sakura-zensen
春を追う
36話
「はい、じゃ~さん、お手」
萩原のいつも通りのテンションに合わせて、ほい、と両方の手を差し出す。
お手というよりは、まるで手錠をかけられる前のようなポーズだ。否、まるでではなく、今この瞬間俺の両手には手錠がカシャン、とかけられた。
「10時35分、逮捕ー」
「刑事さん違うンです、俺はやってない、やってないんです~」
ひんひんと泣きまねをしながら、手錠のついた両手を広げると、僅かもしないうちに鎖がびーんと張る。
この程度の力じゃ鎖がちぎれたりはしないのは当たり前だ。
本気で鎖を千切るとなると、手首の方にダメージが行くので単純に両端に引っ張るのでは駄目。……しかしまあ、今は手錠をした状態が大事なので、鎖を切る気はない。
手の可動域の確認を終えて、周囲にいた人たちに向き直る。
「誰からくる?」
そこに居たのは白鳥と目暮警部、伊達に高木、佐藤と千葉と萩原だった。
「はい!」
意気揚々と手を挙げたのは佐藤。意外なのは伊達が手を挙げてこないこと。
チラと見ると「俺はまず、花森さんの動きを見てえんでね」と言われてしまった。
「じゃあ今日ばかりは、佐藤のその姿勢に真っ向から応じよう」
俺は佐藤の隣に並ぶようにして立った。
最初は連行されるときの姿勢から入るのが良いだろう。
俺たちがこの日、時間を作ってこの柔道場に集まっていたのは、手錠をして連行される被疑者が逃亡を図った時の対応を鍛える為だった。
昨年俺も被疑者に刺されて谷底に落ちたけど、先週佐藤と高木は連行中の被疑者を取り逃がし、あわや大惨事となりかけた。
その為俺が二人に対し訓練をしようと提案したところ、話を聞いてた伊達が周囲を巻きこんでこうなった。
1時間後、萩原と目暮警部以外とやり合って全員に尻餅をつかせたところで、俺は萩原から頭にタオルをかけられる。
さすがに汗かいちゃったので、助かった。
「いやあ、まさか手錠された状態なのに、伊達まで倒しちゃうなんてねぇ」
「萩原はやらないでいいの?」
「俺にゃ無理だな~」
「花森さんもう一回お願いします!!」
額や首をごしごしと拭いていると、佐藤がリベンジを求めてきた。
「待て待て佐藤、花森さんとこれ以上やり合ったところで、勉強にはならんぞ。これほど動けるのは相当熟練の警察官とか、軍人とかだ」
「もしくは裏社会にいるプロの暗殺者───とか?」
佐藤を止めようとする伊達に続き、白鳥がため息交じりに口を出す。
失礼だな、忍者ですけど。
「やりすぎたかな……?」
「うん、やりすぎ」
「やりすぎだな」
「ほんとですよっ!」
「もっと手加減してください!」
伊達や白鳥の物言いに対して、俺は自分の行動を省みる。萩原と目暮警部が同意すると、高木と千葉も泣き言を吐いた。
確かに俺たちが普段相手にしている犯罪者は、ほとんど普通の民間人だ。中には腕っぷしが強いのもいるが、伊達や白鳥の言う経験豊富なプロじゃない。
この後改めて、二人体制にして更に加減をしたパターンと、逆に俺が抑え込む手本を見せるなどして訓練は終了した。
「───にしても、またコナンくんに会いそびれたよ、俺達」
「会いそびれたって、……さんは何でそんなにコナンくんってのにご執心なわけ?」
仕事に戻るべく廊下を歩きながらぼやいたら、萩原から俺がやたらとコナンくんの話題を出すことを指摘される。
先週高木と佐藤が取り逃がした被疑者は、実は他に真犯人がいたという結末に終わっているのだが、真犯人をあげるのに活躍したのがコナンくんとその友達───少年探偵団っていったかな───だったので、話題にしたこと自体は不自然ではない。
ちなみに俺と萩原はその時他県に出ていたので、事件発生から解決に至るまでは後から話に聞いただけである。
