sakura-zensen
春を追う
41話
10月も下旬に差し掛かった頃、俺と諸伏は恒例の音合わせのためにレンタルスタジオに集まっていた。
いつもなら音合わせ後は飲食可能なスペースで持ち寄ったものを食べながら喋るんだけど、今日はそれをせず昼前にはスタジオを後にする。何故なら午後からはスタジオの少し先にある通りで、サッカーチーム東京スピリッツの優勝を祝うパレードが行われるからだ。
道路は片側交通規制をかけられるし、周辺の歩道には人が詰めかけるだろうと予想していた。
しかしその予想に反して、既に人が大勢集まってきている。
「うわ、もうすでに人がいっぱいだ」
「車で来ないで正解だったね」
諸伏が驚いてあげる声に苦笑して、それぞれ人混みの中に身を投じた。
ギターとベースを背負ってる分、気持ち身体を小さくしながらその場を遠ざかろうとする。
この後場所を移動してお昼を食べようって約束だったので、諸伏の姿を目で追いながら歩いた。まあ、見失ってもどこかで合流すれば良いだけの話だけれど───、
「え?」
人混みの中から誰かの腕が自分の胴体に絡みついてきたことに驚いた。諸伏は視界にかろうじて入ってる場所にいるので、この手は誰だ、と一度は警戒する。
だけどすぐに、俺を引き寄せていく人の正体が萩原だと分かって、強張った身体から力が抜けた。
「なんでここにいんの、さん」
歩道の端っこに引っ張り込まれた俺は、萩原に軽く腰を抱かれて向き合う。
今朝会った時はスーツだったのに、今はなぜか普段着と変わらない格好をしていて、更にはキャップを被って後ろ髪を一本に括っていた。
「いや、それはこっちのセリフというか……何か事件があったってことか」
「今日、パレードに関して妙な予告があってねぇ。さんは、楽器持ってるってことはスタジオ帰り?」
「そう。あ、あ~……」
俺はきょろきょろと人混みを見回して、遠くにいる諸伏に向かって手を振った。状況を察してその場を離れ、どこかで待っててくれるだろう。
萩原は一緒になって相手の姿を見ようとしていたけど、さすがにこの距離では諸伏だってことはわかるまい。あっちも一応、変装してるしな。
「あれが、いつもの……。この後どうすんの?」
「どっかで飯食ってから解散する予定。───ていうか、なんでわざわざ変装みたいなことしてんの。髪結んでるのとか、初めて見た」
「似合う?」
「似合う」
俺はじいっと見つめながら即答した。
パレードの会場で妙な予告があったにしたって、普段の格好で警戒していても問題はないはずなんだが、詳しく聞き出す前に萩原は俺を解放してやんわりと押し出した。
「非番なんだし、こっちのことは気にせずゆっくりしてきな」
人が少なくなってきた所で待ってた諸伏と合流する。
さっき俺が話してた相手が誰だかはわかっていなかったみたいで、萩原がいたと教えると少し驚かれた。
もし人混みがなければ、萩原にしっかり紹介することになってただろう。
「全然わからなかった」
「無理ないよ、あっちも変装してたみたいだし」
「変装しなきゃいけない状況だったのか?」
「ああ、なんか妙な予告があったんだと。それで市民に紛れて警戒中みたいな」
「予告? 物騒だな……どんなやつだったって?」
「教えてくれなかった。非番だから気を揉ませたくなかったのかも」
やっと落ち着いて並んで歩けるようになったからか、俺たちの口数は増えていく。
程なくして目的の店、ポアロの前に来たので立ち止まった。
中を見てみると、昼時なのでそれなりの混雑はしていたが、待つほどではなさそうだ。
ドアノブに手をかけて店内へと足を踏み入れると、来店に気づいた店員の梓ちゃんが駆け寄って来てくれる。
