sakura-zensen
春を追う
29話
松田から送られてきたメールによると、被害者の名前は朱本国博。普段は杯戸町のガソリンスタンドでバイトをしているらしい。
朱本さんのことを調べる際、スマホにいた連絡先の中で返答がなかった人物の名前は「中桐鹿子」「尾城那穂」「仁部浩大」の三名だそうだ。
中桐というのはさっき俺が声をかけた連れの人だったので除外。
被疑者はおそらく尾白那穂と言う名前なんだろう。───血の匂いを放っている人物は明らかに女性だったから。
程なくして、警察がスマートフォンを回収し始めた。
俺は警察官に声を掛けられた時、一度連れに連絡を入れると言って目の前で松田に電話をかける。
「じんじん、ちょっと来られるー? スマホ預けなきゃいけないって言われてさ」
『はぁ? 今行くけどよォ……ったく』
警察官はやや困惑していたが、松田がドカドカと歩いてきたのを見て、俺が捜査に参加している関係者の連れだと気づいたみたい。
同じ捜査一課の花森とまではわかってなかったけど。
「連れと合流出来たので、スマホどうぞ~」
「ご協力ありがとうございます」
警察官が離れていくと、俺と松田だけがその場に残った。
「……警部サンたちはこれからバックヤードに場所を移して、客たちの動画や写真を確認するってよ。つってもまァ、狙いはそれだけじゃねえけどよ」
「被害者のスマホからの連絡に返答しなかった三名のうち、二人をあぶりだすんでしょ? 一人は目星がついてるよ」
「!」
松田は俺がやった視線の先を辿るように眺めた。
どいつだ、と聞かれて女性の特徴を答える。おそらく尾城那穂と言う名前であることもだ。
「スマホの回収が終わった後、話があると言って連れて行く。松田も一緒に来てくれる?」
「おうよ、今日は俺が"さん"の相棒だな♪」
俺は松田の楽しそうな反応にちょっと笑った。
刑事ごっこして喜ぶ、男の子がここに居ます。
隠れて待機して、彼女が警察官にスマホを預けたのを確認して、更にほんの数分時間をおいてから近づいていく。
連れの男性と時折会話をしているところ、目の前に立てば二人とも不思議そうに俺たちを見上げた。
「尾城さん」
「え───……?」
「尾城那穂さんで合ってますか」
「そう、ですが……どうして私の名前を」
女性の方はおどおど、と返事をする。
「お預かりしたスマートフォンのことで、お話があるので来ていただけますか」
「え、あ……わ、わかりました」
スマートフォンを預ける時に、確認のために名前を告げているので少しは俺の怪しさは薄れたらしい。回収した人間は違うが、近くで見ていたとか、人に聞いたとか考えようはある。
仮に違和感が彼女に小さな不安として残るなら、それはそれで都合がいいけど。
「───あの、それって那穂だけ?」
緊張した面持ちで立ち上がる尾城さんを見ていた、連れの男性が俺たちを引き留めた。腰を微かに浮かし立ち上がろうとしたが、その動きはややぎこちない。
「連れの方ですか?」
「あ、私の彼氏です」
「彼氏さん。念のためお名前、お伺いしてもよろしいですか」
「あ、はい、仁部浩大です」
「「───」」
俺と松田は、思わず顔を見合わせた。
まさか三人目の『返答無し』がいたとは。
話を聞いてみたいが、彼からは被害者の匂いがしないので優先度は低い。後回しで良いと判断して断りを入れることにする。
「───たしか、仁部浩大さんのお名前はなかったと思います。あとでもう一度確認して、用があればお呼びしますね。個人的なお話になるので、同行は難しいです」
「あ……ですよね、わかりました」
仁部さんはいくら恋人とはいえ、付いていけないことはすぐに理解したようで座り直す。ちょっと身体の動きが悪いのと、貼付剤特有の匂いがしたので確認のために「もしかして、首を痛めてますか?」と聞いてみた。
「あ、はい。ちょっと痛めてて、ギプスしてるんで動きが……」
「そうでしたか、おだいじに」
俺は短い会話をしてから、尾城さんと松田の方へ向き直って控室に行くよう促した。
関係者以外立ち入り禁止と書かれた部屋の前には警察官が立っていたが、松田の顔パスで中に入れた。
