sakura-zensen
春を追う
10話
まだ肌寒さを感じさせる風。うすぼんやりとしたはっきりしない空。
だけど今か今かと心が逸る、そんな季節、春。
桜の花が少し風に吹かれるだけで散り、道路の端を埋めていくのがこの国の春の風物詩だろう。
雑踏を行き交う人たちの中に紛れ込みながら、耳や目や嗅覚を使って無意識に人を探した。
捜査ってわけでもなければ、ここにいると確信したわけでもないのに。
ただ、連絡がつかなくなって大分経つ。メッセージアプリのアカウントは消えてなくて、送ったメッセージには遅れて既読が付くから連絡先は変えてないはず。
意図してこちらと交流せず、消息を絶ったというのは、すぐに分かった。
「二助……」
声にせず唇で転がしたのは、弟の名前だ。
最後に連絡があったのは去年の10月頃。俺と萩原が大観覧車の爆発に巻き込まれる前のこと。
───『僕、警察官になるのは辞めることにした』
一人暮らしの部屋で電話に出ていた俺は、思わずスマホを落としそうになった。
俺が自分の鼻を生かせるのは刑事だと言って警察官を目指した時、「じゃあ僕もなろうかな」と言ってきたので情熱はいまいちだった。でも変に対抗意識を燃やしていわゆるキャリア組を目指すとかいって、本当に資格まで取ったのに。
「も、勿体無くないか? なんか嫌な事があった?」
『ううん嫌なことはないよ。ただ、兄さんの後を追うがまま警察になるのはなんか違うんじゃないかって思って』
それ、思うの遅くないか? と思ったが、俺は二助の本心を探るべく黙って聞く。
『兄さんには嗅覚とズバ抜けた身体能力があるけど、僕には嗅覚と優秀な頭脳があるじゃない?』
「?? ウン」
『だから、兄さんが行かなかった、医学の道に進もうと思ってさ』
「───……おまえ……」
結局俺の後を追ってないか? そう思いつつ、言葉は出てこなかった。
多分これは二助の、本心じゃない気がする。だけど、血迷ってこんなことを言ってるようにも思えない。それならもっと取り乱しているはずだから。
「具体的には、警察をやめてどうする気?」
『とりあえずまた大学にでも入るかな。だから、しばらく忙しくなりそうなんだ』
「父さんと母さんには話した?」
『うん、僕なら大丈夫だろうってさ。自分で言ったことだけど、うちの家族は能天気すぎるよね……まあ、今はそれでよかったと思うけど』
電話口で笑った二助に対して俺も笑った。
マリーアントワネットのような格好をした母や、犬並みの嗅覚を持ちながらごくごく平凡な社会人をやり通した父は、確かに能天気だろう。
「わかった。二人と同じく俺も応援する。先行きが決まったら連絡して」
『うん、ありがと。……ああそうだ、兄さんって───』
あの日、二助は警察を辞めると言った後は他愛もない雑談をして電話を切った。
それ以来声は聴いていないし、メッセージにも返事がない。
俺の知ってる住居は警察の独身寮だったから、もちろん今はいるはずもない。
あの電話での進路変更っぷりからして、ニ助は言葉にしないが何かを含ませていたはず。
だから本格的な捜索はしていないし、両親にも相談はしていない。
ただ、わかってはいても、すれ違った人の中に弟の痕跡を探してしまう。
目だけでなく耳も、鼻も、全部使って───あ、れ?
