sakura-zensen
春を追う
35話
(萩原視点)
───「3、2、1……」
カウントダウンの声が響いた。0の数字は音にならなくて、身構える俺の周囲には夜景を反射する水飛沫が上がる。
隣にさんがいて、手を伸ばせばすぐに指先が絡まった。
───「俺の命綱は萩原がいいって思ってる」
そういってくれたさんの声が今もずっと、頭ン中に響いていた。
俺はあのデートでの出来事をこの先、一生忘れないだろう。
悪夢を塗り替えてしまうほどの、幸せな記憶だ。
トロピカルランドの観覧車に乗って、七年前のマンションに仕掛けられた爆弾事件について考えた時、俺は強烈な安堵に見舞われた。
なぜなら、俺はあの日から巡り巡って、さんに命を救われてるって気づいちまったからだ。
俺のいた第二現場の爆弾は、タイマーを被疑者の遠隔操作で止められていた。その間に住人の避難が完了。さらにその後に、俺は制限時間はないと高を括ってのんびり爆弾を処理していた。───その裏で何が起こってたか、俺はもう知っている。
さんが、被疑者を庇って車に撥ねられていた。じゃあもし、さんが居なかったらどうなっていただろう。
あの被疑者が車に撥ねられたせいで確保されたり、さんみたいに意識不明に陥ってて、共犯者の元へ逃げ帰ってこなかったら。
共犯者がその事実に気づいた瞬間、一度止めたタイマーを再びスタートさせないとは言い切れない。
人の悪意って奴が俺の身体をバラバラにするのを、さんがその身を挺して防いでくれてた。
俺が見落として走っていたのは、コレだ。
さんと初めて会ったあの日、共犯者がいる可能性を示唆されて感じた胸騒ぎ。
あれは一歩間違えたら死んでたかもしれない恐怖を、本能的に感じてたんじゃねえかってのが分かった。───しかし、今となってはその時のことをいちいち言う気はない。たられば言ってたらキリがねえもん。
思うのは、俺がさんめがけて走って来たこの道が、正しかったってこと。
それでこの先の人生、さんが走るなら、俺も走るって腹を括ったことだ。
俺にかかってたブレーキ、はいよいよどこにもなくなった。
「あれ、なんだ研二うちに帰ってたのか?」
朝起きて部屋から出ると、出勤前の姉貴が朝メシを作っているところだった。エプロン姿で気合入れてるわりに、フライパンで焼いてる目玉焼きはコゲ気味。相変わらず不器用だな……。
「なんだってなんだよ、姉ちゃん」
俺が昨晩家に帰ってたのすら気づいていなかったみたいで、挙句の果てには家にいること自体がおかしい、とばかりの言動には抗議をいれさしてもらう。
「いやあ、最近ほとんど帰ってこなかっただろ? 事件にかかり切りだって」
「だからその事件が昨日無事収束したって言ったじゃんよぉ」
「───収束したら、その足での家に泊まって来るんだろうと思ってな。お前ら元鞘に収まったんだろ?」
そういや相棒だったときは、立て込んでた仕事の後はさんの部屋に泊まることが多かった。警視庁に戻って来てヘトヘトになってることが多くて、そのまま家に帰るよかさんの部屋に行った方が近いって。
「そもそも、研二は私と母さんの女二人暮らしを心配しているのかもしれないが、そこまで気を使う必要はないんだからな」
姉貴の言葉に若干たじろいだ。
警察官になったばっかの時は特殊な勤務形態とか、親父の居ない家に女二人で暮らすが心配って気持ちもあった。
それで寮に入ったり、職場の近くに部屋を借りたりするんじゃなくて、この家から通っていたのは事実。
それがずるずる続いて今に至るわけだけど、爆処から捜一に異動してからはますます家に帰る日が減った。事件がひっきりなしに起きるから、帰ってる暇がない。ちょっと休むンなら警視庁に泊まりこんじまうし、さんが相棒の時はさんの部屋に泊まってた。
千葉の教育係になったらさすがにさんの部屋に泊まりこむわけにはいかなくなったが、やっぱ事件事件で警視庁に泊まる日も多かった。
つまり俺は女二人暮らしの、何の役にも立ってねえというわけだ。
