sakura-zensen
春を追う
48話
(萩原視点)
朝───気怠い目覚めを迎えた俺は、誰かに後ろから抱きこまれている状況に、一瞬驚く。首の下と胴体に腕が巻き付いているところをゆっくり身じろぎして、振り返った。
至近距離には、さんの寝顔があり、ぼんやり見つめてるうちに寝る前に言われたことを思い出す。
───「イイコで待ってな」
晴れて爆弾犯を逮捕して、さんと思いが通じた良い日の最後は、酒で潰されて終わったんだった。……チクショウ。
せめて、シャワーを浴びに行ったさんを起きて待ってるつもりだったのに。
「……ん……、」
俺が寝返りを打ったから眠りが浅くなってたらしいさんが、うっすらと目を開いた。微かな瞬きの奥で俺を見ようとしているのがわかる。
はっきりとは覚醒してない状態、肘を曲げて俺の頭を撫でながら、腕を軽く開いた。
「おいで……」
掠れた声に呼ばれたので、俺は喜んで犬になる。さんに頭を摺り寄せて、自分の腕でもさんを捕まえた。
さんも頬擦りしながら、身体をくねらせて、深く息を吐く。
恋人感満載の距離感や雰囲気に、体温がじわじわ上がっていくのを感じた。
「体調は?」
「ちょっち怠いかなー」
「水分が足りてない……ペットボトル……」
さんは俺の症状を聞くと、身体をのけぞらせた。さっきまで俺の背中に回ってた腕が離れ、ベッドサイドに向かって伸びてる。夜に置いておいたはずの、水分を取ろうとしてるのがわかった。
俺はそんなさんの身体に圧しかかるように抱き着き、動きを阻む。
「水分よりさんが足りない」
「ふ、へへ……」
笑ったさんの身体が軽く跳ねる。その後かき混ぜるように、少し乱暴に頭を撫でられた。カワイイ、カワイイって奴だろう。
されるがままになりながら、次第にその手つきが静かになっていくのを感じて、様子を窺う。甘い雰囲気に引き寄せられたかと期待したけど、さんは再び眠りついていた。
まだ夜が明けたばかりだから、俺を放り出して眠るのも無理はない。昨晩は俺が先に寝ちまったわけだし、さんの安息を乱そうとまでは思わなかった。
横からさんの首筋に擦り寄るようにして、もう一度目を瞑った。
思えば同じベッドに眠ったのだって初めてなんだし、そう焦ることもない。
あと、手が早い余裕のない男だって思われたくないし。さんはスキンシップに寛大だから、いずれまた、そう言う雰囲気にもなるはずだ。
キスだってそれ以上のことだって、さんとするなら全部大切に丁寧にしたいから、じっくり時間をかけて、最高のタイミングで───なんて、この時の俺は考えていたけど、翌朝からは普通に仕事仕事の日々が続いた。
俺たちは相棒だから仕事してるときはほとんど一緒にいるが、それはそうとして白鳥の補佐的な立ち位置になるもんだから、二人して一緒に休むって言う日がない。
必ずどちらか、ないし二人が白鳥と行動できるようにするのが基本だった。
「~~~なあ、たまには休みを合わせてくれたりしねえ!?」
「うるさいな、手を動かしてくれ」
ある日の夜22時、捜査一課のデスクで俺は白鳥に文句を言った。
さんは先に帰宅して、俺は何故かコイツに残れと言われて書類仕事をしている。本当ならさんも手伝うと言ってくれたんだけど、白鳥はさんだけを帰しちまった。……一緒に帰れなくされたことで、休みをとれない不満が増したってわけだ。
「だいたいよぉ、白鳥ちゃん。今日は何で俺だけ残したのよ」
「花森さんは明日非番だけど、君は違うだろう。この書類は最悪明日までかかるんだから、君に任せた方が効率が良い。それとも花森さんに日付超えてまで残れと言うべきだったかな?」
「白鳥警部って、とーっても優しい♡」
フン、と皮肉っぽく笑った白鳥を見て思う。
やっぱコイツもさんに甘いっつーか、……やっぱ懐いてるよな。さんはさんで態度が弟に似てるとかいって、可愛がってるみたいだし。
