sakura-zensen

春を追う

11話

冷たい雨が降っている。
黒く濡れた石畳を歩くたびに水が跳ねた。傘に付着した雨粒はくすんだ白い空を反射してチカチカと光った。
手袋をするほどでもないからと、素手で傘を握る手はかじかみ、そろそろ我慢の限界だった。
「なんか目立たねえ場所にあるもんスね」
建物の軒先に入って、傘についた水を落としながら萩原が言うので同意した。
ここは都内某所にある、霊園の片隅にぽつりと建てられた小さな納骨堂だ。

ぎこちない手つきで傘のベルトを締めて、置かれていた傘立てに俺たちの傘を立てかけた。
他に来ている人がいないのか、それ以外に傘はなかった。
ガラス張りのドアを開けて中に入ると、線香や仏花、蝋燭やなんかの独特の香りが漂っていた。
受付には50代くらいの男性職員がいて、俺たちが近づいて行くと挨拶をされる。
俺と萩原はそっと警察手帳を見せながら口を開いた。



逮捕後の被疑者が死亡した場合、刑事的な処理が終わった後に遺体は遺族また引受人に戻され荼毘に臥されるのが通常だ。
けれど引受人がいなかったり、拒否をされることが稀にある。その場合は刑事施設の長が責任者として火葬の処理を行うのが一般的な規則となっていた。
今から五年前に起きた爆弾事件の被疑者もそうだった。引取り手がおらず、火葬された後にこの霊園の納骨堂へと収められた。
今回俺は初めてこの施設を訪れ、受付の職員に被疑者の遺骨に誰かがお参りに来なかったか聞いてみた。でも、それらしい人物に会ったことはないとのこと。
俺と萩原は残念に思いながらも、遺骨に会って手を合わせてから帰ろうと細い通路から繋がる階段を上がり始めた。

「───さすがに、訪ねてはこないか……」
「まあ、見る人が見りゃわかる場所だし、そんな度胸はないんじゃないスかねえ」

周囲に人がいないのをいいことに、落胆を零した。
期待していなかったけど、それでも一縷の希望はあったのだ。
「そういや、ソレ、ここに来るための喪服ですか? 律義スねえ」
いじいじしてた俺を見かねてか、萩原がつとめて明るく振舞う。ソレっていうのは俺の今の格好のことだろう。黒いスーツに、短髪のウィッグをはめてるので今日の俺は普通の成人男性だ。
「ん、ああ、そう言う意味もあるけど元々持ってるスーツ少ないんだよね」
「へえ~。俺はてっきりその格好の為の男装かと」
朝から捜査一課の人たちに二度見されたり、なんなら「誰だ」って聞かれたりしたけど、萩原もちょっと驚いていたっけな。
だけどすぐに外に連れ出したので、今話題にしたって感じだろう。
「───去年の大観覧車に乗り込むとき、姿を見られているから念のためね。俺はほら、特徴的だから」
「まあたしかに。じゃあ俺も変装したほうがよかったかねえ……グローブボックスに松田のサングラスがあったかも」
萩原の口から三日に一回は聞く幼馴染の名前に、自然と口角が上がった。
そうしているうちに目当ての階についた俺たちは、どちらからともなく廊下に出る。案内に従って進むと開けた部屋がすぐに見つかった。

ずらりとロッカーのような棚がならび、中心の奥まった場所には仏像がある。
俺たちは受付で預かった鍵を使い、ロッカーから骨壺を取り出した。そして仏像の傍にある台座にもってくると、付近には色々と仏具が用意されていて線香を焚いたり、おりんを鳴らして弔うことができるって寸法だ。
「お前の相棒は薄情なしだねエ……」
揶揄するように話しかけながら、おりんの音を鳴らした。長引く余韻の間は静かに黙とうをささげる。
萩原も俺の行動に倣って目を瞑っていたみたいで、俺が身じろぎをすると視界の端で下げていた頭を持ち上げるのが分かった。

