sakura-zensen
春を追う
12話
田村麻呂にはIDの入ったドッグタグを付けていて、保健所で照合されたら田村さんに連絡がいく手はずになっている。
というわけで、賢い田村麻呂なら困っていたら人に見つかる場所に居て、誰かに抱っこされて帰って来るだろう。
それがないということは、どこかに閉じ込められてしまったり、怪我をしてしまった可能性もなくはない。あとは何か事件に巻き込まれている可能性も。
そう判断して俺は、田村さんには先に家に帰るように伝えた。
「田村さん帰しちゃってよかったんスか」
「ああ、いても邪魔なだけだし」
「……」
俺は萩原を引き連れて、会社の周りを一周ぐるりと回った。
どうやら田村麻呂は事務所の窓から外に出て、裏手に回ったらしいことがわかる。
網になってるフェンスには小さな穴があけられていて、ここ通り抜けて敷地の外に出たんだろう。さすがに同じ場所を通るのは困難だったので、俺は網の隙間に足と指を引っかけてフェンスを越える。
「長くなりそうだから、先に帰ってもいいよ」
「いやいや、来る前にこうなることは承知の上ってね」
フェンスの向こう側にいた萩原に確認すると、遅れて俺と同様にフェンスを越えてきた。まあ、最初から犬が脱走したって話してあるんだから、付いてきた以上このことを想定していない方がおかしいか。
「───これ、田村麻呂の写真な」
「おお……、このすんげーダレてるのが?」
隣に立った萩原にスマホを渡して、田村さんに抱っこされてる田村麻呂の姿を確認させた。
ビーグルって犬種なのである程度想像はつくだろうけど、このダレてるときの顔に味があるのだ。
「こいつは知り合いに元気に歩いてるところを見られるのが嫌みたいでね。もう20年近くこんな感じらしい」
「なんで???」
しばらくして、田村麻呂の匂いは田村さんの家の方でもなく、住宅街でもなく、寂れた空き家や空きビルの多い街灯の少ない地域へと続いた。
このあたりは十年前に地盤が緩いとかで周辺に自治体から勧告が入り、続々と避難と転居が進んだ土地だ。しかし地盤の改良工事が始まることなく、ずっと放置されている。
人が入れないよう簡易的な柵で立ち入りを制限はしているが、特に見張りがいるわけでもないので『よくない連中』が出入りしていそうだ。……また何か犯罪現場かなー。
「ここに入り込んじゃったかー……」
萩原も同じことを思ったのか、閉鎖区域に入り込みながら苦笑いを零した。
「キレイなお姉さんにエサをもらいに行ってるワケじゃなさそうだ」
「なにそれ?」
「以前そういうことがあって」
俺はぽつりぽつりと、田村麻呂が以前一人暮らしのOLに懐いて、野良猫みたいに餌をもらっていた話をした。
「でもある日そのお姉さんがストーカーに殺されて、それを目撃した田村麻呂が被疑者を追いかけて何度も身の回り品を捥いで俺のところに持って来た」
「へ、へー……」
萩原は最初微笑まし気に聞いてたのだが、殺された話のあたりで笑顔が凍り、証拠品を捥いできた話のところで目が点になった。
「だから今回も、もしかしたら何か犯罪と関わってるかも……」
ひゅるり、とひと際冷たい風が吹いた。
街灯に電気も通されていない、月明りに照らされただけの廃墟の群れをじっと見つめた。
嗅ぎ覚えのある匂いと、知らない誰かの匂いが、微かに風に乗って俺の元へ届いた。
田村麻呂の薄れた匂いがふとした拍子に強くなった時、俺と萩原は人の走って来る足音を聞いて立ち止まった。
このあたりは一応閉鎖されているので、入ってきている人間がまともであるとは思えない。警戒して建物の隙間に身を潜めて待つ。
足音は二つ、服がはためいたり、擦れたりする音、金属やプラスチックなど堅いものがぶつかる音。それから、荒々しい息。
「っは、はぁ……く、……!」