「実は、もう一つ優しさ見せてあげてもいいと考えているんだよ、萩原くん」
「へ~え、何がお望みよ?」
「話が早くて助かりますよ。───実はね……」
俺は続く白鳥の言葉に、もはや考える間もなく二つ返事で頷いた。
今日この書類を終わらせられたら、明日は休みを取ってもいいという。もひとつ条件もあったけど、それはもう全然オッケー。
俺はただひたすらに書類を終わらせるために、本気だしてパソコンと向き合った。
「というわけで、休みもぎ取ってきたよ♡」
「えぇ……?」
翌朝、警視庁で仮眠をとった足でそのままさんの部屋を訪ねると、緩い部屋着姿のさんが寝ぼけ眼で首を傾げた。
「さん、もしかして今起きた?」
「もう少し前に起きてはいたよ、外出たり人と会う予定がなかったから何もしてなかっただけ。……何で休みとれたか知らないけど、どこか行く?」
「んー、それもいいけど、今日は家でゆーっくりしよ」
俺はさんの肩を掴んで、くるんと部屋の中に方向転換させる。
その拍子に手首に通してた紙袋がかさりと音を立て、さんがすんっと鼻を鳴らした。
「チョコレートの匂いがするぅ」
「さすがさんの鼻は誤魔化せないねぇ。遅れたけど、ハッピーバレンタイン」
「え……あ~、そうか、そうか」
さんは一瞬驚いたけど、何度も頷く。
バレンタインはすでに先週終わってるし、なんなら当日はバレンタイン絡みの殺人事件に見舞われ、チョコと血の混じった匂いに辟易していたさんだった。
何なら俺もしばらくチョコレートの匂いを嗅ぎたくないと思ってたくらいなんで、日付を置いてバレンタインのやり直しをしたってわけだ。
リビングにいくと、ギターがむき出しに置いてあるのと、楽譜がテーブルに広げてあるのが目についた。
俺の視線を辿ったさんは苦笑いを零す。
「昨日、夜遅くまで楽譜読んでて……」
「ああ、じゃあ今日は楽器の練習するんだった? 俺聴きたーい」
「それ楽しいの?」
さんはちょっと困惑気味に頭を掻いた。
嫌だというよりは、俺のことを気にかけてくれてんのがわかる。
「楽しいに決まってんじゃん。は~い、ここ座って」
「こ、ここ~……?」
ソファに座って片方膝を立てて脚を開くと、さんは一瞬ためらった後、ギターを掴んで俺の脚の間に座った。
斜め背後からゆるく抱きしめるようにして、手の中を覗き込む。
「なるほど、あったかいかも」
「もっと寄りかかってもいいよ」
俺の体温がお気に召したみたいで、さんは少し寄りかかるようにして力を抜いた。
そのままさんは器用に弦を押さえて、音を鳴らし始める。それが徐々に知ってる旋律になるのは純粋に感心するし、楽しくもあった。
ただ練習を見てるなんて退屈じゃないかと心配していたけど、さんが音を楽しんでる姿は、見るのも聴くのも心地良い。柔らかいギターの音色も、時折零れてくる優しい歌声も、幸福で愛おしい大切な時間として俺の胸を温もりで浸した。
多分、世界で一番安全な場所ってここなんだろうな───……。
「ちょっと休憩。チョコレートもらって良い?」
うとうとしかけていた俺の耳にさんの声が入って意識が覚醒する。
いつの間にかギターが鳴りやんでて、腕の中からさんが抜け出していった。
瞬間的に肌寒さを感じるが、テーブルの上に置いてあったチョコレートを手にすると、さんはすぐに俺の元に戻って来る。ギターはソファの脇に立てかけて置かれていた。
「オッ、これ有名な店のじゃん。前にオニコが言ってたよ~」
「前にさん、ビターチョコが好きって言ってたから」
「うん、すき───うま」
封を切って早速一つ食べると素直な感想が飛び出してきて、俺も嬉しくなった。
さんはその後、チョコの形状を見ながら、どんな味なのかパッケージを確認して、食べる順番を吟味していた。