彼女とは初めて店に来た一年前から顔見知りなので、俺への挨拶は比較的声のトーンが高い。……これは別に、俺が他の客とは違うと勘違いしているイタいオトコってわけではないので、悪しからず。
「今日はお連れの方がいらっしゃるんですね。もしかして、お二人はバンド仲間……?」
この通り、梓ちゃんは俺をちゃんと覚えてくれているのだ。
俺に連れがいるのは珍しく、なおかつ二人して楽器を背負ってる姿を見て、興味津々といった感じだ。
普段から挨拶や雑談はするものの、私生活などを話したことはなかったからそうなるのも頷ける。
「バンドってほどでもないよ、俺たちは単に時々集まって音合わせするってだけで、ね」
「うん。趣味友達ってやつだな」
今まで成り行きを見守ってた諸伏に何気なく話を振りながら、席に案内してくれる梓ちゃんの後へと続いた。
注文していた料理がテーブルに運ばれてきて、俺たちはまったりとランチを開始した。
こういう時の話題は誰に聞かれても問題のない、俺の知り得る諸伏の同期たちの近況、捜査一課で起きる細やかな日常、佐藤美和子を取り巻く警視庁恋物語などのゴシップが中心となっている。
潜入捜査官という立場では身にならない話だが、親しい人と断絶状態にある諸伏個人にとっては気晴らしくらいにはなるんじゃないかな、なんて思ったり。
「どうやら今度、M子とWは仕切り直しデートをするらしい」
「おお! それはよかった、捜査の尾行に使われるのはデートと言えないしな」
「ね~」
「どこ行くんだろうね」
「トロピカルマリンランドだって」
「く、詳しくない……?」
「滅茶苦茶注目されてるカップルなので、俺も情報収集に余念がないと言いますか……当日は大勢の同僚たちが挙って休暇届を出したらしい」
「えぇー……?」
破局を願われるという意味で注目されてるカップルだが、俺は一応応援している方なので見守るに徹するつもりだ。
諸伏は警視庁暇なのかと口ごもっていたけど、まあ、暇なんじゃないでしょうか。
……うそ、絶対暇じゃない。
そんなくだらない話をしていると、店内の様子がおかしいことに気づいて他の客の話に耳を傾けた。
「杯戸町公園の近くで爆発───」
「───パレードでも」
「東京スピリッツ……」
俺と諸伏はさっと目を見合わせてから、スマホを取り出す。
確認すると杯戸町公園付近の公衆電話と、東京スピリッツが優勝パレードを行うコース付近の交差点で車両が爆破される事件が起きていたらしい。
パレードのコース付近ってことは、萩原がさっきまでいたところだ。
俺はすぐに萩原に電話をかける。幸い、コール音はほんの数回で途切れた。
『はいは~い、どったの? さん』
スマホから聞こえてくる萩原の声にほっと胸を撫で下ろす。
位置情報を見れば電話することなく動いていることも確かめられたかもしれないけど、安全を確認したかったので声が聞けて良かった。
「……、……怪我とかしてない?」
『あぁ、もしかして、ニュース見た?』
「見た。死傷者は今のところ報道されてないみたいだけど……大丈夫?」
『ん~、まあちょっとかすり傷負ったヤツがいるけど大丈夫よ』
萩原曰く、最初に爆発した車は高木の乗って来た車らしい。種類はプラスチック爆弾で、起爆装置は無線式のもの。
高木がちょうど車に乗るところを見ていて狙われたらしいが、間一髪で難を逃れた、とのことだ。悪運強いぜ、ワタル……。
さっき萩原が話していた予告が『今日行われる東京スピリッツ優勝パレードで面白い事が起こる』という内容のFAXだったので、高木も警戒していたんだろう。
『こっちじゃ、三年前の爆破事件と同一犯じゃねえかって話だったんだけど』
「!? な、何でそれなら呼び出してくんないの……?」
『まあまあ、落ち着いて。奴じゃねえよ、絶対に。今日は10月24日、あの日まで約一ヶ月もあんのよ?』
「……それはそうだけど……」