疲労からくる苦痛、それから焦りや不安、恐怖にかられた喘ぐような声を聞いた。
俺たちの潜む隙間を横切った瞬間、その人物の姿は露わになる。丁度、雲の動きによって月が周囲を照らしたからよく見えた。
運命がまるで俺たちにこれを見ろと言っているかのようだった。
「───諸伏?」
萩原は声を潜めたままだったが、明確に口にした。至近距離で息を潜めていた俺にはその名が聞こえる。
やっぱり、と内心のみで納得する。
さっき微かにかぎ取った匂いは諸伏のものだった。一度嗅いだ匂いは忘れないし、二助の匂いをさせてた人物だから、なおさらだ。
だけど、彼はおそらく公安の潜入捜査官。萩原にわざわざ言わなかったのは、俺が相手を避けるつもりだったから。でも、向こうが走ってこっちに来るとは思わなかった。
駆け抜けていった諸伏の後を追う人間は、さすがに知らない匂いだった。
丁度影が差してしまったので顔は見てないけど、長髪がなびいているシルエットだけはわかった。
「あいつ、何で追われてんだっ……まさか」
「あ、おいっ」
萩原は焦った様子で、走り出してしまった。
潜入捜査官らしき男が追われてたとしたら、それは任務失敗を意味するだろう。素性がバレたか、役立たずだと判断されたか、理由は色々あるが潜入先が穏便に開放してくれるはずがないのはすぐにわかる。
だからといって、ただの刑事が首を突っ込むのは、助けに行くのは、大いに"規則"に反する。
俺は萩原の走っていった方向を見ながら、一度は影の中に身を潜ませた。
音が響いて、付近の建物の鉄の階段を駆け上がっていくのがわかる。
ふうー……、と息を深く吐いてから周囲を確認して、今いる狭い建物の隙間を這い上がった。───規則違反上等だ。
高いところにのぼると、冷たい風がびゅうびゅうと吹きつけて来る。
俺は建物の屋上に這い上がって、萩原が追った諸伏の姿を探した。すると、強い風が吹いて俺に諸伏の匂いを届けた。
勢いよく今いる建物の屋上を走り、風上に向かって飛び込んだ。足を止めることなく、壁や手すりを蹴りながら滑空する。
匂いがいよいよ近づいてきた。そこは5階建ての、屋上にフェンスなどのないビルだった。塀の上部にある水切りあごに手を着いて、身体を斜めに捻って滑りこませた。バランスを取りがら中に飛びおりると、ちょうど駆け込んできた諸伏が真下に見える。
「はっ?」
目の前にすとん、と着地すると諸伏は茫然としていた。
「また会ったね」
「ど……どうして、ここに」
「追ってきた男を倒せばオッケー?」
「い、いや、これをどこかへ持って、逃げてくれ!」
俺は手足をぶらぶらさせた後、臨戦態勢に入ったが肩を掴んで引き戻された。急に押し付けられたのは、諸伏のであろうスマホだ。
おそらく情報漏洩を恐れている。家族や友人、仲間のデータが入っているんだろう。
「あと、拳銃を貸してほしい」
「貸せるか」
俺は諸伏の額をチョップして、受け取ってしまったスマホを本人の胸ポケットに滑り込ませた。
「無理を言ってることはわかってる、銃弾を使うことになるし……でもこのままじゃ、みんなに危険が及ぶ」
「───潜入捜査官は正体がバレた時、速やかに自分や所属に関する情報を抹消しなければならない。そして、救援は望めないのが基本だ」
情報の抹消とは言外に『自分自身』が含まれるのは、この任務に就いた時から本人が一番わかっていることだろう。俺の拳銃を貸してほしいと言ったのは、自殺のためだ。
ごくりと息を飲んで頷く諸伏は、青白い顔をしていた。
誰だって死ぬのは嫌だろうに。
「でもここには規則違反して助けにきちゃった仲間が【二人】いるんだ、諦めるのは早いんじゃない?」
俺は諸伏をつきはなして、階段を上がって来る音の方に耳を傾けた。
恐らく追手と、それを更に追ってる萩原だろう。
