sakura-zensen

春を追う

46話


11月21日、俺達の捜査車両に仕掛けられたのは爆弾だけではなく、予告文も一緒だった。
三年前に送られて来た文章のように、謎かけじみた言い回しで爆弾の場所を仄めかしている。その内容からして、偽物の爆弾がおかれた東都線の電車はひっかけで、本命は東都タワーであることは間違いないだろう。
杯戸高校の爆弾についてが一切書かれていなかったのは、きっと三年前のように爆弾にヒントがしかけられているから。
大観覧車のようには脱出することができない場所に閉じ込めたから、同じやり方でリベンジしてきたのだろう。 しかしあいにくと、その悪意は全て先に取り除いてしまった。今や、東都タワーと杯戸高校には音声を拾うためのマイクしか残されていない。

─── " 試合を中止したくば俺の元へ来い "

予告にあった一文の通り、俺達は一夜明けた今日、伊藤譲の自宅マンションを訪ねた。
爆発時刻は翌日正午だったから、見物するために出かけるはずだと考えて朝一番を選んだ。



雨にけぶる、ほの暗い朝。せっかくの日曜日だけれど、この天気と早朝ということもあってか、マンションの中はとても静かだ。
共用の外廊下を、俺と萩原を先頭にして歩いた。目暮警部と白鳥、そして柳さんが続いた。更に後ろには、もっと大勢の捜査員たちの姿もあった。
俺の厚底ブーツや、皆の革靴が硬く濡れた音を立てていたが、ドアの前にやってくると息を潜めるかのように一切の物音が止んだ。
誰一人身じろぐ者はなく、雨音だけがその場に主張していた。

時計を確認すると、時刻は7時を過ぎたところだった。さっきまでずっと張り込みをしていた桐島さんによれば、伊藤はまだ家を出ていないということだから、このドアの向こうにいるのは確かだ。
出てくるのを待つか、インターホンを押すかを考え隣の目暮警部を見やった時、ちょうど同じ階の住人が部屋のドアを開けて出てくるのが目に入った。
寝間着にカーディガンを羽織ったような、ちょっと外に出ただけの格好の中年女性だ。
彼女は部屋の前を取り囲むスーツの男たちを見てぎょっとした。すぐに後方にいた捜査員たちが状況を説明して部屋に下がってくれたが、このままだと市民に迷惑をかけると思ったのでインターホンを押すべく手を上げた。
しかしその行為は果たされないまま、手を下ろすことになる。部屋の奥から物音がしたのが分かったからだ。

カチャンと施錠が開くような音がしてから、ドアが外側に押し出されて来たので、一歩下がって見ていると無防備に姿を現す伊藤譲がそこにいた。
彼の顔には最初、僅かな違和感や驚きを感じるような、小さな表情変化しかなかった。

「おはようございます、良い朝ですね」

声をかけると、改めて俺をはっきりと認識して、たちまち顔を蒼褪め、その場を後ずさったと思えばガクガクと膝を揺らして玄関のたたきに崩れ落ちた。
支えを失くしたドアが閉じないようにをおさえて、中へと一歩足を踏み入れると、酷く怯えた顔をした。
さっきも俺を見るなり譫言のように「悪夢だ」とか言っていたので、余程俺の姿がトラウマと見える。