結局その日は被疑者のかつての住居、暮らした土地土地など、追える限り生きてた頃の足取りを追った。最後は爆弾を仕掛けたマンションにも。
被疑者の半生は書面で知っていたが、昔の知り合いから聞けた話はややあった。かといって、特別親しくしていた人や、誰かと一緒に住んでいたことを知る者はおらず、共犯者に目星はついていない。
昨年の事件後の捜査すら膠着状態なことからして、簡単に新しい情報が見つかるとは思えないが。
それでも細々と合間を縫っての捜査は続けさせてくれる班長に感謝しながら、俺と萩原は相棒になってから二回目の11月21日を迎えた。───その日は、何も起こらなかった。

去年の企みが失敗に終わったから、今年もすぐにリベンジして来る可能性。または、カウントダウンしてきたように数年おく可能性。そのどちらになるのかは読めないというのが正直なところだったが、こうなったか。
相手が執念深くこだわりが強いので、もう一度11月21日に事を起こすことだけは確かだ。

「また一年待つのか。チクショウ、じれってーな」

翌日の22日。俺と桐島さんはどちらとも非番にしていたので、二人で田村さんちに集合していた。昨日何もなかったことも、あと一年待つことも、当日来るのか来ないのか悩むことも全部じれったいのは同意である。
「キリさん、花森さん、昼飯どうします?」
「あー……出前でも取るか。外出る気しねえーし」
「ですねえ」
他人の家で堂々ダラダラしている刑事二人に、家主の田村さんは甲斐甲斐しい態度である。舎弟のようだが実質桐島さんの情報屋兼ヒモみたいになっているような気がする。一応桐島さんがカタギの仕事に就かせたみたいだけど。
「はあ、一年前に捕まえられてればなあ」
「なんだ嫌味か? お?」
「え、いや、そんなつもりじゃ~~~~」
桐島さんを責めるつもりもなかったが、鼻をぎゅっと摘まんでひっぱられた。
ショッピングモールで俺たちを監視していたところを、どうにか追跡できればよかったと思ったのは事実だが、観覧車に乗り込んでしまった以上仕方がないと思っている。そもそも、観覧車と爆弾から、匂いをかぎ取ってからではないと俺も被疑者を見つけることはできないのだ。
しかしそれも、人の出入りの多い観覧車の個室の中では入り混じってしまっていたし、爆弾の内部からかぎ取れた匂いも微かなもので、個人を特定できるほど正確な匂いでもない。───忘れはしない、忘れはしないけど……桐島さんに解放された、ヒリヒリ痛む鼻を摩って胸の閊えを誤魔化した。
「お前死んだ被疑者の方の足取り追ったって言ってたけど、まだやるのか?」
「───はい。やるつもりです。相棒が、決起の前に儀式的にゆかりの地に来るかもしれませんから」
「そうか」
「キリさ~ん、花森さ~ん、メシ届きましたよーっ」
「「う~い」」
俺と桐島さんはこうして、ゆるやかにまた決意を固めた。
ちなみにこの話の間、田村麻呂はずっと俺に抱っこされていた。御年おそらく20年近くになるけれど、そもそも人前ではぐったりしていたので、本当にご老体なのかそうでないのか、正直分からない犬である。



「───え、田村麻呂が攫われたァ?」

田村さんちで田村麻呂と会ってから二週間ほどして、俺に田村麻呂が攫われたという連絡が入った。電話をかけてきたのは田村さんで、時刻はすでに夜20時を回っていた。
なんでも田村さんが仕事中、職場の厚意で事務所に置かせてもらっている田村麻呂がいなくなっていたとのこと。
『花森さんどうしよう。キリさんに言ったら、花森さんに探してもらえって』
「え~……まあ、いいケド」
桐島さん面倒くさくなって俺に丸投げしたなーっ!
「なんか、物騒なワード聞こえたんスけど……田村麻呂って誰なんスかね」
「そいつは花森の元情報屋だ」
「情報屋! 元ってことはもう引退しちまったんスか?」
「もうだいぶご老体だからなあ」
俺が田村さんを宥めつつ職場の位置を聞いている間に、横では萩原と重村さんが俺の電話相手や内容について話している。
犬ってことを言ってないので、萩原の想像ではおそらく人間になっているだろう。まあ、あえて犬だと教えることもないか。情報屋が犬ってアホっぽいし。

