sakura-zensen
春を追う
38話
高木の匂いよりも先に放火犯らしきものの痕跡を見つけた俺は、唇をぺろりと舐めて濡らす。
萩原には追跡を始めると連絡を入れて現在地周辺に気を配ってもらった。
放火犯が高木を攫った可能性もあると情報があったので、完全に高木を見捨てたわけではない。まあ、この推定放火犯の匂いと一緒に高木の匂いはしてこないんだけどな。
辿り着いたのは品川6丁目の倉庫街だ。人気が少なくて、燃えやすい古びた木造の建物もあることから火をつけるにはもってこいの場所だろう。
どんどん放火犯の匂いが濃くなっていく間に、俺は萩原に連絡を入れた。
「萩原、どうしよー」
『え、なに?』
「……推定放火犯と子供たちが一緒にいるかもしれない」
最初に佐藤の車付近で少年探偵団たちの匂いがしたのは当然と思っていたけど、まさかここまで匂いがついてくるとは思わなかった。
しかも佐藤とコナンくんと哀ちゃんは一緒ではないみたいで、歩美ちゃんと元太くんと光彦くんのみ。
『! 佐藤に連絡いれて状況聞くよ。俺も合流すっから、それまではあんまり』
「もう少し近づいで状況見て対応する」
『ちょっと!』
萩原と俺は短くやり取りをして通話を切った。
気配を消し、音を立てず、暗闇の中で自分の姿を極力隠したまま匂いの元へ走る。子供たちの匂いが一番近いと気づいて、心の底から安堵した。
どうやら、子供たちは影に潜んで誰かを監視しているみたいだった。
その視線の先にいたのが、厚手のコートを着て帽子をかぶった男。あれが放火犯だろう。
男は倉庫の前にしゃがみ込んで、懐から何かを出した。ガソリンの匂いが強まったので、俺は身を潜めてる子供たちを追い抜いて男の背後に立った。
「なーにやってんの?」
「っな、」
男の背後に音もなく立って、ひょこっと手元を覗き込む。新聞紙にボトルを傾けるところだった。そこからわずかに垂れた液体が、ガソリンだ。
俺の登場に驚いた男は狼狽えたが、その隙に首に手絡めて、キュッと力を込めて気絶させた。
身体から力が抜けるので、そのまま地面に転がしコートを開く。武器らしい武器はなかったが、マッチを持っていたので放火の現行犯人てことでいいだろう。
俺は気絶した男に手錠をかけ、火種を遠ざけて安全を確保してから振り返った。
「ハァ、これで大丈夫かなっと───それで君たち、なんでここにいるの?」
俺のことを影から見ていた子供たちに声をかけると、ワッと近づいて来た。
「姉ちゃんすげーなっ」
「いつのまにボクたちを追ってきてたんですか?」
「一瞬で男の人やっつけちゃったねぇ~!」
一応被疑者には近づいて欲しくなかったので、俺の方からも子供たちに歩み寄った。
「そっちこそ、佐藤は一緒じゃなかったの? あとコナンくんと哀ちゃんは?」
俺は屈んで子供たちと視線を合わせた。
「僕たち品川駅前にある七曲という居酒屋さんに聞き込みにいった佐藤刑事の車の中で待っていたんですが、そこを偶然歩美ちゃんが見た男が通りかかったんです……」
「それで歩美たち、三人で後をつけたの!」
「コナンと灰原にバッジで今連絡入れようと思ってたんだけどよぉ」
俺は一瞬眩暈がしそうになったが、説教は後にしよう。
そうしている間に萩原が駆け寄って来た。
「おい大丈夫か!? ───って待てなかったのかよ、さん」
俺が子供たち三人と向き合ってるところと、横に倒れてる男を見て、すぐに状態を察した萩原はやや肩透かしを食らったような顔をする。
「今にも火をつけるとこだったんだよ。それに、子供たちは男に連れ去られたわけじゃなくて、尾行してたんだって」
「ナルホドねえ。……って、三人で尾行ォ!?」
驚き子供たちを見下ろす萩原に、歩美ちゃんたちがここに来た経緯を話した。
段々呆れたような複雑そうな顔になるので、わかるよ……と思い肩をすくめる。
