sakura-zensen

春を追う

30話

(萩原視点)

さんが松田と二人きりで水族館に行ったって理解した時、不満だとか怒りだとかが燻り始めて、それを表情に出さないようにするのが精一杯だった。
今までこんな風に感情が膨らんだことはない。
一人に固執したことがなかったからだろう。色んな人に感情を注いで、埋め合わせるみたいにして心が乱れないようにしていた。
でもさんのことは、誰とも代えようがなくて、さん本人に機嫌を取ってもらうしかない。なんて情けねえ男だ。

「じゃあ、俺と今度、デート……する?」
「…………デ……え?」

一瞬耳を疑うような言葉が聞こえて、思考が止まる。
さんにはちょっと甘えて拗ねたように見せたけど、まさかこんな風に機嫌を取ってもらえるとまでは思ってなかった。
近頃のこの人は、結構俺に対して甘いのはわかってたけど、デート……って言ったか? 今……。
俺が呆けていたせいで、やっぱ松田と三人で遊びに行くかと意見を変えちまうところだったのを、慌てて止めた。
この、千載一遇のチャンスを逃がすわけにはいかなかった。




「なんだ、やっばりバレちまったか」

その日の夜、松田といつもの店で待ち合わせた俺は、水族館にさんと二人で行ったネタは上がってると突きつけた。
そしたら本人もさすがにそうなると思ったみたいで、あっさりゲロった。
「だって勿体ねえだろ、せっかく無料で入れるっつーのに」
「そんなに魚とか好きだっけ?」
「んー、カワウソ可愛かったぜ、あとカワウソを見てる"さん"もな」
松田は言いながら、ニタリと笑ってスマホで撮った写真を見せる。
カワウソのいる水槽の前でふにゃんと笑ったさんの写真だ。
キャップを手にしてる所や、男物のカジュアルな服装って感じなのが、いつもと違って新鮮だ。
「───送って」
「いいぜ」
松田は得意げに俺にその写真をくれた。
その後もなんかニヤニヤしてて、思わせぶりな態度をしている。なんかあるなら言えよとせっつくと「これは事件の後に撮った写真だな」と経緯を教えてくれた。
どうやら、さんはさっさと事件を解決に導いた後「今ならカワウソ見放題じゃね」と言い出したらしい。
「まだ客たちを一か所に集めてた時だったからよ。どんだけカワウソ見てえんだあの人って思ったわ」
「へ~、さんカワウソ好きなのかねぇ」
「さあ? 世間でもカワウソって人気らしいし、実際水槽の前はすげえ人だかりだったから見ときたかったんじゃねえの」
「ふうん……」
デートはカワウソに触れ合える場所にするか、一瞬だけ考えた。
「しかしよぉ、花森さんの嗅覚はつくづくすげぇわ」
「ん? そりゃあね」
「疑ってたわけじゃねえけど、その効果を目の当たりにしたのは、昨日が初めてだからな───」

松田がさっきから含み笑いをしてたのは、さんの嗅覚の話だったことに、今更ながら気づいた。カワウソの話はあくまで事件をさっさと終わらせた話のオマケらしい。

事件は水族館の水槽トンネルの中で起きた。
二人は丁度飯を食うために館内マップを見ようと思って、明るいその場所にいたらしいが、さんが何かに気づいた。後にそれは、血の匂いだと分かった。
すぐに係員を呼びに行くように指示をしたさんは、先に現場に行って被害者の検分を終えた。
その後、松田が連れてきた係員に水族館を封鎖するように指示した。
昨日松田からの電話を俺が受けたのは、この時だったんだろう。
「だが高校生探偵とかいうボウズが現場に立ち入ってきててよ、まあ色々手を出されたんだが……」
「ああ、最近新聞だのテレビだので騒がれてる?」
「オタクんとこの警部サンもお気に入りらしいじゃねえの」
「だねぇ。俺はまだ現場に呼ばれた所、見たことねえけど」
「そりゃいい。自分がいんのに無関係のガキ呼ばれるなんて、使えねえって言われてるようなモンだぜ」
俺は松田の言葉に、深く頷く。
「───まあ実際、頭はキレるようだったぜ。被害者のスマホを勝手に触り始めた時はシメ上げようかと思ったけど、身元調べたり怪しい人物洗いだしたりすんのには役に立ったし……」
さんはその時、観客たちの中に交じって嗅覚で被疑者を探っていたようだ。松田は一時的に高校生探偵クンと一緒に現場保存に努め、そこで被害者の調べ上げた身元だとか、怪しい人物、それから一緒に来てるであろう連れの情報をさんに伝えたらしい。
「んで話はこっからよ。警察が来てすぐの頃、花森さんに怪しい三名の名前と連れの女の情報を送った途端、あの人連れの女には見当がついてるとか言って、警部サンとこに引っ張って来たんだぜ」
「っはははは!」
俺は弾けるように笑った。
「被害者に香水の匂いがついてたのが俺達でもわかったし、実際連れてきた女は匂いプンプン。花森さんじゃなくてもわかったかもしれねえけど、まあさすがだよな。名前を確認したら見事に三人の内の一人だったわけだ」
その連れの女が被害者からの連絡を無視したのは、殺されたはずの人間からの連絡が気味悪かったのと、生前被害者が金についてもめてた危ない奴だって情報を掴んでいたかららしい。話をひとしきり聞いた後は、彼女は一時的に開放されたそうだ。
「で、やっと警察が客たちのスマホを集めたところで、俺は花森さんに呼ばれた。俺と連絡が取れなくなるからってのもあるが、そもそもあの人は既に被疑者に目を付けてたみたいでよ」
俺はさっきから、笑いで身体の震えが止まらない。
普段のさんならもうちょい大人しく、物的証拠を揃えてから追い詰めるんだが。
「その理由ってのが、被疑者の指先に、被害者の血痕が付いてたからだっつーんだぜ」
「へえ~……当時は手袋かなんかで隠してたってわけか?」
「ああ。リバーシブルの手袋で、被害者を刺した後は裏返しにつけて、血は見えないようにはしてたようなんだが───花森さんにとっちゃ、ずっと血の匂いがしてる女だってはじめからわかっちまってたわけよ。スマホを回収したのを理由に呼び出して、不意打ちで手袋脱がして血痕を警察の前に晒しちまいやがった」
「乱暴~~~♡」
ちなみに被疑者の名前は怪しい三人のうちの二人目と一致し、三人目は被疑者の恋人だったが、さん曰く一切被害者の匂いがしないということで除外されたらしい。
後から話を聞いた感じでも、どうやら被害者が被疑者の元恋人で、現恋人に迷惑メールを送っていたってのが真相だ。
そんな相手から連絡来ても、まず返事はしない、ってね。

