sakura-zensen

春を追う

18話

(萩原視点)

これじゃあ明日の予定は仕切り直しになりそうだ───。伊達がそう零したのは張り込み三日目の夜のことだった。
事情を聞こうとしたところで、ホシがアパートから出て来る。俺たちは自然と口を閉ざして暗闇の中に息を潜めた。

「そういや伊達、明日の予定っつーか、もう今日か? いったいなにがあんのよ」

ようやく聞き直す機会が巡って来たのは早朝。張り込みが突然の事件で中止になり、次に俺たちが動けんのは三日後の日曜になりそうだと確認した後のこと。
近くにある伊達の部屋で仮眠をとってから捜査本部に戻ろうってんで、薄ら明るい人気のない道を歩いていた。
「あー……実は今日の夜、彼女のご両親のところに挨拶に行こうと思ってたんだがよ」
「へえ、とうとうか! やっぱ、俺らン中じゃ一番ノリだったな」
警察学校にいたころから一人だけ彼女もちだっただけある。俺は伊達のがっしりした肩を叩いた。
「どうせ取引が行われる日曜までは大して出来ることはねえんだし、行ってこいよ。その間高木ちゃんは俺たちが子守しててやっから」
渋る伊達だが、先輩の花森さんに相談してみると一度話を切った。花森さんも普通に行ってこいって送り出すと思うけどな。
ちなみにその花森さんは鬼堂と酔っ払いの対応しているうちに、どっか消えてた。まあそのうち出てくるだろう。
「な、萩原。いいモン見せてやろうか」
ふいに、伊達が笑いながらポケットから出したのは手帳だった。カバー裏には"DATE"のサインと輪になったふくらみが見える。
無骨な指先はカバーの隙間に差し込まれて、そこに入ってた指輪を取り出した。
「お~いいじゃーん!」
婚約指輪ってやつだろう。そう思うと、輝きは倍増して見えるんで歓声を上げる。
伊達のことだし律義に親御さんに挨拶して、許可をもらってから婚約指輪をはめるんだろうな。
「───んじゃあ、お返しに俺のお守りもみせてやるよ」
特別なものを見せてくれた礼といっちゃなんだが、俺も御利益のありそうなもん見せてやろうかなっと、胸ポケットに手を伸ばした。そこにあるのは小型灰皿で、中には短くなった煙草が一本入っていた。
一瞬だけ開いた後、ぱたんっと閉じると微かなヤニの匂いが香る。
もうずいぶん時間が経ったもんだけど、あの時の空気や俺の感情まで一緒に残されてるような気分になった。
「ただ煙草の吸殻、じゃねえのか……?」
だけど伊達にとっては何の変哲もない煙草の吸殻で、不思議そうに首を傾げた。
俺はそれを説明しようとして、灰皿をもう一度懐に仕舞おうとしたところで、うっかりそれを落とした。二日間ぶっ続けで張り込んじまったから、注意力散漫ってやつだ。
「これは俺の最後の一本になるはずだったやつでよ」
地面を転がっていく筒は歩道の縁の僅かな段差にぶつかって止まった。
伊達を振り返りながら、拾うために中腰になる。その時車の走行音がやけに近くで聞こえて、咄嗟にそっちを見る。伊達が焦ったように俺の名前を呼んでいた。
目の前にはもう、フロントバンパーがあった。自分の身体に食い込む寸前で、───思考する暇もなく、ただ身体がびくりと動きを止める。
次の瞬間には視界が回転していて、身体が何かに強く振り回される。思ってたより痛みとかはなくて、こういう時は空が───空が見えるんだなって思った。

" ガシャン……ッ "

車が追突する音が遅れて聞こえた。俺にぶつかった音はなくて、ただ壁だとかガラスにぶつかったみたいだ。
んで、今俺が見てるのは花森さんの耳と、項だ。俺は花森さんに仰向けに抱き上げられてるらしい。背中と足には花森さんの手が回ってて、周囲を確認すれば俺たちは今、車の後方にいる。
状況からして俺は、花森さんによって車の向こう側に移動をさせられてたってわけだが、ど……どうやって?
この時俺は、間抜けな声を出すしかできなくなってた。




「───俺って運悪すぎねえ?」

伊達の部屋に戻ってきてから、眠すぎて頭が回らないまま呟いた。
花森さんと高木はこれから少し調べることがあるって本庁に戻っていき、俺と伊達は仮眠を取れたら戻ってこいって言われてる。
俺の呟きを横で聞いてた伊達は、一時は確かにと頷くものの、ふと口を突いたよう零した。