「ちょっと子供に教育指導をしたいところだけど、今はもう一人安否不明のヤツがいるからあとだ」
「あ、高木ちゃんも探さねえと。コイツと一緒じゃねえってことは、別の線か」
「いや、高木はここに居る」
「へ?」
「でも、コイツとは接触してないみたいだ。本人に話を聞こう」
萩原には放火犯と子供を見ているように頼んでから、俺はたった今火をつけられるはずだった倉庫の中に入った。
中は薄暗く、倉庫のわりに何も保管されていない。普段は使われてない建物なんだろう。
スマホのライトで中を照らすと、鉄格子に手錠で繋がれ頭から血を流している高木がぐったりしているのを見つけた。俺はすうっと息を吸ってから、声を張り上げた。
「高木! 返事しろ!」
「っはい!!!」
高木は先輩からの怒声に脊髄反射で返事をした。
何とか自力で立ち上がりながら、自分の状況を確認する。
「あれ、……花森さん? どうしてここに」
「誰にやられた?」
「そ、それは……えと」
「隠したって良いことないし無意味だよ。……たしかさっき会った───鹿野さん、かな?」
俺は高木の身体に鼻を近づけた。やっぱり放火犯とは別件みたいだな、と零すと高木は「放火犯?」と聞き返して来た。
知らないのも無理はないが、外には放火犯がいて、今にもこの倉庫に火をつけるところだったと教えると、高木は蒼褪める。
「運が良いんだか悪いんだかわかんないねえ、高木」
「ア、アハハ……───えっと、花森さん、その~鍵を開けてもらえませんか」
うんうん、と頷いてると高木がおずおずと俺に手錠を外すよう願い出てくる。
「なんだ、やっぱり鍵とられてるのか。自力で抜けなさそ?」
「はい。あ、でも拳銃はとられてないですからいざとなったら───いやでも」
「まあ殺す気はなかったのかな。放火犯とは別物みたいだしなー」
高木は何か口ごもっていたが、俺はスマホを操作して電話をかけはじめる。「あの、鍵……」とモジモジしている高木を一瞥するも、まだお預けにした。背後に油断してた罰だ。
俺が電話をかけている相手は佐藤で、ほぼワンコールで通話に出ると『花森さん、こちらは今』と喋り出す。
高木の無事を知らせようと思ったが、それを遮ってしまうほど言いたいことがあるらしい。
「あ、マジで? はいはい……」
俺は佐藤の話す内容に若干肩透かしを食らっていた。
何故なら佐藤はコナンくんの推理によって、十八年前の強盗殺人犯が鹿野さんだと突き止めていたのだ。
「───わかった、十分注意していくように。それと、高木は発見した。意識はちゃんとあって、受け答えもできるから安心して良い」
話している最中、俺のイヂワルに耐え切れなくなった高木はえいえいっと手錠を引っ張って試行錯誤した末、窓の格子が外れるというミラクルを引き起こしてバンザイポーズをとっていた。これなら実際に火をつけられてても一人でなんとか逃げられたかもネ。
俺はキラキラした顔をしてる高木に頷きながら電話を切って、通話の内容を共有することにした。
「佐藤、これから鹿野さんのところに乗り込むって」
「え!?」
高木は驚いた後、がっかりしたように肩を落とす。嬉しいは嬉しいが、自分で言いたかったんだろう。つまり佐藤からのご褒美が欲しかった、と。
俺は頭の怪我を見つつ、大丈夫そうなところをワシワシと撫でてやる。
「しょげるなって、お手柄だよワタル」
「ふぇ?」
「高木が品川駅のプラットホームの看板を見ていた───白鳥がそう伝えたところ、コナンくんが高木の言わんとしてることに気づいたんだってさ」
「そ、そーなんですか……でも、時効は結局過ぎてるわけで」
「それなんだけど、鹿野さんは三年間イタリアに行ってたから、その期間は計算されないことになる。彼は自分の50歳の誕生日である今晩0時に時効を迎えるよう帰国したみたい」
「って、あと30分もないじゃないですか!」