そこには何人かの捜査員と目暮警部、あとは工藤くんと連れの少女までいる。
警部は松田が連れてきた俺と尾城さんを見て、首を傾げた。
「ん? 松田くんどこへ行ってたかと思えばさっきの彼と───彼女はいったい誰だね?」
「じっとしてるのは性に合わねぇもんで。この人は……重要参考人ってところか? 花森さん」
「まあ、そんなところ」
「!? なんだ、花森くんだったのか! いたならもっと早く声をかけたらいいものを……」
「すみません。ぼくは客の中に交じって、不審な人物がいないか嗅ぎまわってました。警察官だと思われない方が、みんな油断するでしょう?」
「ふむ、そうか……それで、君が次に引っ張って来たこの女性は?」
俺が警部と知り合いで警察官であることが露見したが、もう今更って感じだろう。
被疑者はどこへも逃げられないし。
「あ、あの、私はスマホのことで聞きたいことがあるって言われて来たんですけど」
尾城さんは警察に呼び出されたことに焦りを感じたのか、狼狽えつつもなんとか体裁を保とうと口を開いた。
しかし警部たちはまだスマホを集め終えたばかりで、調べたりはしていない。はて、と首をかしげてしまった。
「いったい何の話かね」
「朱本さんが刺された後、そこの工藤くんが朱本さんのスマホの連絡先に入っている人物全員に『連絡してほしい』とメッセージを入れたそうなんですが、返事をしなかった人物が三人います」
「それが「中桐鹿子」「尾城那穂」「仁部浩大」って名前だ。んで、そのうち一人はさっきのガイ者のツレだった中桐鹿子。次がこのヒト───尾城那穂ってわけだ」
「ちなみに三番目の仁部浩大さんは、尾城那穂さんの恋人です。今日は一緒に水族館に来ているようですが、事件との関連性は薄いと判断したので後にしました」
目暮警部と尾城さんに聞かせるつもりで話していると、工藤くんがじいとこちらを見てくる。
「関連性が薄いと思ったのは、何故ですか?」
「───匂いだよ……」
「「え……?」」
俺はつい、耳に残っていた工藤くんと同じ言い方をした。そのことに気づいたのか、工藤くんと連れの少女がわずかに声を漏らす。
ちょっと、自分でも笑っちゃった。
「中桐さんからは被害者に付着していた香水の匂いをさせていた。そして尾城さん……あなたはからはほら───」
俺はなんてことない風に彼女の右手をひょいと掴んで、手袋を外した。
あえて不意を打ったので、逃げることもできず晒された手には、黒に変色しかけた血がこびりついている。
「被害者の血の匂いがするじゃないですか」
「なっ───、」
「その点、仁部さんからは血の匂いはおろか、被害者の匂いも全然しなくて、あ、この説明いらない?」
「いらねぇな」
手っ取り早く証拠を晒したことで、俺が匂いについてあれこれ話す必要はなくなった。松田がケラケラと笑ってる。
勿論彼女がゴネればさらなる捜査は必要になるのだが、これを見られた以上もう言い逃れする気はなくなったようだった。
取調が始まり彼女が話した犯行動機は、リベンジポルノへの抵抗だった。
尾城さんはかつて朱本さんと交際関係にあった。しかし仁部さんのことが好きになった彼女は朱本さんに別れを告げた。
その別れ話をした際、隙をついてスマホを盗み見られ、尾城さんの待つ情報が彼に渡った。仁部さんの連絡先を朱本さんが持っていたのはそういう経緯があったようだ。
朱本さんは借金の返済に困り、尾城さんと交際中に撮った恥ずかしい写真をバラまくと脅し、金を要求してきた。
実際、写真は既に仁部さんには送りつけられていたようだが、彼は迷惑メールだと思って、開かず削除していたらしい。───おそらく、工藤くんからの連絡にも同様の対応をしたと思われる。
朱本さんの行動は日に日にエスカレートしていった。
仁部さんに電話すると言い出したり、勤め先や家族にも写真を送るとまで。
「だから私が逆に、あの男の血をバラまいてやったってわけ……でも失敗したわ。私が血の匂いをバラまいてたみたいね。血さえついてなければ、見つからなかったかもしれないのに……」
尾城さんはどこか冷めた様子で俺を一瞥した。
「たとえ血が付いていなくても、あなたは見つかっていたと思いますよ───我々は"犬"ですから」