「なんか次々に犬がオモチャ持ってくる感じだ、わかるか?」
「ああ、わかる。あとはここ掘れワン、な」
「そうそう」

被疑者は血がついてることを知られてた時点で観念しちまったらしく、犯行を認めた。一応トンネルの中で殺害に及んだ理由や、誤魔化すためのアリバイ動画なんかも用意してたみたいだが、それも無駄に終わったというわけだ。
さっきも思ったけど、さんの捜査の仕方としてはかなり乱暴な手口だと思う。
でもあの日は、ほぼ同じ空間で殺人が起きた。なら、あの人にとっては『現行犯人』だった。
警察で囲って、不意打ちで手袋を外しちまえば、後はもうどう言い逃れしようと、後から証拠が出てくるって思ったんだろう。
しかしその勢い、俺も見たかったわあ……。
「やっぱり、松田と三人でも遊びに行ってもらうか……?」
俺はしょうもねえことを独り言ちる。
松田は不思議そうに何の話かと首をかしげていたが、今度は俺が楽しい話を聞いてもらう番ってことで、さんがデートに誘ってくれた話をした。

「なにィ? デートだあ?」
「そ♡デートってさんが言ったんだぜ。とうとう俺を意識してくれたってことよ」

俺はうっとりと、目の前のグラスを傾けて氷の音を鳴らす。
この音すら今は俺にとっては祝福の鐘だ。

「は~、おっそろしいな、花森……萩原をここまで堕としたか」

俺は松田に言われて、一瞬言葉に詰まる。
たしかに、デート一つでこの浮かれよう。今までの俺じゃあ考えられなかったことだからだ。
「今まで特定の相手を持たなかったのによぉ」
「何よ、陣平ちゃん」
前にも似たような含みを持って言われたけど、あの時は男だとか女だとかの話だった。
今はもっと俺の根っこの部分に触れられている気がして、落ち着かない気分になる。

「あの人なら、ハギも安心できんだな」
「───……」

やっぱり、全部見透かされてた。
松田には俺の臆病な部分はとっくに知られちまってる分、恋愛方面でもバレてるとは思ってた。特定の相手を作らなかったのは無意識に、恐れてたからだ。
自分の何かを相手に背負わせるのも、もし駄目になったらって思うのも、───順風満帆だと、それが破滅への入り口なんじゃないかとブレーキをかけるのと一緒で。

「まあわかるぜ、花森さんは良い男だからよ」
さんの良さがバレちまったか……好きになるなよ、陣平ちゃん」
「馬ァ~鹿。人に牽制する前に、本人の心ちゃんと掴めよな!」
「ははっ、それもそうだ」

松田が随分前から、かなり花森さんのことを気に入ってるのはわかってた。
俺がいない時でも二人で飯とか行ってるし、水族館に誘ったのだって自然な流れだろう。
遅かれ早かれ、さんと松田は二人で遊びに出かけることになってた。だって二人は見ていて普通に気の合うダチみたいだったから。
そこに嫉妬や不安が一切ないとは言わねえけど、かといって松田とさんが仲良くしてんのも俺としては案外悪くない……とも思える。そもそも、男同士だと嫉妬しても仕方がない。松田以外にも花森さんは二人でどこかに出かける相手は大勢いるわけだし。だからあとは、さん次第でしかない。

デートに誘われて、意識してくれたと口では言うものの、あの人が俺をどう思ってんのか───好きでいてくれてんのか、まだ俺には自信をもって断言はできない。

───「じゃあ、俺と今度、デート……する?」

さんがそう言った時の顔を、声を、仕草を、俺はずっとずっと思い返していた。



萩原研二、たった一人に全部の愛を注ぐのもブレーキ踏んでた説を推します。
そしてたった一人に決めたら重たくなる萩原を推しています。これまでの暴走行動はそういうのも込みでした……。
July. 2026