「無理に家に帰って来るより、近くで休めるならそうするのが一番だ。それに、父さんも近々こっちに帰って来るらしいしな」
「え、そうなの?」
「ああ。聞いてないのか? ってまあ、家にいないんだから聞いてないか」
俺は引き攣った顔で笑うしかなかった。
自分が行動しなくても、気付いたら心配事が手から離れてたり、不安が薄れていたり、希望が叶ってたり───生きてると色々あるんだなァ、と思う朝だった。
「───てなわけて、部屋を探そうと思って」
「ハハハッ、なんかあの、言って良い? 今更?」
「ほーんとそう」
俺は今朝した姉貴とのやり取りと、部屋探しの件をさんに言いながら、ハンドルを握っていた。
助手席のさんは笑ったあと率直な感想を言ったし、俺もそう思うと大いに頷いた。
「でもさ、今更になったのはさんのせいでもあんのよ?」
「俺のせい? なんで?」
「警視庁から近いとこに、さんの部屋があんだもん」
「それこそ萩原の家が遠かったせいだと思いマース」
互いにしょうもない罪を擦り付け合うが、すぐにやめる。
親父が戻って来る時期や、引っ越し先の理想の条件なんかを話した。リビングは南向きが明るくて良いとか、ソファを置くよりデカイクッションを置きたいなーとか。
「そういえば───萩原が引っ越したら、俺の家に来る頻度は下がるってことか」
ふと、さんが思い至ったように呟いた。俺は思わず横目に見る。
さんの視線は外に向けられてたので、俺たちの目が合うことはなかった。
「あでも、今度は俺が萩原の部屋に行けば良い?」
「! そうそう、今度は俺ン家に泊まりにくれば良いんじゃん」
焦燥が期待に変わると、風が車内にふきこんで来た。さんが助手席の窓を開けたからだ。少し身を乗り出して、外を見ているのが俺の視界の端に映った。
「いっそのこと、さんが俺の部屋に住んじゃってもぜんぜ、ん?」
まだその段階じゃないのは頭では分かってたから、冗談めかして言おうとした。
けど言ってる最中で隣の気配に違和感が生じる。
「え!? いない!?」
隣を見ると、さんの姿がなかった。
一瞬のうちにシートベルトを外して、開けた窓から器用に外に出ていたらしい。走行中の車からそんなスムーズに下りられるかって話だけど、あの人のことだから出来ちゃうんだなあ。
急いで車を停めてさんの姿を探すと、走る男を追いかけて飛びかかって抑え込むところだった。
「ひったくりね……ハハ」
押さえ込んだ男の手から、小せえハンドバッグをもぎ取ってるのが見えて何があったのかは理解した。
警察官を呼んでその場を引き継ぐと、俺のところに戻ってきて「悪い悪い」と謝る。
「えーと、何だっけ、リビングは南向きが良いって話だっけ」
「うん、そう……」
さすがにもう一回冗談めかして言う雰囲気じゃないので、俺はデカイクッションを置きたいんだよね、と同じ話を繰り返した。
次の休みの日、俺たちは二人で予定を合わせて大型の家具屋に来ていた。
まだ部屋は決めてないけど、イメージ膨らませたりするのに役立つかと思ったからだ。
店内はコンセプトが決まった部屋のモデルがいくつもあって、その空間にさんと立ち入ってくつろいでみるのは一種のアトラクションみたいで楽しい。
雑貨も売ってるし、引っ越し関係なく色んなものが買いたくもなる。
「あ、サメだ!」
その中でもさんのお気に入りはサメの抱き枕だった。もちっとした感触と滑らかな手触りが確かに良い。けど、
「どうしようかな、工藤くんをお迎えするか」
「ダメでーす」
サメを"工藤くん"って呼び出した途端、俺はさんからサメを取り上げた。
ひょいっと頭上に持ち上げたから、俺をポカンと見上げてる。たがその顔はすぐ、ちょっと挑発的な笑顔に変わった。
「嫉妬?」
「───……!」
固まった俺をよそにさんは隣にあった違う抱き枕を手に取る。よく見たら色や形が違う。どうやら、クジラもいたらしい。
「こっちの研二くんならいい?」
「───イイ……」
全くこれっぽっちもクジラに自己投影は出来ねえけど、さんが一度でもソイツを俺って呼んだならそれはもう俺ってことで。