「いや、運は良いだろう、こうして助かってるわけだし」
「大観覧車が爆弾したり、居眠り運転の車に突っ込んでこられたり、あとあんま詳しくは言えねえけど敵って勘違いされて眉間に拳銃押しあてられたこともあんのに?」
「お、オォ……そんなことまであったのか」
「ここまでくると、死神に目を付けられてるとしか思えねえのよ。俺の選択はやっぱり間違ってんのかな」

遠い目をしかけた俺はとりあえず寝ろって言われて、伊達の部屋にある煎餅布団に横んなる。
その時ふと足に堅いものが刺さる気がしてポケットを手探りすると、携帯灰皿が出てきた。これを拾うんで死にかけたけど、お守りを不吉なもんとは思えなくて傍に置く。
なんせこれは、爆弾が仕掛けられた大観覧車で、花森さんと心中するって時に一緒に吸った一本。花森さんが火を握りつぶして床に落としたのを、なんとなく拾って持って帰ってきた。
なにか形が欲しかったんだと思う。

我ながら女々しいヤツ───。
自嘲しながら眠気に沈んでいくと、次第に思考も視界も暗闇の中に包まれていく。
だがその中に、煌々と赤く光る点が浮かび上がった。
徐々にこちらに近づいてくるような、いや、視界が明瞭になっていくようにして、光の形が大きく、はっきりとしてくる。

" 00:03 "

その数字のまま、微動だにしない。赤い電光のそれはどこか、禍々しい。
前にも似たような夢を見たことがあったけど、あれは観覧車の残り3秒を夢に見たんだっけか。
落下する浮遊感と緊張感が俺の身体を一瞬にしてかけめぐって、ビクッと痙攣させた。アラームの音と相まってイヤな目覚めを経験したんだが、今見ているこの数字はまるで静止画のように動かない。
でも妙に気味が悪く、不安を駆り立てられる。心臓の鼓動が、指先にまで伝わってくるほど。

「───ぎわら……おい、萩原!」
「!? は、んちょう……?」

肩をゆすり動かされて、目を覚ますと伊達のふとましい眉毛が目に入った。そのなんてことねえ光景が、俺を安堵させる。
「大丈夫か。魘されてたんで起こしたけどよ」
「……サンキュ」
伊達の心配が入り混じった眼差しを振り切るように笑って、身体を起こす。
脂汗をかいたようで、シャツの衿が肌に張り付き、冷たく感じた。休めた気はしないが、もう一度寝ようって気にもならない。シャワーを借りて着替えると、いくらか気分はマシになった。
伊達は俺が何も言わないから、話を掘り返そうとはしてこなかった。

昼過ぎ、花森さんの指示を受けて伊達と色々回ってから捜査本部に戻ると、周囲が騒然としていた。
どうやらまた山崎とかいう男が花森さんに嫌味ったらしく絡んでいて、周囲もあんまりいい気分じゃないらしい。
特殊犯捜査係とは、六年前の件で若干因縁があるみたいに花森さんは言ってるが、いつまでもネチネチしてんのはあの男くらいだってことはわかってる。
なまじ声がデカイから目立つだけだ。

「───真面目に捜査してる僕たちの邪魔しないでください!!」

近づくにつれて、張り上げた声が俺の元に届いた。
横にいた伊達と顔を見合わせる。やるじゃん、お前の弟分って気持ちで顔に笑みが浮かぶ。
山崎が高木にキレ返す前に、俺は騒ぎの中心に割り込んだ。花森さんの背後からぎゅっと抱きつき、わざと距離感の近さを見せつける。
そして、今まで思ってたけど言わなかったことを、あえて口にすることにした。ほとんど無自覚だろうから、指摘してやんのは癪だけど、この男を引かせるにはコレしかないだろう。
「もしかしてさあ、アンタ……花森さんのことが好きなんじゃねえの?」
───こいつは、花森さんに対して熱くて重くて、ドロドロした感情を抱いてんだ。
桐島さんと仲が悪いってのも、気質のせいで合わないのはあんだろうけど、結局花森さんとの仲を嫉妬してるんじゃねえかと俺は睨んでる。
そう指摘した途端、山崎は形容しがたい顔になって、肌を真っ赤に染め上げた。怒りというよりも、無意識を自覚して、抑えきれなくなった劣情だ。
あ〜やっぱ癪……。でもここで釘を刺しておいた方が良い気がして俺は、抱きしめてた花森さんの顔を覗き込む。
こんな男に思われてカワイソーに、驚いちまって。でも今は俺を見て欲しいなーなんて。