娘の結婚式に行きたい男と、トイレの排水管越しに手錠で繋がる佐藤、捜査一課の仲間に隠れて子供たちを引き連れ真犯人を挙げた高木……色々ツッコミはあったけど、なかなか大立ち回りをしたらしい。
「んー、コナンくんには工藤くんについて聞きたいことがあるんだよねえ」
「高校生探偵くん? まだあのトロピカルランドでの失踪が気になってんの? でもあの後、ちゃんと帰って来たんだろ、目暮警部とか高木も事件で会ってるらしいじゃん」
「でも俺は会ってない。この鼻で確認しないと気が済まない」
「……そこまで気になる理由は?」
萩原はひょいと俺の顔を覗き込む。
コナンくんに会いたいのも、工藤くんが気になるのも、理由をきちんと萩原には言えていない。
「わからないことが多すぎるし、彼個人のことでもあるから、まだ言えない」
「まだ、ね」
「言いたくないわけじゃないんだよ?」
「はいはい、わかりましたよーっと」
肩をとんっとぶつけると、萩原もぶつけ返してきた。
萩原は同じ警察官で、相棒だ。立場や事情はほとんど同じだけど、それでも言えないことはある。
公安の諸伏とこっそりあってることとか、工藤くんがコナンくんと同一人物であることとかがその最たることだろう。
もういっそ、コナンくんに直接会いに行っちゃった方がいいのか───……。
そう思っていた矢先、コナンくんが強盗犯によって拳銃で腹部を撃たれ重傷を負ったと聞いた。幸い手術は成功し、回復の一途をたどっているそうでぼちぼち退院するとか。
じゃあいよいよ落ち着いたころにでも、と時期を見計らっていた俺はある日、高木から耳寄り情報を齎される。『帝丹高校の学園祭に、工藤新一が来た』というのだ。
どうやら事件があって向かった現場が件の高校で、それは工藤くんの母校だったらしい。彼は顔を隠してクラスの劇に出演していたみたいだが、観客席で死人が出ると颯爽と姿を現し、事件を解決してしまった。
本人の希望で彼が事件に関わったことは表沙汰にはされないようだが、高木は俺が工藤くんのことを気にかけていたことを知っているし、同じく刑事という立場から思わず話してしまったみたいだ。
事件があったのは昼間だから、その夜に俺は工藤邸を訪ねた。
インターホンを押すと、程なくして人が応対に出る。
『はい、工藤です』
「警視庁の花森です。工藤新一さんにお話があって来ました」
『───……、警視庁の……花森さん?』
訝しむような声がして、だよねーっと苦笑が零れる。
警視庁で工藤くんに用があるのはだいたい目暮警部だろうし、そうなれば直接電話がきそうなもの。面識のない警察官が訪ねてきたとあらば、怪しむのも無理はなかった。
俺はインターホンに向かって声を潜めて話す。
「トロピカルランドで、あなたが"目撃"したものについて、聞きたいことがあります」
スピーカーから、微かに息を詰めるような音がした。
事件についてではなく、"目撃したもの"と言ったから、彼には俺の話題がコースター殺人事件ではないと分かっただろう。
程なくして、『入ってください』と言う声が聞こえて通話が切られる。
俺は工藤邸の門を開けて、玄関に向かった。ドアの前に来たところで向こうから物音がして、ゆっくりと開かれる。
出てきた工藤くんは少し緊張した面持ちを隠さず、俺を監察した。
念のため警察手帳を開いて身分を証明すると、彼は玄関の中に俺を入れようとドアを開いた。
え、……いいのかな、と思ったけど俺としては中に入りたかったので何も言わず足を踏み入れた。
「───…………?」
玄関の中で、俺はとある匂いに気が付く。
「どうして……、……」
「え?」
どうしてここに、二助の匂いがするんだ───?
