sakura-zensen

春を追う

21話

休暇日の朝6時に目を覚ました俺は、カーテンを開けて朝日を浴びながら、青々とした空を見て目を細めた。絶好のお出かけ日和というやつだ。
身支度して朝食を軽めにとって家を出る。向かった先は警視庁直轄の警察犬訓練所だ。

「田村さんおはようございまーす」
「花森さん、おはよう。悪いね休みの日にわざわざ」
「いえいえ」

訓練士の田村さんに迎えられて、施設内に入る。
色んな犬の匂いがするが、近づいてくる慣れ親しんだミハイルの匂いはすぐにわかった。
あっちも俺の足音や匂いを嗅ぎつけて、チャカチャカとこちらに近づいて来ようとする足音がしてきた。
「ミハイル久しぶり。元気してた?」
「ゥワン!」
一緒にいた訓練士の人がやや引き摺られるようにして、ミハイルと一緒に姿を見せた。俺はしゃがんで、ミハイルを軽くハグして匂いを確認。健康状態は問題なさそうだし、ウゥと喉を鳴らしている様子にウンウンと頷く。
「どう?」
「元気そうです。それと、ぶち丸が大活躍だそうですね」
「ああ、この前ぶち丸は被疑者襲撃を成功させたからな」
田村さんと俺がミハイルの言わんとしていることで話していると、ミハイルの横についてた見知らぬ人が若干困惑していた。
「あ、この花森さんはたまに犬の通訳をしてくれる捜査一課の警察官だ」
そこで田村さんが彼に説明すると、当然驚かれる。
「ええっ、捜査一課の方が何で犬の通訳を!?」
「なんでだろうね、犬語わかるわけじゃないんだけど……」
「いやわかってるよね」
今日俺がここに来たのも、ミハイルと会って話をしてほしいといわれたからだ。
現在のミハイルは御年11歳。現役を退いていてもおかしくない年齢だが、50年に一度の逸材と言われた名警察犬の彼は、まだその身体機能も知能も衰えず第一線で活躍している。
が、やっぱり年齢的に心配にもなるし、これまで数多の賞をとってきた大事なエース。訓練士たちも些細な変化を見逃したくない───というわけで、犬にシンパシーを感じられる俺を定期的に会わせているというわけだ。

「じゃあ、デートといきますか」

ちなみに俺とミハイルは、外で散歩が出来る。
これはミハイル様の持つ特権だろう。ハインリヒやラルフたちも俺に遊んでーって飛びついてくるので遊ぶことはあるけど、訓練所から出てまで自由にはしない。
田村さんや他の犬たちに見送られながら、俺は車にミハイルを乗せて広々とした公園を目指した。

辿り着いた先の公園は平日の午前中ということもあって、主婦層や定年後の高齢者層が散歩しているのが散見される。
犬の散歩をしている人も一定数いて、ミハイルはちらりと俺を一瞥。
職務中だと訓練士と一緒にいるため一発で『警察犬』とわかり、周囲の視線を集めたり、なんなら声をかけて来る民間人もいた。だけど今日一緒にいるのは動きやすい服装をした俺なので、警察だと分かることもなければ、派手な格好と注目されることもない。
「今日はオフだから、気楽にいこ」
「ワン!」
いつもは命令を遂行するためまっしぐらなミハイルだが、今日は俺が投げるフリスビーまっしぐらになってもらった。

た、たのしーっ!!!
フリスビーで遊んだ後は、追いかけっこをして、かくれんぼをして、襲撃練習した。さすがにハアハア肩で息をしながら芝生に転がる。
今が夏だということもあって、汗びっしょり。首や頬にぺたぺたと葉っぱがついてくすぐったい。
「あ、あついぃ、つか水分補給、しないとだ……」
持ってきた荷物の中に、ペットボトルの水やミハイル用のお皿などがあるので、とりに行かないと。
ごろん、と寝返りを打って少し離れた所にあるトートバッグを視界に入れる。貴重品でもないので放っておいたけど、舗装された道の隅だったので、通りかかった人がちょうどそのバッグを見下ろしてるのが目についた。
この距離から分かるのは、成人男性かな、ってことくらいだ。
彼は俺たちを見たあと、地面におかれたバッグに手を伸ばす。

