用で不在にしている。
春野の私用というのは父兄の仇である浪士を探すためであったが、結局のところ同じ目的の様な気がしている。───大阪で横行している壬生浪士組を騙った押し借りは、我らの名を貶めたい連中であり、おそらく尊王攘夷を掲げる長州藩の者だろう。そして春野の仇も同じく長州藩。
富永診療所を襲い生き残った者は一人だとしても、巣に帰れば同志は多数いるはずで、今はその連中と行動を共にし、新たな活動を行っていると思われた。
しかし沖田さんが春野を一人で町に放ったのは、春野の情報収集能力や剣の腕を見込んでのことではなく、隊務から外れ好きにさせてやる甘やかしに思えて、些か気に入らない。いや、不満というわけではないのだが。───沖田さんは、春野をまだよく知らない、というのが俺の意見だ。

先に帰って来たのは沖田さんの方だった。残してあった夕餉を食べながら、春野の帰りが遅いことに少し気を揉んでいる。
「暗くなる前には帰るように言ったのに」
「春野を心配する必要はないと思うが」
「別に心配は……」
何か言いかけたその口は、結局漬物を噛み砕く音を発した。
「春野を隊務に加えなかったのは、あんたが甘やかしているからだろう」
俺がそう指摘すると、沖田さんは俺の方が春野に甘いと言い返してきた。俺は甘くなどない。確かに春野を評価してるだろうが、それは人より多く春野を知っていると自負しているからこそだった。
けして、かわゆい弟に目を曇らせているわけではない。
「あんたは、春野が人を斬ったことがないと思うか?」
俺の問いかけに対し、沖田さんは妙な態度でたじろいだ。おそらく、察してはいるのだろう。

俺が富永診療所の襲撃を人づてに聞いて、経緯を知るべく得た情報によると、襲撃の日、春野は外出していた。そこで三名の浪士に囲まれたが、それを打破して家に駆け付けている。春野を囲った浪士たちは斬殺されており、町人たちは『童が次々に斬り殺して、逃げていった』と証言した。
春野は必要に応じて人を斬れる男だし、その判断も動きも速い。剣術の稽古ではけして明らかになることのない春野の姿だ。

「認識を改めます。───が、それとこれとは別でして……、」

沖田さんの言葉がふいに途切れる。ドタバタと足音がしてきたせいだろう。何事かと思い視線をやると、山城が俺たちの元に飛び込んできた。
「お、おお、沖田先生!!!! 斎藤先生!!」
蒼褪めた顔に、脂汗を滲ませ、喉から苦しそうな息と共に吐露するそれは、春野の名だった。



春野は診療所を襲撃した男を見つけたらしい。そしてその男は、廃寺に潜伏しているようだ。仲間がおり、少なくとも四名以上である。
そこまで偵察したところで、春野は山城に俺達への斥候を命じたというわけだ。
やはり───、と俺と沖田さんは無言で目を合わせて頷く。
外に出る時に旅籠屋の木札をもらい、山城には例の寺まで道案内を任せた。
「春野はん、刀も持たんといてますのや」
「───ああ、あの格好じゃ、刀を持てませんね」
「?」
沖田さんの分かった風な口ぶりに首を傾げていると、事情を話してくれた。どうやら春野は町人に混じって情報を得るべく、女子の格好をしているそうだ。
確かにあの幼さの残る中性的な顔立ちと、線の細い体格なら着物を変えて髪を結えば女子にも見えるだろう。
富永も、江戸にいたころから時折女子の格好をしては得をしていた、と言っていたような。
「万が一見つからはったら、どないしよ……」
「春野のことだから、そんなことは早々ないだろう」
「あの人、気配を消すのは熟練ですからね」
こんな会話をしながら歩くと、いよいよ寺の輪郭が遠くに見えてくる。俺たちは明かりを消した。
山城はこの付近で春野と別れたそうなのだが、当人は一向に姿を見せなかった。俺たちを呼んでおいて気づかないわけがない。さもなくば、もっと近づいて偵察しているのだろう。
「勝手に深入りをしているのでしょうか。……まったく」
「躾が必要だな」
俺と沖田さんは頷き合う。
あれは下手を打つような真似はせんが、時折こちらが驚くほど独りよがりなことをする。