「はんちょー……」
「今日はもうやることなさそうだし、上がっていいぞ。行って話きいてこいや」
「ありがとうございます」

通話を終えて班長に声をかけると、説明するまでもなく許可がおりた。一応田村麻呂には情報をもらって事件解決の手掛かりになったことも多々ある。その功績があってのことだ。
俺はお礼を言って、荷物をまとめて席を立った。今日は重村さんと班長、それから萩原以外は出払ってるので特に説明は必要なさそうだ。
しかし萩原がえっと声をあげて立ち上がる。
「一人で行くんスか!? 俺も行きますよ」
「え、あー……多分誘拐じゃないから大丈夫だ」
重村さんと班長は特に誤解を解く気もないらしく、しらっとした顔をしている。
俺の裁量に任せてもらえてありがたいけれど、萩原がついてくる気満々みたいなので仕方なく説明をすることにした。
「田村麻呂は犬だから」
「え?」
「犬」
「いぬって、あのいぬ?」
「わんわんだ」
萩原は俺の話に目を点にして呆けた。が、それでも結局ついてくることになった。
班長め、萩原にも帰って良いなんて言わないでほしかったぜ。

「あ、でも車あるのラク~♡」
「でしょー♡」

田村麻呂の捜索は完全に仕事じゃないので、自分の足で行かなきゃいけなかったのだが萩原がいるなら車で行けるという利点がついてきてしまった。
ほへ……とだらしない顔で助手席にいる俺に、萩原はご満悦である。
先月頃から萩原は自分の車を捜査車両としても使い始めたので、俺は日に日にこの車の快適さにずぶずぶと足を取られていっている。
元々萩原が来てからは運転は萩原の役目になったし、車の運転は上手いし安全だし速いし、さらにこの性能の良い車になってしまったので……。
「俺もう他の車乗れないかも~」
「アッハッハ」
萩原は冗談めかして笑ってる。まあ俺も半分は冗談だ。
俺にも乗りたい車はあるし、運転したい気持ちもあるので。
でも助手席に乗るんなら、萩原の横が一番安心だなっていうのは本当かも。



田村さんの勤める金属加工会社には30分ほどで到着した。
駐車場でうろうろ落ち着きのない様子で待っていた田村さんは、俺たちが車から降りると泣きついてくる。
「花森さァん! どうしよう身代金とか要求されちゃうのぉ!?」
「大富豪ならともかく田村さんの犬攫って金の要求してくることはないでしょー」
「でもでもぉ!」
「いいから、どいてー」
足に縋りついてくるオッサンをやんわりとどかした。

萩原のことを軽く紹介した後、田村麻呂を普段預けている事務所に移動した。
工場長がまだ事務仕事をしてるんで施錠されてないそうだ。
ちなみに、普段事務所にいるのは事務員の女性三名だが、彼女らは17時半の定時には退社するそう。
施錠自体はされてないのと、工場の職員や工場長、他にも営業や経理が出入りできないこともない。

「田村さんが仕事を終えて事務所に来て、田村麻呂の不在に気付いたわけ?」
「そうなんですっ! だから誰かがその前に田村麻呂を……」
「一応事務の山田さんに連絡入れて聞いてみたけど、麻呂ちゃんも17時半まではちゃんといたそうなんですわ」

工場長からの証言と協力もあったようで、俺はほとんど誘拐事件を疑う線はなくなった。
心なし潰れかけてるクッションが田村麻呂の定位置のようで、匂いを確認してみたが田村麻呂の匂いと、別人の匂いがする。しかし、事務員の席にかかっているカーディガンやらひざ掛けやらと同じ匂いなので、職員が仕事の合間に触れたりしているってところだろう。
「あのー……これってただの犬が脱走しただけなんじゃ」
萩原は当然の指摘をしたが、田村さんや工場長、そして社員たちは全員田村麻呂が歩けないと信じ切っているようだった。


田村麻呂可愛い。
May. 2026