「え?」
「あなたはアリバイになる映像を用意したみたいですけど、不自然な点がいくつもあった。そういった違和感の匂いを嗅ぎ分け現場を探り、逃げ隠れする犯人をどこまでも追跡し、取り押さえて白日の下に引きずり出す───それがぼくたち警察です」
工藤くんのサメ発言に、ちょっと対抗してクサいことを言っちゃったぜ……。
翌朝いつも通り捜査一課に顔を出すと、目暮警部が既に来ていた。
他にも千葉と萩原ペアがいて、他の班員たちはまだ来ていなかったり、既に出ていたりと様々だ。
「花森くん、おはよう! 昨日は休みなのにご苦労だったな!」
「、いえいえ」
挨拶をすると、当然目暮警部は昨日のことを話題にだした。俺は一瞬変な間を作りそうになったが、無難に返事をしておく。
「昨日? 花森さんって非番じゃなかったんですか?」
「それがなあ千葉くん、昨日起きた事件現場に偶然居合わせたんだ」
千葉が不思議そうに声を上げ、目暮警部が答える。
萩原は何も言わないが視線だけはこちらに向けていた。ゆったりと椅子の背もたれに体重を掛ける音が聞こえる。
「花森くんがすぐ被疑者に付着した血の匂いに気づいてくれたから、すぐに事件は解決したよ」
「え~!? そうなんですか? でも花森さんは災難でしたねえ、休みの日まで事件なんて。───って、あれ? それって萩原さんが爆処の松田さんから電話受けて目暮警部に要請した……水族館で起きた殺人事件、ですよね?」
「ああ、そうだが」
「じゃああの水族館に、松田さんと花森さんの二人も警察官が居合わせたってことスか?」
「居合わせたも何も、元々二人で遊びに来てたんだろう? なあ?」
「ハイ、そうです~」
別々で来ていた、と言うのは今更何の意味もない嘘になる。俺は目暮警部の問いかけに、素直に頷いた。
「あ、そっか。萩原さんと親しい松田さんと花森さんに面識がないはずないか~」
千葉はアハハと笑って納得したあと、何やら警部と二人そろって廊下に出て行った。飲み物を買うとかトイレだとか言いながら。
残されたのはぽつんと自分の席の前に立ったままの俺と、何も言わない萩原のみ。
萩原にわざわざ言うことないと思ってたけど、ここまでくると逆に誤魔化す方が変な気がして「元々萩原が誘われてたんだって?」と声をかける。
「あーうん、期限までに休み取れそうにないって断っちまったヤツ。松田のやつ、さんにまで声かけてたとはねえ」
「萩原と千速に断られたって言ってて、可哀想だったからさ。丁度俺も休みだったしね」
出だしはぎこちなかった会話だが、次第に滑らかになっていった───かに思えた。
「本当に可哀想なのは俺よ、俺」
「え?」
「さんと陣平ちゃんが楽しく遊んで、一緒に事件解決している時、俺は千葉と仕事してたんだぜ?」
松田は「ガキ相手みてえな気遣い」と言ってたけど、当たらずとも遠からずのような……。
しかし果たして、これは"どっち"が不満なのか迷う問題だった。
そんなに松田と水族館に行きたかったのか、それとも俺と遊びたかったのか。はたまた、三人で遊びたかったのか。
しかし松田と遊びたかったのなら松田に言えばいい話なので、俺が叶えられることは後者の二つだろう。
俺は自分の席じゃなくて、萩原の隣の、さっきまで千葉がいた席に座る。
椅子のキャスターを転がしてぶつかるくらい近づいて、声を潜めた。
「じゃあ、俺と今度、デート……する?」
「…………デ……え?」
萩原は俺の言葉に目を見開いて固まる。
「やっぱり松田と三人で遊びに行くか」
「待って待って、デ、デート! デートがいいっ」
そろそろ千葉や警部も戻って来るだろうからって席を立つと、萩原は俺の手首を掴んで引き留めた。
俺は萩原を見下ろして拘束を解きながら笑って「じゃあ今度、休み合わせて」と告げる。
「ふぁい……」
情けない声が萩原から聞こえた時、伊達と佐藤がバタバタを駆け込んできた。
お、事件の予感。
新一の「匂いだよ」を見た時から対抗心が湧き、サメVS犬を書かねばと思いました。
サメに比べて、犬は距離が離れていると匂いを嗅ぎ取れないけど、嗅ぎ分ける能力に優れていると言う話です。
July. 2026