「まっ、」
今すれ違った人を、咄嗟に振り返る。
あげかけた声は言葉にならなくて、引き留めにならず、背中が人混みの中に消えた。だけど俺が気づいたのはその人の姿や話し声にニ助を感じたからではない。匂いだ。
微かに香るそれを追いかけることはできた。東京の人混みの中、いろんな匂いは混ざっていたけど距離はそこまで離れていない。
しばらくすると、その匂いの元は横断歩道の信号の前で足を止めた。俺より背の高い、歳は同じくらいの男性と思われる。
とくに足音を隠すことなく近づいていき、信号が青になる前にその青年の背後から手を伸ばして、肘の辺りに腕を絡める。
「え、」
青年は、誰かが近づいて来たことには気づいていても、まさか腕を組まれると思ってなかっただろう驚きに身体を揺らす。
だけど俺が若い見た目の派手な服着た女に見えたことで、そこまでの警戒はなかった。
「おにいさん」
「えっと、なに?」
「カッコいいね、これから時間あったら飲みにいかない?」
俺の唐突で軽薄な誘いに、彼は一瞬目を見開く。あまり乗ってくるタイプではなさそうで、いやと口ごもりながらさり気なく腕を逃れようとした。
それを俺はぎゅっと抱きしめることで阻む。まだこの状態では力づくで逃げようとはしないらしい。
「人助けと思って、だめ?」
俺はわざと小声で囁いた。それから、勘違いさせるように背後を一瞥。
男はそれに釣られて背後に目をやったが、誰をその目にとらえたかは不明だ。
横断歩道が青になると周囲が動き出す流れができ、俺たちもそれに乗って動き出す。
腕は無理に剥がそうとされず、歩調は俺を気遣ってかゆっくりめ。そのことに内心で手応えを感じながら、更に言葉を続けた。
「人の多い居酒屋とかどう? おごるからさ」
───と、こうして居酒屋に連れ込んだのが今目の前に座っている男である。
「俺が誰かに付き纏われてると察して、合わせてくれたんだよ。良い子だねエ」
「……はは、すっかり騙された」
「おいおいヒロの旦那~そりゃちょっと、ちょれーんじゃねえのォ? こういうオンナが好みだったのか~?」
「ある意味ハニートラップに引っかかってるもんな」
「てか諸伏ちゃんに弟クンの匂いがついてるってのはマジなんスか?」
「マジ」
連れ込んだ居酒屋には偶然にも後輩三人がいて、なおかつ連れ込んだのが奴らの同期の一人だと言うことが判明した。
この諸伏は現在警察を辞めて、夢を追ってるバンドマンだというが、それは表向きの話。少ない言葉で、人には言えない部署にいることが仄めかされた。
諸伏が俺にまでそれを教えてくれたのは、居合わせた同期たちのおかげだろう。俺が刑事であることが保証され、なおかつ弟が似たような経緯で消息を絶ったように思えたから。
「それにしても、花森さんの弟さんかあ……今日会った人って言われても、かなりいるし。どのくらいそばにいるかで匂いがつく度合いがかわるのかな? おそらく同じ空間にいないと付着しないレベルで─── あ、顔って似てるの?」
諸伏は突飛な俺の嗅覚を案外あっさり受け入れていた。それはおそらく、ここにいるみんなが保証しているからだろう。しかしそれによって、俺の弟を記憶から探し出そうとする。
俺が諸伏を引き止めて探ろうとしたのはあくまで、相手がカタギである場合のみで、警察官の職務のことなら探るのはルール違反だ。
「いやもうこの話はよそう」
「……! ああ、それもそうか」
俺と諸伏が互いに警察関係者だと判明した以上、人目のつくところで一緒にいるのは避けた方がいい。
そのことを示唆すれば諸伏はこくりと頷いた。
「お前らも席戻れい。俺たちは出ようか」
三人の後輩どもはシッシと追いやって、俺たちはテーブルの番号札を回収して席を立つ。
外に出たら、別々の方向に分かれようと話していたが、俺は別れる前にいったん足を止めて腕を開いた。
何かと首を傾げる諸伏に「ハグしていい?」と問いかける。
「俺が弟さんの匂いつけてるから?」
「うん」
「大好きなんだな」
いっそ清々しいまでの代償行為だが、諸伏は笑って俺にハグさせてくれた。はたからみたら、飲み屋から出てイチャつくカップルである。
「弟にあったら、まあよろしく?」
「今のところ、手掛かりが少ないから会ってもわからないと思うけど、わかった」
「うーん、じゃあこれ持っていってよ」
ハグを解き距離をとりながらネックレスを外した。
シックなデザインのユニセックスなものなので、諸伏が持ってても変ではないだろう。反射的に受け取った諸伏は、不思議そうにしていたけどジャケットのポケットに入れて持ち帰ることにした。
諸伏は俺の嗅覚については認知したが、ニ助の嗅覚までは思い至っていないだろう。