右手に俺の手、左手に俺の分身を抱っこしたさんは、そのまま店内を歩いて回り最後は俺の分身を買い上げた。
「結局、俺の方が買い物しちゃったね」
「まあ俺の場合、実際色々買うなら部屋が決まってないとねぇ」
「内見とか進んでんの?」
俺たちはクジラを抱えたままフードコートで軽食をとりながら休憩した。
内見はまだ予約してないんで、たまにスマホで情報を見るくらい。なかなか時間が取れなくて難航してるといえば、さんは首を捻る。
「俺とデートしてる場合じゃなくない?」
「いやいや、さんとデートする方が大事だから!」
さんは仕方ないな、って感じで笑いながらため息を吐いた。
実際今日の時間があれば家くらい決められた気がする。そんなこだわりはないし、家賃をケチるような稼ぎでもない。
でもさんが今日、一人暮らしの準備に付き合おうかって聞いてくれた時、俺は真っ先にここを提案した。
純粋に楽しめる場所でもあるし、ちょっと同棲前の気分を味わいたかったってのもあって。
「───萩原さぁ、俺の部屋の間取りとか、どう思う?」
さんはおもむろにクジラを撫でながら言った。
一瞬何を聞かれてるのか、でもってその意図が何なのか、分からなかったが辛うじて返事はできた。
「いっ……良いと、思うよ?」
「これ言ったら引くかなって思って、言わなかったんだけど、その……」
全部理解するより先にドキドキしちまうのは悪い癖だけど、これはそういう意味ってこと───!?
「俺の部屋……」
「うん」
前のめりになってさんの声を聞く。
「実は前に人が死んでて」
「え」
曰く、今さんの住んでる部屋は元々、同期のオニコちゃんが住んでた部屋だった。
しかし入居してすぐに、その部屋で殺人事件が起きた。実際の犯行現場は左隣の部屋で、被害者は右隣の住人。犯行現場から被害者宅に運び込まれる際に、誤って間にあるオニコちゃんの部屋に遺体を置かれて事件が発覚。ちなみに殺しちまったのは左隣の住人ではなくてマンションの管理人だったらしい。
「引っ越してすぐだったからオニコも最初は耐えてたんだけど、やっぱ無理ってなってさ。でも管理会社としては住人がいないと困るじゃん? 俺はオニコの紹介で入居して、かなり家賃を安くしてもらったのね」
「───なぁるほどね。んで、何で俺に今その話したのよ」
「犯行現場になった右隣の部屋が空いてるんだ……当時住人だった老夫婦が揃って介護施設に入ってさ。多分俺が口利きすればスンナリ入れるし、家賃も抑えてくれるはず」
「と、となり───!?」
間取りは一緒だから、って付け足されて最初の質問の意図が読めた。
思い描いてたのとはちょっと違うけど、マンションの隣の部屋ならほぼ同棲みたいなもんじゃん。
───斯くして俺は、さんの隣の部屋への入居を速攻で決めた。
(オマケ)
引っ越し当日は姉貴と松田が荷解きを手伝ってくれて、夜になるとさんが様子を見にきた。
その頃にはほとんど部屋は出来上がってたから、さんは「引っ越し祝いに実況見分再現しよっか?」と一芸披露を提案される。
面白そうって理由で松田と姉貴がはしゃぎやがって、事件の詳細を知るハメになった。俺、これからこの部屋に住むのよ……。
「それにしても、……まさか研二がの隣室に引っ越すとは思わなかったな……」
「花森さん、本当に良いのかよ? ますますハギがべったりになるぜ」
デリバリーした飯を食っていると、姉貴と松田が含みを持たせてさんに話しかけた。
これはさんが提案したことだって言ってんのに、未だに信じられてないみたいだ。
「あはは。あ、松田も住む? 俺の反対隣の部屋も空いてるよ。被害者の部屋」
さんの軽やかな返事に一瞬固まった俺と松田だったけど、松田が目を爛々とさせながらさんに笑いかける。
「へぇ? そりゃぁ~イイな♡」
「~~松田っ!」
ご都合展開(笑)で隣の部屋に住まわせました♡
阿〇ヶ谷姉妹か。
実はデカワンコでオニコが住んでたマンションだった、という裏話がやっとここで書けました。
Aug. 2026