「───ワン! ワンワン!!」
「ミハイル! まって!」

ミハイルが咄嗟に吠え、走り出す。
俺はすぐに制止をかけたが、ミハイルは止まらない。俺もすぐに追いかけて、そのバッグを手にした人とミハイルの元へ追いつく。
「ああ、脅かしてごめんね。盗むつもりじゃなかったんだ」
「ウゥ~……!」
「すみませんウチの子が~。ミハイル、おちつけ」
さすがにミハイルは、人に飛び掛からず唸るようにして抗議をする程度で耐えていた。その人がバッグをもって逃げていれば引き留めるために噛みついてたかもしれないけど。
「こちらこそすみません。あなたたちの物だとわかってたけど、遠くにいたので、近くまで持っていこうかと思ったんです」
「それは御親切に───」
バッグを持ってた人からそれを受け取ると、ミハイルはすぐに唸り声を抑えた。
そして俺は今向き合ってる人の匂いに気が付く。こいつ、変装して見た目は変えているけど、諸伏じゃないか。
「さっきから見てたけど、すごいお利口なワンちゃんだね」
「お利口だってさ、ミハイル」
「ミハイルって言うのか? かっこいい名前だね!」
俺に声を掛けたくて来たのか、純粋に犬に興味があったのか、よくわからないが話を合わせておく。
って、一度は流したけど諸伏は俺の嗅覚を知ってるから、正体がバレることも織り込み済みだと思い直した。

「これってもしかして、ナンパってやつ?」

諸伏は一瞬、えっとたじろいだ。
だけど俺が以前どうやって声をかけたのか思い出したみたいで、くすりと笑う。
「うん。ナンパされてくれる?」
「い」
「ゥウウゥウ~~~~~!!! ワン! ワンワンワン!!!!」
いいよ、と言おうとしたけどミハイルが今日一番の唸り声をあげて俺の返答を遮った。俺は慌ててミハイルを抱きしめて宥める。
「ごめんごめん、デート中に浮気はいけなかった!」
「クゥウウ~~キュゥーン……キュゥーン」
「ははは……飼い主をとられると思わせちゃったか?」
「ゥワンッ!!!」
ミハイルは結構人間の言ってることがわかるので、抗議の如く声をあげた。
俺は飼い主じゃないと言いたいんだろう。
「ダーリンが嫉妬深くて、今日はそんなに話せそうにないや」
「ダーリン」
「こいつ自認が俺のハズバンドなの」
「……あ、そう」
目を点にした諸伏に、俺はスマートフォンを出して電話番号を見せた。
「連絡先、交換できる?」
「! うん。ありがとう」
先に知っているかもしれないが、このやりとりは必要だろう。
諸伏は自分のスマホを出して打ち込んだ後、俺にワンコールかける。そのスマホは以前俺に破壊を依頼した、個人情報の入ったものと同じだろう。あの日見た独特な形の傷跡がついている。
「それ、壊さなくてよかったな」
「───ああ……」
思わず零れた笑みのまま、言葉にしていた。
諸伏も思わずと言った様子で頷く。初対面のふりをしながらも旧交を温めるような、秘密のやり取りに少しだけ胸が躍った。

ちなみにミハイルはその日ずっと拗ねたまま訓練所に戻したので、田村さんに怒られた。



「ウゥン……デート中にナンパしてきた相手と連絡先交換するのは、マズかったか……」

休み明けの日、俺は食堂で定食を前にスマホを睨みながら呻いた。田村さんが『ミハイルがストライキしてる』と俺にちくちくメールを送ってきたからだ。
その時横で俺の呟きを聞いてたオニコと、その同僚の婦警たちが、ギンと目を光らせた。