だからネックレスは俺と会ったことを弟に知らせる『目印』になるとか思ったかも知れないが、本当のところはそうではない。
あのネックレスについてる俺の匂いはおそらく、数日は持つはずだ。
尚且つ、物として諸伏が持っているなら、盗んだり拾ったりする以外には当然、同意の上で貰ったと思うだろう。
そこから先はニ助がどこまで探りを入れられるか、またニ助の反応に対し諸伏が気づけるかに掛かっているが───潜入捜査の手助けというよりは、俺がただ、ニ助にも俺の匂いを教えたかっただけかもしれない。
夜の街に消えていく、存在を消された同胞の背を少しだけ眺めてから、俺は反対方向へと足を進めた。
(オマケ 諸伏視点)
赤信号の横断歩道の前で立っていた俺の背後に、近づいてくる足音があった。少し急いでいる風でもあったが、これ以上は進めないはずなのにおかしいなと思ったのが最初の違和感だ。
すぐそばまで来たその人物を見ようか迷っているうちに、俺の腕に誰かが触れた。
その足音の持ち主だった。
格好いいから飲みに行こう、というありきたりな誘い文句をしてきた女性だったけど、明朗な雰囲気の中に一瞬だけ儚さを滲ませた。
「人助けと思って、だめ?」
彼女は背後を一瞬だけ不安そうに振り返ってそう言う。
やんわりと振りほどこうとしていた腕から、力が抜けるのが自分でも分かった。咄嗟に守らないと、と思ってしまったのが運のツキ。
彼女の正体は、不審人物に追われている女性なんてものではなく、萩原の先輩刑事である男だった。
それが判明した時は自分の至らなさに凹んだけど、相手は俺より経験を積んだ警察官ということで溜飲を下げた。
聞けば普段から女装して周囲の油断を誘ってるらしく、年季が違う。
とはいえやっぱり潜入捜査をしている身としては、ハニートラップに引っかることのないようにと気を引き締めた。松田のいう『好みのタイプ』ってはずじゃないのに、何故だか放っておけない雰囲気は見事だった。
今回花森さんに出逢えたのは全くの偶然だったが、俺はその出会いによって学ぶこともあったし、久々に同期にも会えた。それに、もしかしたら同じ組織に潜入してるゼロ以外にも同胞が潜んでいるかもしれないという情報も得られた。
帰りの夜道では桜が綺麗だったし、久々に満たされるような気分で家に戻れる。
たとえ、胸に入れたスマホに潜入先の組織から連絡が来ていても、いつもより感じる憂欝は少なかった。
「───すみません、度々呼び出しちゃって」
「いや、いいんだ。結果は気になってたしな」
呼び出された先にいたのは今日、俺が組織の仕事で回収してきた物を預けた研究員だ。白衣姿の線の細い青年で、多分俺と同年代とかそこらだろう。
淡々と説明をしている姿や、愛想笑いはするが目が笑ってない部分は皮肉屋っぽい。
「……匂います」
「え!?」
ふと説明を切った研究員が言った言葉に、思わずたじろぐ。
「あ、汗くさいっ? ごめんな」
「いえ、アルコールの匂いが。……コードネームを持つ者らしく、優雅でよろしいですね」
「ああ、そういうことか。たしかにさっき───」
一介の研究員である彼は最近入ったばかりだと聞くし、おそらく上昇思考が強い。それで俺に刺々しいんだろうが、このくらいで腹を立てることもない。
けれど俺は、過去を振り返ろうと声を出しながら、言葉がしぼんでいくのがわかる。
なぜなら俺は、居酒屋には入ったがアルコールは口にしていないからだ。
呼気から感じるはずもなければ、衣類や頭髪についてたとして、たばこや油の匂いの方が強くするような気がする。
それをアルコールの匂いがすると言えるなら、余程鼻が良くないと───。
「……佐倉、」
ぽつりと目の前の男の名前を呟く。
奇しくもさっきまで会っていた人の偽名と、同じ響きを持っていた。そして何より、桜という警察をあらわす意味も持つ名ってことも結びつく。
「なんです」
「いや、うーん。これ、さっきそこで拾ったんだ。お前のか?」
「!」
俺は賭けに出ることにした。
ポケットに入れていた、花森さんのネックレスをさもこの施設内で拾ったかのように言う。
花森さんは何も言わなかったが、もしあの人の驚異的な嗅覚が遺伝性で、弟にも受け継がれているなら。人混みの中弟の匂いを嗅ぎつけた彼同様に、弟も別れ際にハグをしてきた兄の匂い、そしてネックレスに付着している匂いもわかるのかもしれない。
驚いたような佐倉はしかし、ネックレスや俺を交互に見た後、不機嫌そうに眉をひそめた。
「そんな趣味の悪いネックレスが僕の物なわけないでしょう」
……あれ、違うのか……?
ひろくゅは素直に自分の兄さんが好きだって言えるタイプなので、永遠の反抗期ブラコンの気持ちがわからなぃ。。。
May. 2026