山城にはこれ以上同行せず帰るよう命じた。だが酷く心配しているようであり、また己も武士になりたいと息巻いて伴に戦おうとした。対して沖田さんは冷たく、邪魔だと言い放つ。にべもない言葉だが、それは火を見るより明らかなことだ。
これは春野の問題と、壬生浪士組としての問題どちらもが懸かっているのだ。おそらく春野に惚れでもしている、一人の男の恋に構っていられる時分ではなかった。

闇に潜んで近づいた堂の周りは、非常に静かだった。
堂内の明りに写る影を見るに八人はいた。そのうち一人が春野かは定かではないが、二人で相手にして勝てるかを沖田さんと話し合う。
「ここまで来て春野さんが出てこないのを見ると、中に居ると見て良いでしょうね」
「生きていると思うか?」
沖田さんは俺の問いには答えない。だが俺たちは不思議と、死んでるとは思えなかった。
春野はおおかた、俺たちが隊務として事に当たれば自分の出る幕がないと、先駆けたのだろう。そんな気はしていたが、命知らずな奴だと思う。しかし、いくら仇が相手だとはいえ、春野が命を擲つ行動に出るとは思えないのだ。女子の格好をしていることといい、何か勝算があってのことにも思える。
「生きていれば、春野はおそらく何らかの合図をよこすと思う」
「その後、明かりの確保に走る───と言ったところですかねえ」
「うん」
俺と沖田さんはここへきて、少しずつ春野への認識のすり合わせが出来てきたように思う。
万が一暗室になったの時の為に、木札を二つ括りつけて俺だけは音が鳴るようにしながら、障子の前に潜んだ。
中では荒事が起きている物音や悲鳴はなく、しかししきりに論じるような張り上げる声があった。内容までは聞き取れないが、障子に爪を引っ掛けてわずかな隙間を作った瞬間、凛とした声が突き抜けた。

「俺は壬生浪士組、春野だ」

室内は水を打ったように静まり返る。
「───明り、確保します!」
声に誘われるように、俺も沖田さんも叩きつけるように障子を開いた。春野は直前まで目の前にいたようだが、身を屈めて部屋の奥へと飛び込んでいく。宣言通り、部屋の中を照らす灯篭を掴みに行くためだ。
おそらく俺たちがここへきている頃だと分かっていたのだろう。もしくは微かな物音も聞き取ったのか。
この"戦さ慣れ"した思考回路には驚かされるが、今はそんなことに構わず、室内を見回した。
そして、俺も沖田さんも春野と同じように名乗りを上げた。