「ふたり、って、あっ……」
俺は諸伏の制止を聞かずに、階段の方へ向かった。
追手の視界に入らないよう、外階段の上のトタン板の薄っぺらい屋根の上を這って様子を窺う。
どうやら追手は萩原に気づいたみたいで足を止めていた。5階から屋上までの階段の踊り場で、階下にいる萩原と対峙している男は、まだ俺には気づいていない。
これ以上近づけばおそらく、さすがの俺でもこの薄い板を軋ませる。───あとはもう、スピード勝負だった。
俺は素早くトタン板の上を駆けおり、屋根を支える軸に腕をひっかけて身体を回転させる。そこで萩原に叫んだ。
「伏せ!!」
萩原は反射的にしゃがみ、音に気づき始めた男は俺の姿を見て拳銃を構えたが、俺の伸ばした足が蹴り飛ばす方が早かった。
ていうか萩原、拳銃突きつけられてたのか。ゾッとした。
「銃砲所持で、逮捕する!!!」
「っ!?」
「萩原! 手錠!」
手と拳銃を弾き飛ばされた男は怯んだが、俺の逮捕という言葉に目を丸め、「警察か?」と俺たちの素性に驚いている。
完全に諸伏の仲間よろしく登場しちゃったけど、諸伏って警察だとバレてないのかしら。
「いや俺ら勤務時間外」
「あ、そだ」
手錠もないし、拳銃もないわ。諸伏にも貸す以前の問題である。
まあこの男は現行犯人てことで逮捕は可能だからいいか。
チラと一瞥すると、男は一歩後ずさる。拳銃は地上に落っこちて行ったのですぐには拾えまい。だが他に武器を持っていないとも限らないし、とりあえず拘束しておくか。
「お前たちは本当に警察官なのか?」
男は意外にも反抗はせず、しかし俺の格好をまじまじと見てそんなことを言った。
考えてることはよくわかる。こんなピラピラした服を着た警察官がいるかってことね。なので警察手帳を提示して見せた。
まあ俺の場合これを見せても偽造だって言われることが多いのだけど。
「───そうか、ではスコッチの仲間ということで良いようだな」
「二人ともっ、大丈夫か!?」
男がそう言った時、上階からちょうど諸伏が下りてきたところだった。
おそらく俺と萩原がいるのに、自分だけ屋上に留まっている気はなかったんだろう。荒事が起きてることがわかって、出てきたらしい。
……健気で勇敢なのはいいことだが、完全に悪手だと俺は思うのよ。
「とにかく下りよう。萩原は先に下りて拳銃を回収して車近くまでまわしてきて」
「いや、応援呼んだほうがいいでしょ。こいつかなり物騒な奴みたいだし」
「……ちょっと失礼、身体チェックするから」
俺は萩原の言葉に一理あると思い、男の全身に触った。その間萩原と諸伏両名とも俺たちから目を外さないようにしている。
「武器はもうなさそうだけど、筋肉のつき方からしてかなり鍛えられてて───おそらく格闘技やってるな。たしかに二人で囲ってた方が良いかも? 応援を呼ぼう。その間にお前は姿を隠しなさいよ」
諸伏を一瞥すると、躊躇うようにまごついた。
おい、この期に及んで逃げないとかだったらゲンコツしちゃうぞ。
「まあ待て、俺の事情を聞いてから判断してみないか」
ところがやたらと堂々した犯罪者が場を仕切ろうとし始める。
「"国"の法律を破る"俺"の事情だ~?」
やだわ、犯罪者って自分と国家を同じスケールで考えちゃって。
俺と萩原はじとーっと男を睨みつけた。だが男は俺たちに挟まれてるというのに中々ニヒルに格好つけやがる。余程自信があるようだ。
それも逃げるのではなく、説得する方の。
「俺はFBIから潜入している赤井秀一……お前たちと同じ、奴らに噛みつこうとしている犬だ」
デカイ国出てきたーっ。
今作はK学組の命の危機を助けるんじゃなくて、K学組の命の危機が全部萩原に滑り込んでくるのを主人公がナルティメットアクションで救助するのがミソです。
May. 2026