指先が微かに震えて、落ち着かない。
俺は、誤魔化すように前髪を掻きむしった。
萩原はさっき言ったように非番なんだから休んでなって通話を切ってしまったので、沈黙したスマホを未練がましく眺める。
「花森さん大丈夫? 顔色が……」
「うん、大丈夫」
俺の動揺を悟って、諸伏が心配そうに顔を覗き込んでくる。
なんとか笑顔を浮かべたけど、それが本当にヘタクソでぎこちない気がして、情けなくなってきた。
「一昨年はなんもなくて、去年は別の現場で自分が刺されてたってのに、───いざという時、こんな動揺するとは思わなかったな」
「……例の、11月21日の?」
頷いてから、周囲の席には聞こえないよう声を潜めて諸伏に詳細を伝えた。
今日何かが起こると予告するFAXがあったことで、警視庁は三年前と七年前の事件と同一視しかけたこと。しかし日付が違うことや、爆弾の種類が違うことから、模倣犯的な行動ではないか、ということ。
「俺も萩原も、同一犯じゃないとは思ってる。多分東京スピリッツのパレードへの抗議とか、もっと違う何かが目的かもしれないし……」
「そうか」
「詳しいことはわからないけど、今日はさすがに俺は呼び出されることはないかな。出来ることは、なんも、ない……」
言いながら尻すぼみになっていく。
「萩原なら大丈夫だ。それに爆弾が出てきたってことは、松田も出動するんじゃないか?」
「多分ね」
「なら花森さんは安心していい」
諸伏が俺の手をそっと取って、自分の温かいカフェオレのカップを握らせた。
その優しさにお礼を言いながら暫く暖を取らせてもらう。
「でも意外だな。花森さんがそんなに動揺するなんてさ」
「仲間のことは信じてる……それでも怖いことはあるんだよ」
「えっ、花森さんて怖いものとかあるんだ」
こいつ、俺を何だと思ってるんだ。
わざと茶化して元気づけようとしてくれてるのかと思っていたけど、本気で俺がいつも平然としているとでも言いたげだ。
確かに俺は、11月21日に起こることを恐れているわけではないし、何が起こっても怖いと感じるより先にやるべきことがあると知っている。
ならどうして、何が怖いのか、その心はあまりにも簡単に言葉になって零れた。
「自分が傍にいられない時、大事な人が危険な目に遭うのは怖い」
諸伏は一瞬だけ、目を瞠った。
それから小さく頷き、何も言わなかった。
店を出た後、このまま解散するかと思ったけど俺は諸伏に「見に行ってみよう」と腕を引かれてパレードのコース付近、爆発があった交差点に来ていた。
高木の捜査車両が道路に転がっていて、周囲には焦げ跡が残っている。
パレードはとっくに中止になって、見物客たちも避難していっただろうに、今度はパレードではなく惨状を展示物か何かだと思ってる人々がちらほらと目についた。
俺達も今は彼らと同じ、温度のない関心を装いながら、規制線の外から見物する。
「プラスチック爆弾って言ってたっけ」
「うん。知ってるかもしれないけど、三年前に観覧車と病院に仕掛けられてたのは液体爆弾。───でも今回は対象が車だから想定する規模が違う。タイプを変えても不思議ではない。起動装置が時限式じゃないのも、別人とは完全には否定できないんだよな」
ボヤくように言うと、諸伏は首を傾げた。
「なんでだ?」
「だって次は脱出に備え、て……」
視線は諸伏にやっていたが、俺は背後を通り過ぎた人の気配に振り返る。
何人かが横切って行った風圧と共に香った匂いを辿って、後ろ姿を目に捕えた。
俺はその視線をそらせず、手探りに諸伏の上着を掴んだ。
「な、なに?」
諸伏が戸惑っているのもお構いなしに、俺は掴んでいた上着を強く引っ張る。───「これ、脱いで」
ひろくんは主人公の話す同期の近況と、警視庁恋物語がと~ってもたのしみ。
Sep. 2026