sakura-zensen
春を追う
43話
次の日から、俺と萩原は普段抱えている事件と並行して、尾行した男の身元を洗った。
まだ容疑者とも言い切れない段階なので、情報は二人だけでせき止めたままだ。
───男の名前は、伊藤譲。年齢は55歳、東京都出身。
18歳までは実家で両親と暮らしていたが、大学進学を機に一人暮らしを始めた。
卒業後は東京で就職したが、十一年前に勤めていた会社が倒産。以後転職活動をするも正社員としてではなく、契約社員という雇用形態となり、職場は数年おきに変わっていた。現在は、空調設備の取り付けやメンテナンスを行う会社に雇用されている。
身上は結婚歴もなく兄弟はなし。父親は二十年前、母親は四年前に他界しており、現状身内と呼べる人はいなかった。
「死亡した被疑者───上田正と関係があったか、それと七年前の住居、三年前の動向が知りたいな……」
身辺情報ならある程度調べ上げられるが、簡単な経歴だけだ。重要なのは事件への関わりを立証すること。
俺は今ある情報が記載された書類をとんとん、と指先で突きながら呟いた。
萩原も考えは同じようで、「七年前、上田の近隣住人には聞き込みしてたんだっけ」と尋ねてくる。
「してる。───だけどマンションだったから誰がどの家に住んでいるかまでは余程注目していないと分からないんで、同居人が誰なのかはわからずじまい」
ここ何年も読み込んだ資料によれば、警察は同居人についてはそう多く調べてないのは明らかだった。
支払われた10億円が戻ってこないことで、共犯者がいる線を探らなかったのはこちらの不手際だと思う。被疑者を刑事施設内で自殺させたことでピリついていた挙句、手早く処理した結果がこれだろう。
「それを今度は、写真を持って行って『この人を見てないですか』って聞きゃいいんだな」
「うん、見覚えがあるって言う人がいるかもしれないね。それと、上田の交友関係にもあたってみて」
「オッケー。さんは三年前のショッピングモール付近の防犯カメラ、見るんだっけ?」
「うん。どこかに伊藤が映り込んでいないか確認する」
本来、主観で決めつけて捜査をするのはご法度とも言われるけれど、今は俺の刑事としての勘とこの嗅覚を信じて進むしかない。自分を疑うのは、調べ尽くして何も出なかった時でいい。
───なあんて、カッコいい感じに突き進んできたつもりだけど、俺は不安と戦い続けていた。
何日も睡眠時間をろくにとらず、単調な映像ばかりを眺めている時とかは、その不安に押しつぶされそうになる。
人が延々と出入りしていく光景を眺め続け、一向に対象が見つからないので視界と思考が乖離していくような不思議な感覚だ。
「ここ何日も、死んだ顔してよくやるな」
すぐ隣の椅子が引かれた時、心臓が口から出るんじゃないかってくらい驚いた。
資料室に人が入って来る音に気付かなかったくらい、思考が散漫になったいたらしい。
俺の隣に座ったのは、かつて同じ班で活動していた先輩、柳さんだ。
同じ捜査一課の強行犯係にいるのでよく顔を合わせるけど、こうしてまともに声をかけられるのは随分久しぶりだ。
「……どうしてここに……」
「お前と萩原がいつも以上にべったりなんで、とうとうくっ付いたかと噂になってたぞ」
「なんだその噂は~……」
今はそれどころじゃないんだよ、と頭の中で言い返す。
「まあそれは冗談。お前たちはこの時期になると、血眼になって例の爆弾事件を調べ直し始めるからな。先週模倣犯まで出たことだし、桐島なんてかなり荒れてたぞ───それで、これは三年前のショッピングモールの映像か」
「はい」
「で、お前はこの男を疑ってるわけか。どうやって掘り当ててきたんだ?」
俺が何枚か隠し撮りしてきた伊藤の写真を机に広げていたこともあって、柳さんはすぐにこの男が容疑者で、映っている映像を探していることを察した。
「模倣犯の、郵便局強盗の日です」
「!」
「爆弾事件があったから見にきたのか、たまたまいたのか……とにかく知ってる匂いを嗅ぎました。三年前、観覧車の爆弾はともかく、病院におかれた爆弾───あれは破裂してないですからね。それにほとんど爆処のヤツしか触れてない。松田が協力してくれて、関係者全員と爆発物の匂いを嗅がせてくれました」