「愛してるぜ、さん。こんな奴より俺のがいいだろ?」

俺の愛の告白についても一瞬驚いた顔をした花森さんだったが、こっちは回復が早い。元々、俺が花森さんのことを好きだってのは、態度で表現してたからだ。
まあ、どこまで本気かなんてのはわかってないだろう。俺だってこの時この瞬間まで、口にする気もなかった。
花森さんにとっては牽制の意味合いにとられたみたいだけど。

「断然、お前のがいい。愛してるぜ~萩原」

顎をなでられた俺は、その手を悪戯に噛んじまいたいのを堪えて、その場をやり過ごした。



その後、当然俺たちの関係は一切変わることなく捜査だけが激流のように動いた。
唯一変えたのは俺のさんへの意思表示。その最たるものが下の名前で呼ぶことなんだが、本人は相変わらずで俺を萩原って呼んだまま。
───正直、なんで後から会った姉貴が下の名前で呼び合ってて、俺が苗字なのかはいまだに納得がいってない。
後から来たといえば、高木のワタルちゃんもそうだろう。
あれは半分ノリで呼んでるだけで普段は高木って呼ばれてる方が多いが、伊達のことをワタルって呼ばない。
同じ名前なので紛らわしいってなるとこなのにな。

「あ、ワタル~!」

ほらまただ。
警視庁を出るところで、前を歩いていた高木を見つけたさんは呼び掛けた。なんか構いたくなる雰囲気ってのはわかる。
素直で従順な犬なら、ココにもいんのになー。
「花森さん、萩原さん。お疲れ様です。今帰りですか?」
「うん。これから伊達と松田とご飯なんだけど、ワタルもあと帰るだけならくれば」
「えっ、でも、始めから声をかけてもらってたわけじゃないのに……松田さんとは会ったこともないですし」
「伊達も松田も全然気にしないっしょ~、高木ちゃんが用事あるんなら無理にとはいわねえけど」
伊達は丁度昨日今日で休みを取って、やっと北海道に行くことが出来た。その足で俺たちを飯に誘ったんで、無事に婚約が決まって嬉しい報告でもしてくれるんだろう。その場に高木を誘っても問題はないはずだ。
そんなわけで、俺とさんと高木は三人で、先に始めてるだろう伊達と松田のところに合流する。
俺たちがよく飲む店の一つで、二人は半個室みたいな席にいた。

「よう。高木もおつかれ、座れ座れ」
「し、失礼します」

伊達たちにはさんがサクッと事前に高木の合流を連絡してあるんで、顔を出した途端に驚かれることもない。
高木は、松田と向き合って座ってた伊達の隣に迎え入れられ、更にその隣にさんが座る。
俺は自動的に松田の隣、さんとは向かい合わせになった。
「あの、高木渉です。伊達さんや花森さん、萩原さんにはお世話になってて……」
「おー、聞いてるぜ。ワタル・ブラザーズってな」
早速高木がお利口さんに挨拶をしたところ、初対面の松田が返事をする。
だがそこに、花森さんが割り込むように声をあげた。
「花森ワタルです」
「萩原ワタルで~す♡」
すかさず俺も乗っかった。
「ちょっ、ちょっと、それじゃ僕の名前が嘘みたいになっちゃうんスけど!?」
松田と伊達は、高木の突っ込みに大笑いだった。
その後、笑いの潮が引いた松田は今度こそ、握手をするように手を伸ばしながら名乗った。───「松田ワタルだ」てな具合に。



萩原は観覧車から飛び降りる前に、何となく煙草の吸殻を拾って持ってたらおもろいかな……と思って。いやおもろくはなかったな。
ワタル・ブラザーズの響き私が好きすぎるので、主人公も同じ気持ちでワタル・ブラザーズに便乗させました。
意外と、同じ苗字の人って後から来た人の方が名前で呼ばれるってあるあるじゃない? あ、ない……?
萩原はガチ告白ではなかったけど好意を口にした以上、一歩踏み込んで下の名前で呼び始めたけど、ちゃん付けは遠い。そもそも先輩なので中々呼ぶ機会もないという。付き合うことになったら呼ぶんちゃうかな。
June. 2026