俺は口元を抑えながら、愕然としていた。工藤くんは俺の様子が変わったことに気が付き振り返る。
しかし俺は周囲を色々と嗅ぎまわるように、その場をうろうろした。
「どうかしましたか」
「工藤くんは最近、ここで暮らしていないと聞いてるんだけど」
「え、ええ、まあ。事件に呼ばれるのであまり、家にはいませんね」
「じゃあ最近客人も招いていない、か」
「? はい」
工藤くんは客用のスリッパを俺に出してくれたので、匂いを確認する良い機会だなと思い上がり込んだ。
リビングらしい広々とした部屋に通され、ソファに座るように促される。
「それで早速ですが……あなたはどうしてトロピカルランドで僕が"目撃"したものについて知ってるんです?」
「え、そりゃ、君が自分で言ったんじゃない」
「自分で?」
「拳銃密輸してる会社の社長と思しき男が、黒ずくめの男たちに金を渡し、拳銃密輸の証拠データを回収する取引を見た───んだったかな」
「……!」
工藤くんは、医者と警察官を前に喚いたはずだ。まあ、幼児化した姿で、だけど。
「あの後調べてみたけど、それらしい会社は俺には見つけられなくてね。ちょっと情報が少なすぎる」
「ちょ、ちょっと待ってください! その発言は俺が、あの時いた警察官と医者に言ったもので、あの場にいた誰も信じてなんか───……」
工藤くんは言いながらはっとする。うっかり自分があの時の幼児だと認めていることに気づいたのだろう。
「あなたは俺を保護した……」
「えっ、今それに気づいた???」
「だって全然格好が違うじゃないですか……!?」
「顔はそのまんまだよ!?」
どうやらあの日コナンくんを見つけて、家まで探しに来た女と俺が一致していなかったらしい。今日は仕事終わりの、派手な格好で来たけれども。
あの伊達が俺を見逃すくらいだから、工藤くんが気付かなくてもおかしくはない、のかな? ていうかこの分だと工藤くん、俺と水族館で会っていることも認識していないんだろうな。
「じゃああの日───花森さんは同僚の萩原さんとプライベートでトロピカルランドに来ていて、蘭を送るのを萩原さんに任せた後、俺を探し……倒れていた子供を保護したってことですね?」
「そうそう、君の服を着たコナンくんをね」
「……」
落ち着こうと努めるように当時の状況を整理しだした工藤くんは、俺の付け足す言葉を聞いて黙り込んだ。
言おうか言うまいか迷っているのかもしれない。
「君を探している最中にすれ違ったよ、君の血の匂いをさせた男二人組。長髪で身長の高い男と、サングラスでガタイの良い黒ずくめの男。コースター事件でも容疑のかかってた二人組だけど、被疑者が逮捕されたので身元を聞くまでは出来なかったと伊達が言ってたっけな」
これが後押しになれば、とあの日目撃した者の情報を伝えると、彼は血相を変えて俺に詰め寄って来た。
「あの二人を見たのか!?」
「声をかけるか迷ったけど、───雰囲気がやばそうだったし、君が血を流しているなら確認してからじゃないとと思って」
「ちょっと待ってください。あなたはすれ違っただけで俺の血の匂いだと判断したってことですか? そもそも今まさに出血しているとか、返り血を大量に被っているでもないかぎり、血の匂いなんてわかるはずが…………、……───花、森?」
工藤くんはおかしな点を指摘していったが、言葉にする余裕がなくなり頭で考え始める。そして思い出したかのように、俺の名前を改めて口にした。
まさか、と信じられないものを見るような目で、俺を見る。
「東都水族館で起きた殺人事件の現場にいた、花森と呼ばれていた捜査一課の刑事は……」
「俺だね」
あの日は男の格好をしていたので、気付かないのは無理もないと笑いかける。