「……三年前の匂いか」
「事件の容疑者ともなれば、忘れません」
「いや、そこは疑ってないよ」
「でも被疑者かどうかはまだ、あんまり自信はないです」
柳さんは俺の説明を聞きながら、改めて写真を引き寄せて伊藤の姿を見つめる。
程なくして、よしと言いながらそれを机に戻し、その手で俺の前にあったノートパソコンを持ち上げた。
「映像の確認は俺がやる」
「え」
「お前は違う角度から───いや、一度休め。30分でもいいから寝てリフレッシュさせろ。そんな追い詰められた状態じゃ、簡単なことも見落とすぞ」
頭を小突かれて、かなり無理をしていたことを叱られる。
先輩にはいくつになっても頭が上がらない。俺は言われた通り、ちょっとだけと断ってから椅子に座ったまま背中を丸めた。
どのくらい寝てただろう───、周囲に人の気配や話し声、匂いが増えてきたことで自然と顔をあげる。
気付けば俺は隣に座ってた萩原の肩に頭を預けていたし、たくさんの人が資料室に詰めかけていた。気配に敏感な俺でも、さすがに疲れてたみたい。まさかここまで人が集まっているのに気付かなかったとは。
「ほぁ……」
阿呆な声をあげたことで、みんなが俺の目覚めに気づいて顔を向ける。
起きたか、と口々に声をかけてきたのは桐島さんをはじめとする特殊犯係の人たちだ。
強行犯係からは千葉と伊達も来ていて、柳さん同様に何かの映像を確認しているみたい。ちなみに萩原はまだ眠っている。
この部屋に今誰がいてどんなことをしているのかを考えている俺を見て、柳さんが口を開いた。
「柳班は伊藤周辺、白鳥班は上田周辺の聞き込み、目暮班はショッピングモールや病院を調べ直している」
「い、いつのまにか話が大きくなっている……」
「特殊犯の俺たちは伊藤の現在の動向を調べることにした」
次に口を開いたのは桐島さんだ。俺と萩原が調べてきた伊藤の資料を揺らしている。
更には伊達が、思わせぶりに腕を組んで椅子の背もたれに寄りかかった。
「───水くせえよなぁ、花森さんも萩原も。俺たちだってヤツには因縁があるってのに」
「え?」
「俺たちみんな"警察官"だ。市民を守る俺達の誇りを傷つけ、そして仲間を傷つけようとする相手を、許しちゃなんねえでしょ」
「か~っこいいねえ、伊達班長は」
いつの間にか目を覚ましていたらしい萩原が、伊達の熱い言葉に笑っていた。
伊達は茶化されたのをフンと鼻で笑い飛ばす。
「何言ってんだよ、花森さんの受け売りだ。だいたい、花森さんと萩原を会わせたのは俺だっつーのに、何で俺にまでこのこと黙ってたんだよ!」
「いやー……、まだ確証はなかったもんで、さんが言うなって」
一時的に萩原と伊達の軽口に目が行っていたにもかかわらず、萩原の発言によってまた視線が俺へと戻って来る。
特に桐島さんが眉を吊り上げ「何ィ?」と反応した。
「日和ってんじゃねえよ、バカワンコ。お前は何か見つけたらすぐ鳴くのが仕事だろーが!」
「わ、わん……!」
桐島さんに言われるとつい、身体が反応してしまった。
捜査本部が発足されたわけでもないのに、刑事たちがバタバタと入り乱れて捜査を展開していく。
柳・白鳥・目暮警部の三人が中心となって、部下に指示を出していくと翌日には伊藤と上田の関係について繋がりが見つかった。───どうやら、十一年前に倒産した伊藤の会社の複合機を管理していたのが、上田の勤め先だったらしい。
十三年前から上田が定期メンテナンスで伊藤の会社を担当しており、二人が顔見知りになったことが予想される。
そのうち会社の傍にある個人営業の飲み屋でよく二人で飲むようになったらしく、店の主人は二人のことを覚えていた。十一年前に伊藤の会社が倒産して以来、二人とも店に顔を見せなくなったそうだけれど、それまでは他の常連たちとも顔なじみだったそうだ。
店でお祝い事があった時に撮った、客たちとの集合写真に伊藤と上田の二人が写っているのが確認された。
伊藤と上田が一緒に写った写真、それから店主の証言によって、本腰入れて捜査をすることに決めた。改めて捜査本部が設立し直され、松本管理官が指揮を執る。