「は、最低なんですけど」
「速攻別れる」
「てか死んでほし~い」
「モぐわ」

モぐって……ナニを……?
とりあえず俺は昨日のデート相手が警察犬のミハイル号であることをすぐに弁明した。「デート相手犬かよ」「オワってんな」という顔を向けられた。交通課の婦警たちって辛辣なのばっかなんだよな。俺がこんな格好なのと、オニコが俺を雑に扱うせいか?
「はいはい、質問。花森くんは人間と最後にデートしたのはいつなんですか~?」
「黙秘します」
「今度合コン開くけど、呼んだげよっか? あ、その場合男側と女側のどっちで参加する?」
「男性側は萩原くん、白鳥くん、高木くん、千葉くん呼ぼうよ」
「嫌すぎる……」
「え~でもその場合、萩原くんと白鳥くんは花森くんと三角関係なんでしょ? 実質あたしたち高木くんと千葉くんの二択になっちゃうじゃない」
「何その三角関係、白鳥は美和子にぞっこん♡だよ」
婦警たちの目まぐるしい会話にあぷあぷしながらついて行く。
だけど圧倒的に話す量が多くて追いつかないので、ほとんど諦めた。俺はスマホにくる拗ねたミハイルの写真を保存しながら、田村さんに謝罪メッセージをしたためることにする。
次の休みに埋め合わせさせてください、っと。

「おっと、なにここー。天国?」

スマホをたぷたぷしてる俺の横に、萩原が座ってしれっと婦警たちの会話に混ざり込んだ。呼吸するようにお世辞を使うのさすがだな、いや、あながち本心でもありそう。
「あ、萩原くん♡」
「俺もいれてねー」
俺には辛辣な婦警だけど、萩原にはやや色めき立つ声が聞こえる。
さん、何スマホとにらめっこしてんの? 飯が冷めるぜ」
「デートの約束をとりつけてる」
「………。………あ、わかった、姉貴だ。だよね? でしょ?」
一瞬静かになったけど、そのあと激しく聞いてくる。
「お前の姉ちゃんはとらないから安心せい。松田にも睨まれるのヤだし。この前なんか神奈川県警の刑事課のヒトからも睨まれたんだけど、あれって千速のワンちゃんかな??」
「それは知んないけど……じゃデートって誰よ」
「花森くん結局合コンどうする? 萩原くんも誘う?」
「え、合コンやんの? さんもいるならモチ俺もいくよ♡」
「あ俺はいい~」
スマホの画面を下に伏せて、やっとこさ定食にありつく。
萩原は要領が良いので、婦警たちの会話の波に上手に乗りながら食事をしていて、俺はそれをリラックス音楽として聞き流しながら飯を完食。
その時丁度、スマホがメッセージを受けたバイブがテーブルに伝播する。確認しようと手を伸ばした時、萩原の長い腕が伸びてきて、ひょいっとスマホを奪われる。

「『またあの公園で会える?』って、いってるけど、コイツ何?」

画面にはSMSが表示されていた。
すぐにスマホを取り返す。
相手の名前を猫の絵文字にしてたので誰だかわからないようになっているが、それが余計に不満みたい。
犬のおまわりさんに対し、なまえもおうちも言えない仔猫ちゃんから肖った隠語なんだけど、萩原的にはさしずめドロボウ猫といったところか。
婦警たちもいるし、諸伏に許可を取ってないので、こいつはナンパしてきた相手に他ならないのだけど、今度はこっちの犬がストライキを起こしかねない。
言葉を濁して「単なる知り合い」と伝えた。
ところが無常にも、おしゃべり婦警たちが口を開く。

「それ、もしかしてナンパしてきた奴の方じゃない?」
「───……へえ、ナンパねぇ?」
「ごっつぉーさんでぇす」

萩原が俺の腕を掴む前に、ひらっと躱して膳をもって席を立った。
本気になればここから姿を消すことなど朝飯前。いや昼飯後。
昼食時のガヤガヤつく食堂内から忍者のように素早く立ち去り、その後俺は萩原に会わないまま午後の仕事をやり遂げた。
さすがにこの件は、一旦諸伏に相談しないとだ。



三角関係に対して、白鳥は美和子にぞっこん♡ていうけど、萩原について何も言わないのは俺にぞっこん♡っってコト!?(単に会話に乗り遅れてるだけです)
July. 2026