「……あ、あ……あんた死んだはずじゃ……」
「昨日の、報道? 確かに爆発はさせましたよ───車から出た後でね」
「───っ!」

視線を合わせてしゃがみながら言うと、伊藤は呻くように喉を引きつらせる。
七年前に誤った情報に踊らされた相棒を見ていながら、自分もメディアを信じて喜んだんだろう。
というか、爆発したというニュースだけで自分の成功を過信したに違いない。
こうやって、自分にとって都合の良いことしか受け入れないから、全ての行動を見張られているのも気づけないんだ。
あの爆弾は爆発したことによって、伊藤の警察への敵対行為を確かなものとし、簡単に逮捕状が請求できた。
俺は昨日、車両に爆弾を仕掛ける様子を写した写真を何枚か突きつける。
「さあ、まずは昨日自分がしたことを思い出してもらいましょう。店に爆弾を仕掛けたと嘘の情報を流し、駆けつけた警察官が店内を調べている最中、避難して外に出た人たちに紛れて車両に爆弾と犯行声明を仕掛けたことから」
「な、なんで……こんなことが……っ」
「警察は随分前から、あなたの存在を見つけていました」
「!?」
「東都線の赤い電車に偽の爆弾をしかけていたところ、東都タワーのエレベーターと機械室、杯戸高校の倉庫、───あなたのしたことは全て把握しています」
「ち、違、違う! 違うんだ!!!! お、俺は」

堰を切ったように激しくしゃべり出した伊藤の顔を見つめる。
いったい、何を言うのか。

「こ、」
「うん?」
「子供の声が聞こえたんだ」
「こどものこえ」
「そうだよ! よ、よくあるだろ? 頭の中で声がするんだ、警察を殺せって……、だから!」
「───黙れ」

俺は、すぐ横にあった靴箱の扉に拳を叩きつけていた。ばんっと強い音がしたと同時に、伊藤はびくりと身体を縮こまらせる。
いけね、木製の扉と棚が割れちゃった。まあこいつが逃げようとして暴れたと言えばいいか、と瞬時に責任転嫁を思いつく。
拳の横に張り付いた木くずをぱらぱらと落としながら伸ばした手で、今度は伊藤の胸倉を掴んで引き寄せた。背後で焦った目暮警部が制止するような声を上げるが、俺がこのまま被疑者を殴るとでも思ったのだろうか。……昔の俺じゃないので、そんなことはしない。

俺は、怯えた顔をする男の目をじっと見つめた。
確かにこの男にとって俺は、やたらと視界にチラついては望みを阻止してきた、邪魔で不吉な人間だろう。
それがとうとう家の前にまでやって来た所なんて、相当恐ろしいはずだ。
警部たちがあえて俺を一番前においたのも、心を折るという狙いがあった。
でも結局、こいつが恐れているのは俺ではない。───自分の立場を突きつけられることだ。

「全部自分でやったことなんだよ、目を逸らすのはやめろ」
「っ!」

本当は、もっと言ってやりたいことはあった。だけどあまりにも骨がないので、言う気にもなれなかった。
ため息を吐きながら手錠を取り出し、伊藤の腕にかける。
「7時19分、伊藤譲逮捕───……さあ、立って」
俺はあえて手を貸さず、先に立ちあがって見下ろした。だけど震えている伊藤は一向に動き出さない。
現実を認めて罪を償う一歩にして欲しかったが、そんなすぐには無理だった。
仕方なく立たせようとした時、目暮警部と柳さんが俺を押し退け、伊藤の身体を家から引きずり出した。そして外廊下で待機していた伊達と高木が両側から支えるようにして、奴を連行していった。

俺はドアに寄りかかりながら、遠ざかる背中を眺めた。
なんだかなあ、と思ってる俺の鼻先ににゅっと手が現れる。
あっと思っているうちに鼻をぎゅうと摘ままれて軽く揺さぶられた。
「ヴェーッ!?!?」
「ちょ、コラ、何やってんスか!?」
珍妙な声を上げた俺を、横にいた萩原が抱え込み、俺の鼻をつまんで揺さぶる人───柳さんから距離をとらせた。
「知らないのか、萩原。ココがワンコの弱点だ」
「知らねースよ! 大丈夫? さん」
俺は頭を萩原の肩に押し付けられたまま、潰された鼻孔を広げるようにスンスンと鼻を啜る。当然萩原の匂いがいっぱいしたので、気を取り直して柳さんに向き合う。
「いつもの調子に戻ったな」
「……おかげさまで」
柳さんは得意げに笑ってから、特にそれ以上は言わず、俺たちに背を向けて去っていった。
「ったく。あんなしょうもねえヤツのことでヘコんでんじゃねえぞ」
「ああいう奴、いるんだよなー」
和田さんと小松原さんも、俺の遣る瀬無さを理解しつつも、それとなく励ますようにして俺の肩を叩いた。そして柳さん同様に去っていく。
「さっさと本庁に戻るぞ」という言葉の裏には、もうこの事件を手放してしまえという意味が含まれているみたいだった。



