sakura-zensen
春を追う
42話
三年間、この匂いを忘れたことはなかった。
そして今日、東京スピリッツのパレード会場付近で起きた爆発で、破損して転がる車を眺めている背後を通り過ぎた人物からその匂いを嗅ぎ取った。
俺は突き動かされるようにして、その"男"の後ろを追った。
「花森さん、誰を尾行してるんだ?」
「───、」
耳たぶに息がかかりそうなくらい至近距離で、諸伏の声を吹き込まれて肩が跳ねそうになる。
馬鹿じゃないので大声で聞いたりして来ないが、空気を読んで下がるということはしてくれないらしい。
もちろん、俺が放り出したギターやジャンパーを律義に拾ってくれて、自分の上着も貸してくれたのには感謝している。でも、横にいられると目立つというのが難点だ。
楽器を背負ってるっていうのは結構特徴的だ。覚えられてしまうと、尾行がしづらい。
俺は諸伏の上着で派手な服装を隠しているけど、念には念を入れてスカートのホックを外して地面に落とす。さすがにこれは自分で拾って、鞄に詰め込んだ。
ちなみに、スカートの下にはタイトなパンツに見えるレギンスを穿いているので、露出狂のような不審者には見えない。
加えて、日ごろ持ち歩いてる変装道具のニット帽と眼鏡を着用して髪の毛をしまいこみ、印象を変えた後、極めつけに革のチョーカーを外して上着のポケットにしまえば、取り立てて特徴のない男が出来上がる。
「す、すごい用意」と横で諸伏が感心していたけど、俺は笑うだけに留めた。
諸伏には楽器をもってこのまま帰ってもらおうと思ったが、俺の尋常じゃない気の張り方から何かを察し、車を調達して来ると言ってその場を離れた。
そして現在、俺が一人で尾行している男は駅の方へ向かって歩いている。
連れはおらず、あの場所にいたのは偶然通っただけなのか、パレードで起きた爆弾に関係していたのか、興味があって見に来ていたのかは不明だ。
駅の中へ入ると当然ながら電車に乗るようで、東都線の改札口に入って行くので俺も遅れて同じ電車に乗り込み、諸伏には電車に乗ったことを連絡しておく。
その後南杯戸駅で下車したので、諸伏に至急で迎えに来られないかを聞いた。
家の最寄り駅なのかはわからないが、この後車やバスなどに乗る可能性も否めない。
最悪タクシーかその辺の車やバイクを奪ってでも追うつもりだったけど、男はどういうわけかしばらく駅の中をうろついているようだったので、諸伏と合流するまでに少し余裕が出来た。───神様が、俺の味方をしてくれている気がする。
いや、この場合諸伏が俺の天使か。
尾行を切り上げてマンションに戻ると、夜の21時になっていた。
エレベーターにのって部屋の前に辿り着き、鍵を開けているとまるで待ち伏せていたかのように、隣の部屋のドアが開く。
萩原が顔をだして「お帰り」と声をかけてきたので、自然と笑みがこぼれた。
「ただいま」
「随分遅かったんじゃねえの? 飯食って解散っていってたのに」
「ちょっと色々あって。萩原の方は……帰ってるってことは、事件は解決したのかな」
言いながら、俺は萩原を部屋に招き入れて廊下を進む。
リビングの電気をつけながらジャンパーを脱ごうとした時、背後から伸びて来た手が俺の首筋に触れた。
相手が萩原だと分かり切っていたから警戒なんてしていなくて、いきなりの行動に若干驚く。
「なんで髪、解いてんの」
「え、あぁ」
萩原の手は、俺の下ろした髪をまとめるように掴んだ。
「チョーカーも外した? 昼間に会った時は、してたよな」
軽く髪を引っ張っられて、自然と上を向かされる。何もつけていない首をまじまじと見られる緊張から、喉が嚥下してゴクリと音を立てた。
なんだ、この尋問みたいな空気は。諸伏の匂いでもついてたかな、とあるわけない懸念が頭をよぎった。
「───さん、アイツの前で脱いだ?」
「は……」
脱いだは脱いだ、けど。
待って、脱いだってそういう……?