春野は聞いていた通り女子の格好をしていた。部屋の奥の壁に背を向け、灯篭を手にした後に付近にいた男の頸を突く。気絶まではしないが、怯んだすきに着物の裾を割り広げて脚を開き、勢いよく相手を蹴り飛ばした。そうして奪った刀を片手に、応戦までし始める。俺が春野の様子を見ていられたのもそこまでだが、ついぞ室内に灯りが絶やされることはなかった。
敵方は最後大工の格好をした男の一人に息がある状態になった。
山城の話ではこの者が春野の仇だった。
春野は乱闘の末に髪がほどけ、着物は着崩れ、返り血を浴びていた。未だに明かりを手に持ったまま、静かに堂内の真ん中に立っている。
「どうした、殺さぬのか───仇討ちに来たのだろう」
男は春野に挑戦的に笑った。手首を切り落とされ三人に囲まれれば、覚悟は決めたようで逃げるそぶりはない。
名は確か、缶だったか。山城の幼馴染の夫でもあるらしい。
春野は人情には篤いはずだが、斯くしてこの男を討つだろうか。その思いまでは俺には推察できなかった。沖田さんも同様で、春野と缶の対面を静観している。
「俺はあんたを討たない」
「な、」
春野は缶の前に膝をついた。微笑みさえ浮かべ、穏やかな凪いだ口調で話している。
「恨みはないのか!? 許すというのか……?」
「許したわけじゃない」
ただその目だけは、力強い意思に燃えていた。
「───あの日がなければ、壬生浪士組春野として生きようと思わなかっただろう。見ていろよ。これが俺の仇討ちのやり方だ」
「……そうか、ならば、……ならばこそ俺は」
缶は驚いた顔から次第に、笑みを浮かべる。言いかけた言葉の最中、左手で傍にあった刃を素早くとった。
「志士の一人として示さねばならぬ」
そして、割腹した。
春野は一瞬だけ目を見開いたが、やがてゆっくりと息を吐き出して、命が途切れ行く瞬間を見ていた。妻子と生きるより、志に殉じた男の最期を。



「───俺、武士にはやっぱり向いてないんですかね」

帰り道での夜襲を警戒し、朝まで林の中で待機する最中、春野はぽつりと口にした。言葉遣いがいくらか気安いのは、相手が俺で、敬愛する沖田さんが寝こけているからだろう。あの人は寝ていても人の声が聞こえるが、放っておく。
「仇を討たなかったからか?」
「うん」
「俺はそうは思わんよ。まあ、富永なら何というかな」
「……あは」
春野が困ったように笑ったのが、月灯りに照らされた。


───俺がと初めて会ったのは、京の地に来てすぐのことだった。
直前、江戸で初めて人を殺めていた。道場に身を寄せて自分を律し直すと決めたばかりの俺は、そこに時折出入りする童を見て首を傾げた。それがだ。とびぬけて小さかったので、やけに目についた。
聞けば俺と共に道場に通っている富永祐馬の弟らしく、普段は家業の診療所を手伝っていて鍛錬の頻度は低いらしい。
───「片手間で剣を握る、中途半端なガキや」
───「ほんにな。なんや意味あるんかいな。来いひんかったらええねん、あんなん」
俺がについて尋ねると、同門たちは口さがなく幼い子供を誹った。
後に知ったが、そいつらはから一本も取れたことがない者たちだった。

実際に俺が稽古の場で相対したのは、師範代になってからだ。は嫉妬される通り、俺と同年の門下生よりも強かった。
腕力や体力などは体格に恵まれた者たちに劣るが、戦いにおける勘と速度は抜群で、隙というものが無い。普段子犬のように懐っこくて柔らかな雰囲気は、戦いが始まれば豹変する。
水面のような静けさと繊細さを持ちながら、突風のような勇ましさを携えた、無垢な子供だと思った。
───「が成長すれば、きっと私などあっという間に追い越すだろう」
富永はある時、そう零した。
───「だからこそ、には医者の道に進んでほしい」
そこには悔しさや劣等感などはみじんもなかった。
花は桜木、人は武士。そう富永が口にしたのもその会話の流れだっただろう。の話と、どこか結びつきがあったように思う。俺も違和感なくその話に聞き入った。

「何というかはわからないが、富永の気持ちは、少しわかる」
「え」

耽っていた追想から帰って来る。
俺の言葉に振り向いたの顔つきは無防備だった。兄に関しては、よくその相好が綻びるものだ。
「お前をいつも心配し、愛し、誇りに思っている」
「そう……そうですね」
は再び、月に顔向けするように仰いだ。
その横顔は白く光る、夜桜のように美しかった。

口にはしなかったが、俺は友の思いを一つ、見つけてしまった。───憧れだ。
富永はきっと、の無垢な姿に桜を見たに違いない。



斎藤さんは隊士としては春野、個人的には下の名前で呼び分けています。

Aug 2025