伊藤が連行された後、俺と萩原と家宅捜索をするために残った数名の捜査員以外、続々と引き上げていくのがマンションの上からよく見えた。
たったひとりを逮捕するのに、よくこれだけの人数を動員したものだと笑えて来る。
想定される被害の規模は大きかったから自然と凶悪事件のように思えていたが、蓋を開けてみれば本人は大した奴でもなかった。爆弾は紛れもなく”大したもの”だったけど。
俺が目の前に立った途端に情けなく腰を抜かして、碌な言い訳もできないあんな男に、どれだけの人間が、どれだけの時間振り回されただろう───。
ほんの一瞬、戻ってこないものに思いを馳せそうになったが、ポケットに入っていたスマホが震えて思考が晴れる。
まるで、俺の気を反らすかのようだと思いながら表示された名前を見ると、門馬班長の名前だった。
考えるまでもなく通話の選択をして、スマホを耳に当てる。

『───よう花森。無事に逮捕出来たんだってな』
「はんちょ~……」

どうやら目暮警部から被疑者に手錠をかけたという話を聞いて、俺に電話をしてきたらしい。
昨日からニュースにもなっていたので知っていただろうけど、目暮警部は班長から俺と萩原を預かった身として、連絡入れたのも頷ける。
俺だって後でしようと思ってたけどね。

『気の抜けた声してんなあ……ったく、お前と萩原は無茶しすぎるところがあるからよぉ、昨日から全然落ち着かねえんだよ』
「え~? すみませんした~……??」

あれ、なんか叱られてる雰囲気。
褒めるとまでは言わないが、喜んでくれるとばかり思ってた。
班長曰く、俺と萩原が乗ってる車が爆発したんじゃないか、と昨日肝が冷えたらしい。俺たちに直接電話がかかってきてないのでそこまで心配してるとは思っていなかった。
「───そういえば班長、東京は本日、朝から雨でして」
『あ?』
俺は気を反らすように、天気の話をする。
とはいえ、まったく関係のない話という訳でもなかった。
「ゴリラハンターを逮捕した日のこと覚えてますか? あの日も雨でしたね」
この時、家宅捜索の捜査員たちが荷物を運び出していく最後尾にいた萩原が、ちょうど俺のところに辿り着く。
ゴリラハンターという珍妙なワードにえっと声を漏らしていたけど、通話中だと知るとそれ以上声はかけてこない。
俺の隣に並んで話に耳を傾けるような姿勢になったので、萩原にも班長の声が聞こえるようにスマホを耳から離して、スピーカーモードにした。

『……そりゃ忘れねえよ、あんな胸クソ悪ぃ事件は』
「今日ね、あの日みたいに、被疑者から相棒を死なせた恨み言をぶつけられる覚悟でいたんです」

班長は電話の向こうで沈黙して、萩原は息を詰めたような気配で俺の手を握った。
萩原には大丈夫というように手を握り返して笑いかけ、班長には明るい声で続きを話す。

「だからあの時の班長みたいに、絶対謝らねえぞって啖呵切るつもりでいたんですよ……。実際のところは、責められる以前の問題でしたけど」
『そんなことまで覚えてんじゃねえ』
「だって班長、カッコよかったから。───俺に刑事の道を示したのはサンタのおじさんだけど、刑事になってからの道は班長に示してもらいました」
『……ああ、そうかい……』

喉の奥で笑っているのか、班長の声は揺れていた。
萩原も俺が落ち込んでるわけではないと分かって、安堵したように手の力を緩めた。



電話を終える頃になると、すっかり雨が止んでいた。
雲の切れ間からは朝日が差し込み街を照らして、なんの変哲もない晴れた日の朝をやり直そうとしているようだった。
警察関係者は全てマンションから撤収していたし、朝から騒然とさせてしまった住人たちも関心が薄れ、皆家へと戻っていた。───もう、誰もがいつも通りの一日を迎えている。
俺と萩原も本庁に戻る為にマンションを後にして、少し離れたところに停めた車を目指して歩いた。