コイツ、本当に俺が理由もなく───というか、そういう理由で───脱いだと思ってたんだろうか。だとしたらあんまりだ。
「さっきまで、尾行してたんだよ」
「び、尾行ぉ……?」
変な誤解を受けたくないので、俺はさっさと髪を解いてチョーカーを外した理由を答えた。
神妙な顔をしてた萩原はたじろぎ、俺がソファを指さして「座ってマテ」というと大人しくその通りにする。
俺は改めてジャンパーを脱ぎ、カウンターにひとまず置いてから萩原の隣に座った。
「───昼間に萩原と通話した後、爆発が起きた現場に行ったんだよ。三年前の事件とは関係ないと思ったけど、それでも自分の鼻で確認したかった。───爆弾の種類や起爆方法が変わる可能性はあるし、日付だってたまたまパレードが行われるなら、そこを狙う可能性もあったから。行ったところで捜査に参加は出来ないんだろうけどね」
「ああ、そういうこと……それで?」
「高木のフッ飛ばされ車を見てた時、背後を通った人物から嗅ぎ覚えのある匂いがした。それが、三年前の爆弾に付着していたものと酷似していて」
「え」
「確証はなかったよ? 今日あった事件はその様子だと、やっぱり無関係だったんでしょ? でもヤツが今年こそはと何かを目論んでいて、今回の事件をニュースで知って見に来た可能性も否めないから」
「ちょ、ちょちょ、ちょい待ち」
膝を抱えていじいじと話していると、萩原は俺の肩を揺さぶって制止した。
「三年前の爆弾についてた匂い、ほぼわかんねえって言ってなかった?」
「ああ、それは観覧車から降りた後の話ね」
俺は当時外れた肩関節を自分でハメた後、爆弾から嗅ぎ取った微かな匂いだけで周囲を嗅ぎまわると息巻く興奮状態にあった。
門馬班長に「ワンコを救急車にブチ込め」と命じられた萩原に担がれ救急車に乗せられたのも、今となっては懐かしい思い出である。と、これはさておき、この話には続きがあったのだ。
「入院した時、松田と俺って連絡先交換したじゃん? 実はその後すぐ呼び出されたんだよね」
「へ、陣平ちゃんに?」
「そう」
───三年前の11月、大観覧車から脱出をかました後のこと。俺は連絡先を交換したばかりの松田に呼ばれて、警備部機動隊管轄のとある施設に来ていた。
警察手帳で身分を証明してから案内された部屋に入ると、松田と五名の隊員らしき人たちが俺を出迎える。
「よう、待ってたぜ花森さん」
「急に呼ぶから何事かと思ったけど……えっと?」
松田以外の人に面識はなく、俺はそれとなく紹介を促すように視線を巡らせる。
「ここにいんのは、病院にあった爆弾に携わった全員だ」
松田が周囲を一瞥すると、五名は心得たようにそれぞれ階級と名を名乗った。中には年も階級も松田や俺より上の人もいたが、この場を仕切るのは松田に任せているみたい。
「で、早速なんだがよぉ、こいつらの匂いを嗅いでくれ」
「え」
俺は松田と、五名の隊員を順に見た。その五名は俺と目を合わせないように、バッと顔を背ける。
事前に聞かされてはいたのだろうけど、匂いを嗅がれるって居たたまれないもんね。
「一応聞くけど、何で?」
「そんなの決まってんだろ。病院にあった爆発物の匂いを嗅がせてやろうってこった。いらねえか?」
「謹んで嗅がせてただきます!!!!」
俺は元気に返事をして、五人の周りをウロウロ、フンフンと嗅ぎ回った。
人の匂いと、それから当日着用していた防護服を入念に嗅いでインプットした後、「ではさっそく」と爆弾の前に立つ。
しっかり分解されてるようだが、一式まとまっている箱の前で、『いただきます』のポーズをとると、松田が横で身じろぎをした。
「なあ、俺の匂いは嗅いでおかなくていいのかよ」
「松田の匂いはとっくに覚えてる」
「……そーかい」
「照れてるのか、陣平ちゃん」
「〜〜照れてねぇよ!」
ややフザけたやり取りを挟んでからもう一度、俺は爆発物が保管された箱の中に顔を浸すようにつっこんだ。
観覧車のゴンドラは狭く匂いがこもりやすい場所だったけど、おそらく仕掛けられた前後に人が乗り降りしている為、複数の匂いが残っていた。
それに爆弾そのものを開けたのは萩原だったので、丁寧に嗅いでいる暇はなかった。多少、それらしき匂いは感じ取れたがそれが被疑者のものとは断定できない。