「更にこの話には続きがあって、彼がイタリアから帰国した日、日本には台風が来ていて到着が遅れた。到着したのは日付が変わって0時4分だ。つまり、時効は後一日伸びた。本人がそのことに気づいてるかはわからないけど、一日あるなら何としてでも逮捕するでしょ」
高木はパァと表情を明るくして、こくこくと頷いた。
明け方、警視庁の廊下で佐藤に会って、俺たちは互いにあっと立ち止まる。
俺は一晩中放火犯の弁解録取、佐藤は鹿野さんを起訴にこぎつける為に大忙しだったので顔を合わせたのは昨日の昼ぶりだ。
「花森さん、放火犯無事逮捕できたそうでお疲れ様でした。それに高木くんと子供たちも見つけてくださって、ありがとうございます」
「佐藤も愁思郎事件の被疑者、起訴できたって?」
「ええ。高木くんとコナンくんのおかげで」
自販機で買った飲み物を渡すと、佐藤は嬉しそうに微笑んだ。
しかしその表情に一瞬憂いをのせる。
何か気にかかる事でもあったのかと思っていると、佐藤は意を決したように俺を見て頭を下げた。
「昨日は申し訳ありません。失言をしました」
俺は缶に口をつけながら、佐藤の後頭部を見下ろす。
どうして謝られて、失言だなんて言われるのかわからなかった。
「軽々しく花森さんの事故を引き合いに出して、自首してほしいなんて無神経だったと思ったんです」
「別に無神経だなんて思ってないよ」
「でもっ、花森さんのあの事件の被疑者は自首はしたけど……まだ、終わっていないじゃありませんか」
「そんなこと、気にしないでいいのに。ていうか、先にお父さんと自分の境遇が似てるって言ったのは俺だよ」
「───鹿野さんが言っていました。もうだめだと思って死ぬつもりでトラックの前に飛び出した自分を、父が突き飛ばしたんだって。愁思郎と言っていたのも「自首しろ」という意味だった……」
「佐藤……」
華奢な肩が微かに震えてたのでそっと撫でた。
佐藤は気が強いけど時々こうして、小さな女の子が顔を出す。
上げた顔に浮かぶ泣きそうな表情には見覚えがあって───そういえば、三年前に観覧車から降りてきた日も佐藤は下にいたなと思い出す。あの時も、こんな顔をしてた。
「俺とお父さんは確かに似た境遇でもあったけど、比べすぎちゃいけないよ」
「!」
佐藤は、はっと目を見開く。
「お父さんは亡くなったけど、俺は生きてる。お父さんの事件は十八年被疑者が見つからなかったけど今日起訴されて、俺の事件は、かれこれ七年尻尾がつかめていない。───どっちがよかった、なんて言えないでしょ」
「それは、……はい」
「だけど佐藤は自分で自分に言ってあげなよ、よかったって。いろんな思いを抱えて生きてきた十八年間を労わってやりな」
死者が蘇ることはなく、時間は戻ってこない───。
俺たちはこういう仕事をしているのでそれを日々痛感するが、少しでも報われる瞬間を知っている。それが、法の下に裁かれることだ。
それで折り合いをつけられない人は大勢いるが、佐藤はこの出来事を肯定的にとらえることができると信じた。
「よかった……本当に、よかったです」
「うん、よかったな。俺も佐藤みたいに幸運が巡ってきたらいいんだけどな~」
「……っ、もう!」
俺があえて羨んでみせると、佐藤は少しふくれた。
つい俺をべしべし叩こうとするので、俺も手を挙げて佐藤に向き合う。
「三年と一日分の御利益、分けてよ」
「~~~~! はいっ、どーぞ!!!」
ヤケクソになった佐藤は、俺の両手にハイタッチをかました。
掌がビリビリ痺れたので笑ってしまって、俺たちが騒いでいる音を聞きつけて萩原が不思議そうに廊下に顔を出すまで、そう時間はかからなかった。
でも当時は本当に死んじゃうんじゃないかって、お父さんのことを思い出して泣きそうだった。
元々お父さんと似た境遇で生き延びた強運の持ち主だって思っていたので。
Aug. 2026