「手袋の内側に着いた血の匂いがわかるくらいには、嗅覚が鋭いんだ。血の匂いだけじゃなくて、人の匂いも嗅ぎ分けられる」
「目暮警部は『花森くんの嗅覚は犬並みだから』って言ってましたけど、まさかそんなことがあり得ますか?」
「工藤くんとコナンくんが同一人物だとわかるのは、証明にならないかな?」
工藤くんは俄かに信じがたいと言いながらも、少し気が抜けた様子でソファに座り直した。
自分の身にとんでもない異変が起きているのだから、今は他人のとんでもない体質も飲み込んで話を進めるしかないと思ったんだろう。
「それで、あの日何が起きたのか、教えてくれる?」
「───あの日、……俺は黒ずくめの男の一人が怪しい動きをしているのを見かけて、後を追いました」
工藤くんは俺に促されて、頭に怪我をして意識を失い身体が縮むまでに、何が起きたのかを語った。
まさか、身体が小さくなった原因が『毒薬を飲まされた』というのは驚いた。試作品の毒薬だが、死後身体を調べても毒物が検知されない優れものなんだとか。
そして度々工藤くんが姿を現してるのは、風邪の症状が出た時に飲んだ酒が作用した結果らしい。───今も、なのかは知らないが。
「じゃあ灰原哀って、何者?」
「!」
工藤くんは一瞬目を瞠った。
コナンくんと工藤くんが同一人物であることを確信した今、工藤くんと同時にコナンくんが存在している場合、誰かが変装していると考えるのが自然だろう。
高木からは、事件現場にはコナンくんがいたのは確認済みだ。
そして気になって周辺を調べたら、灰原哀という少年探偵団の中の一人が最もそれらしい人物として浮上する。彼女はコナンくん同様にある時急に現れた転校生だ。
阿笠博士の知人の子だかなんだかで、今は一緒に暮らしている。
更に高木と佐藤からは、コナンくんと哀ちゃんは飛びぬけて大人びてる、という話も聞いたことがあった。
「阿笠さんと一緒に、君に協力しているみたいだね。あのくらいの子供に、そんな腹芸が出来るとは思えないし───工藤くんが小さくなってコナンくんになるなら、灰原哀ちゃんはいったい誰が小さくなった姿なのか、考えてしまうよね」
工藤くんは「それは」と言い淀む。
彼はまだまだ感情や動揺がわかりやすいな、とその表情変化を眺めた。俺が警察官であることは重々承知しているけど、全幅の信頼を寄せるとまではいかないみたい。
「───言いたくないなら、言わなくて良いよ」
「え」
「今日コナンくんと工藤くんが同一人物であることを確認して、そのことを工藤くんに知っておいてもらおうと思って来たんだ」
拍子抜けしたような工藤くんに、今日訪ねてきた理由を伝える。
それだけって言いたくもなるだろうが、本当にそれだけだ。工藤くんからこれ以上無理に情報をとっても、正直俺にはあまり意味がない。
これは彼を見放したというわけではなく、それほど慎重に関係を持たなければならない案件だからだ。
俺の立場然り、彼の立場、そして何より、弟の立場も関わって来る。
「じゃ、工藤くんの時でもコナンくんの時でもいいから、何か困ったら連絡して」
「は、はい……」
「哀ちゃんと阿笠さんにもヨロシク」
とりあえず協力できるという姿勢だけ見せて、連絡先を渡した工藤邸を後にした。
工藤くんは終始ぽかーんとしたまま、玄関先で俺を見送った。
───結局二助の匂いは、あんまりわかんなかったな。
そしてアニメのエピONEでシェリーに電話で「面白いものが見れるわ」と呼び出される相手であり、一緒に工藤家に侵入して家宅捜索してほち。
だから幼児化の可能性については掴んでいて、シェリーの逃亡方法には察しがついてるし、なんなら江戸川コナンと灰原哀にも気付いている。
Aug. 2026