だけど、病院に仕掛けられていた爆発物は、触れた人が少なく、今この場所に現存していた。
日数が経っている分匂いは薄れるが、松田は俺が匂いを嗅ぐことを考慮して、最低限の接触にして、密封し、外部に持ち出しをせず、俺が来られる日までこうして待っててくれた。
爆発しないように処理をされてるとはいえ、重要な証拠品をここで差し止めて置くのは、かなり骨が折れただろう。
───「なんで、ここまでしてくれたの」
俺は当時、松田にそんなことを聞いてみた。萩原や伊達から聞いてたのかもしれないが、それでも俺が犬並みの嗅覚を持ってることは、すぐに信じられることではない。
なんなら萩原や伊達にだって、嗅覚を前面に出して接しているわけでもなかった。
おそらく松田が俺を爆弾と対面させているのは、そこそこな規則違反である。仲間に協力させるのも、きっと大変だっただろう。
そういう負担をかけてまで、俺を呼び出した理由を聞いてみたかった。
だけど松田はあっさり「少なくとも、あんたの刑事としての嗅覚は本物だって思ってるからな」と言って笑った。
一年前からこれが起きると予見してた俺を、松田をはじめ爆処の人たちは知っていたのでそれが今の評価に繋がったってことだろう。
俺たちはアチィ握手をして別れた。
「大観覧車の爆弾と病院の爆弾からした匂いを合わせて、共通する匂いの特徴は記憶していた。───そして今日爆発現場を通りがかった人から似た匂いがした。だから詳しく素性を調べるために尾行してきたってわけ」
このことを萩原に言うのは、今が初めてだった。
黙っていたことには、特に理由はない。匂いが本当にそうなのか、そしてそれをいつか見つける日が来るのか、まったくわからない話をする気にはならなかっただけ。
「な、……んでそんな大事なこと───」
萩原はぐるぐると何かを言いかけて結局「松田ァ」と鳴き声を上げて黙り込む。松田も萩原に言ってなかったのは、この様子を見れば明らかだ。
親友と相棒に秘密を持たれて寂しい気持ちはわかる。ソファの背もたれに擦り付けてる頭を、ヨシヨシと撫でておいた。
「でさ、今日の事件はやっぱり爆弾事件とは関係なかったんだよね?」
「ああ、ありゃ過去の爆弾事件とパレードを隠れ蓑にした、郵便局強盗だったよ」
「なんだそりゃ」
俺は改めて、萩原から今日の事件のあらましを聞いた。
でもまさかその場にコナンくんたち少年探偵団がいたとは思わなくて、半分くらい笑いながら聞いてしまった。不謹慎だけど、楽しそうじゃないか……。
ちなみに郵便局強盗は結局、郵便局で警察が先に待ち構えてて、一網打尽にしたらしい。
「───となるとヤツは自分の真似をしている犯人や、警察の動きでも見にきてたのかなあ」
「尾行ってどこまで出来てんの?」
「車に乗って自宅らしいマンションに入る所までみた。けどまあ、10億円せしめた人間の暮らしぶりとはどうも思えなくて……自信を失いかけてるとこ」
「どうやってそこまで突き止めたのよ ……でもま、ンなわかりやすく豪遊しないんじゃねえの。それにさんだってわかるだろ、相棒の命日にご丁寧なカウントダウン、警察の威信か警察官の命を奪うための執念───最初の金っていう目的なんざ奴の頭にはもうなくて、復讐の鬼になっちまってんのよ」
俺は萩原の言葉に思わず眉をひそめた。
随分身勝手に、人の道を踏み外したものだと。
せっかくの嗅覚だから、こういう突き止め方もアリかなって。
大観覧車の爆弾には水銀レバーが仕掛けられていたので(観覧車が止まった揺れで作動しているし、他の人が乗ってる時に揺らさないとも限らないし)、おそらく予告直前に仕掛けたと想定しています。つまり被疑者の匂いもマア残ってたんじゃないかと。それで病院の爆弾も嗅いだので両方に共通する匂いを統合して覚えていたっていう執念です。
三年前の陣平ちゃんはまだ主人公の鼻について半信半疑だったけど、疑って避けるよりは能力見て判断するタイプだと思ったし、親友と命懸けで大脱出してきた男へのリスペクトがあったので人としても警察官としても『信用』していた……という認識でいます。
Sep. 2026