「来年から、11月21日はただの『カキフライの日』だな」

濡れた地面の水たまりを大きく一歩で踏み越えてから、何気なく呟いた。
何の話、と萩原が首を傾げるので、まだカウントダウンがゼロになる前に、桐島さんと話した内容を教える。カキフライの日だけではなくて、あとは街コンの日とか、テレビデーとか色々あったけど。
「なるほどねぇ、それで来年からはありきたりな日ってことか」
「そうそう。しかも逮捕が今日、22日になったわけだから良いことが重なってる」
「重なってるって、何と?」
「七年前に、俺が目を覚ました日」
「───今日、だったんだ」
「あれ、言ってなかったっけ」
そういえば、カウントダウンに気づいたきっかけがこの、命日と一日違いの目覚めた日だということは、言ってなかったのかもしれない。わざわざ言うことでもないしな。

「この事件のせいで自分は死にかけて、被疑者に死なれて、共犯者にずっと恨まれて、逮捕するのに七年もかかった」

これまでの道のりをあえて辛かった風に言うなら、こうなんだろうな。
そう思って口にすると、萩原はどこか沈痛な顔で頷いた。

「でも萩原に出逢えた」
「え」
「今はもう、それ以外は俺の手の中には残ってないんだ」

雨が全てを洗い流して、やり直すように迎えた朝に、誰もが違和感なく普通の一日を迎えるというなら。
俺と萩原にだけは意味のある新しい一日を迎えてもいいんじゃないか。
そう思って、手を伸ばして萩原に触れた。
「愛してるよ、萩原」
溢れる思いを伝えて、一歩近づく。
一瞬動きを止めた萩原だったけど、すぐに俺を抱きすくめた。
「俺も。───俺も愛してるよ、さん」
耳元でくぐもった声がして、肌に吐息がかかる。
愛してると言い合うのは二度目だけど、あの時よりもずっと、重みが違う。
誰に見せつけるわけでも、比べるものでもなく、まっすぐ相手に伝える為に言った。
通じ合えた喜びに、隙間ができないほど強く抱き合って、互いを求める。一方で顔も見たいと思って身じろぎすると、同じことを考えたのか萩原の腕が緩んだ。

目が合うと、自然と顔が近づいてきて額がぶつかった。
輪郭に指先で触れ、視線を絡めながら、お互いの動きに合わせるようにして鼻先を摺り寄せた。吐息が交じり合い、うっとりと目を細めながら唇を重ねようとしたその時───、

認識の外にいたはずの音が、急に俺たちの甘い空気を引き裂いた。
背後を、ぶおんっとバイクが通り過ぎて行く。俺と萩原はその勢いに釣られて、音のする方を目で追った。
少し行った先で、バイクが旋回して止まっているのが見える。二人乗りをしていて、両方が同時にヘルメットのカバーを上げてこちらに手を大きく振った。

「研二~! ~」
「探したぞー!」

今日は休暇のはずの千速と、休暇じゃなくて待機しているはずの松田がそこにいた。
多分逮捕したという情報を聞いて俺たちを待っていたのに、なかなか帰ってこないからって被疑者のマンションを調べて会いに来ちゃったんだろう。
すっかりハイテンションの二人は、俺たちが良い雰囲気だったことなどお構いなしだ。そんな笑顔を無碍にするなんて俺達にはとてもできず、ゆっくりと二人の方へ向かって歩き出す。
その時見上げた空には、全てを祝福するような、大きな虹がかかっていた。



今後11月21日はただのカキフライの日で、22日は良い夫婦の日と、生還した日と、犯人逮捕の日、あと恋人になった日♡って記念日をブチ合わせに行く二人。
イメージソングはLove so sweetです。
Sep. 2026