そうとなれば伊藤のクレジットカード情報や金の動きを調べる手続きが堂々出来るようにもなり、七年前当時カードの登録情報にあった住所が上田と同じだったことも判明した。
伊藤の会社が倒産した後、公的な住居は実家となっていたがクレジットカードの登録情報や、ネットショッピングの購入品は任意の住所を指定できる。余程深くまで調べられなければ怪しまれることもない───と、本人は思っていたんだろう。
この後、サイバー犯罪対策課が躍起になって奴の情報を洗い直し、七年前に10億円を振り込んだネットバンクへのアクセスを見つけ出すに違いない。
当時その口座はすぐに抹消されて追えなくなったが、個人に特定して探せば、今どこにその金をため込んでいるのかはわかるはずだ。
「やはり伊藤の動向を入念にチェックする必要がありますね。先月あった爆破事件の現場に来ていたのは、本人に事件を起こす思惑があったからかもしれません」
「特殊の方で張り込みを強化する。ヤツの最近の購入品から行った場所、会った人物まで全部調べ上げるんだ」
白鳥と桐島さんがそう話し合っているのを聞いて、俺はそちらに顔を向ける。
爆破された車を見に行った俺の後ろを奴が通った時から、そんな気はしていた。一昨年と去年は何もなかったけれど、今年は動くって。
警察としては、現時点でわかっている伊藤の経歴や上田との関りがあるだけでは、逮捕するに至らない。だから白鳥と桐島さんも、見張りを強化して今年動いた瞬間を押さえると意気込んでいるのだ。
「その張り込み、参加させてください」
非情に難しく、気を張る仕事だけれど、当日FAXが来るのを待つよりは余程イイ。
俺はやる気満々で、桐島さんと白鳥に打診した。二人の会話を聞いていた松本管理官も、俺をじっと見る。
三人とも、本音を言えば俺をそこに投入したくはないだろう。
「しかし花森、お前の姿は一番相手に見られている可能性があるんだぞ」
そう、これが最も大きな理由だ。
普段から派手で珍妙な格好をしているので、自分が目立ち、覚えられていることは重々自覚していた。
しかしそれと同時に、目立ち過ぎて顔への印象が薄いということも知っていた。
「服装さえ変えてしまえば、余程この顔を見慣れてる人間じゃなければ気づかないと思います。───捜査一課の皆ですら、男装したぼくに気付かないこともありますよね」
松本管理官は俺の周りの人たちに目線をやる。皆たじろぎながら、マア……と目を逸らした。
伊藤がもし事件当時に俺を目撃していたとして、七年前も三年前も派手な服を着ていたのでその印象が強いはず。
「毎日顔を合わせる同僚でさえ二度見、またはスルーしてしまう、素顔の特徴のなさは尾行するのにうってつけです」
松本管理官はウ、と言葉に詰まった。
俺はさらに畳みかける。白鳥と桐島さんに訴えるより、更に上を説得してしまえばこっちのもんでい。
「奴が何かを仕掛ける瞬間は、人の少ない時間か、逆に人が多く姿が紛れるタイミングで行われると思います。相手に気付かれず、しっかり追跡するのに適しているのは───この花森しかいません」
「…………ううむ、…………わかった」
俺は自分の有用性を押せ押せで売り込んだ。
嗅覚のことを表立ってアピールすることは普段ないが、松本管理官も俺の実力も知るところである。
「しかし絶対に相手に気取られるんじゃないぞ。お前の存在が相手の認識に入った途端、全てが無に返ると思え」
「はい、狼のように張り付いて獲物のすべての行動を監視します。その上で相手の悪意を全て叩き折ってやりましょう。二度と警察に楯突こうなんて考えられないようにしないと……ね、みんな♡」
やっと首を縦に振った松本管理官に肯定して、今度は捜査本部の皆に共感を求めるように振り返る。
でも皆は目を点にしながら「う、うん」と返事をしただけで、なんだか思ってたより勢いが弱かった。どうした、もっとテンション上げていこうぜ。
「───さすが俺のさんだぜ……♡」
「「「「お前のじゃねーよ」」」」
萩原へのツッコミは、こんなにも速くて息が合ってるのにぃ。
当然だけど犯人像は捏造で、名前は二人の中の人の名前をほんのりアレンジ。
Sep. 2026