「そういやさ、さんが前に言ってた、刑事になったきっかけとかいうサンタのおじさんって何?」
俺は、ふと思い立って聞いてみた。
この前、門馬警部に電話で話してた「刑事の道を示したのはサンタのおじさんだけど、刑事になってからの道は班長に示してもらった」というのが気になっていた。
そもそもゴリラハンターっていう珍妙な名前の誰かも気になってたけど、それに関しては『兎』で潰される前に柳さんと和田さんから聞いてる。───完全に逆恨みの、クソみたいな事件だった。伊藤の件も中々だが、班長もご愁傷様だ。
さんが謝らないと啖呵きる腹積もりでいたことも頷ける。
んで、その時の班長に感銘を受けたことまではわかったんだが、その前に刑事になる道を示したであろうサンタのおじさんについて、元6班の先輩たちは誰も知らないらしい。
正確に言えば、存在を耳にしたことはあったが、深く聞く気が起きなかったんだとか。
「サンタのおじさん? ああ、それは───」
さんは俺に聞かれて、なんてことないように話し始めた。
───中学三年生の時、さんはコンビニで強盗して逃げた男を目撃した。その数日後、別のコンビニにいた所を嗅覚によって犯人に気づいたが、誰も信じてくれなかったそうだ。
当時はまだ上手く立ち回れなかったとかで、周りから奇妙な目で見られた時に唯一さんの嗅覚を信じてくれたオッサンがいた。そのオッサンの名前が『松国三太郎』で、出会ったのがクリスマスだったからあだ名がサンタのおじさんになったらしい。
良い話ではあるんだろうけど、それだけじゃ刑事になるには薄い気がした俺は聞き返す。
「でもなんでそっから刑事に?」
「その人、当時警察庁刑事局長だったんだよ。俺が刑事になった頃には警察庁長官だったし、今は退任して自動車連盟の会長やってる」
「えぇっ!?」
すらすら出てくる階級に俺は一瞬動揺した。普通のオッサンを想像してたけど、思ってた以上の大物が出てきた。
「───サンタのおじさんが言いました」
さんはふいに、俺を振り返る。
そして俺の鼻をちょん、と突いて笑った。
「その鼻は役に立つから、刑事になりなさい、ってね」
まるで赤鼻のトナカイの歌みたいな出来事だと思う。それじゃあサンタのおじさんと言いたくなるのもわかる。
俺より先にさんに出逢って、道しるべになった色んな人達がいるから、俺とさんは今こうしていられるんだなって感動が打ち寄せてきた。
だけどやっぱり俺が最も尊敬して、愛してやまないのは、さん自身だと再確認する。
「さんはさ、……多分、幸運の匂いってヤツを嗅ぎ取れるんじゃねえかな」
「なんだそれ」
「これまで影響を受けた人達ってのは、結局さんが選んだってことだろ」
そうかな、と首を傾げたさんは膝の上に置いてたチョコレートを何気なく見下ろす。
指先が微かに迷ったあと、小さな粒を手に取って掲げた。
「俺の一番の幸運は、自分から走ってきてくれたけどな」
え、と思っていると俺の唇にチョコレートが押し付けられる。
思わず口に含むと、体温で溶けたチョコレートが舌に触れて、濃厚な風味が痺れるように広がった。
「三年前、萩原がこの道を選んでくれなければ"今"はない。だろ?」
「俺がさんにとって幸運?」
言われた言葉は嬉しいのに、実感がわかなくて口にした。
「そりゃそうでしょ、好きな人に出逢えて、恋人になれた。これ以上の幸運はないと俺は思うんだけど」
「───、」
「萩原にとっては、そうじゃない?」
さんの言葉に、ごくりと喉が嚥下する。
いつの間にかチョコレートは跡形もなく消えていて、ただ温い甘みだけが残っている。一度食うともっと食いたくなるような欲が、俺の胸を焦がした。
「俺も、さんに出逢えたことが人生で一番幸せ……」
言いながら、求めるようにゆっくりさんの顎を掬いあげた。微笑むように目を細めて、無防備に力を抜いて待っている。
両手で優しく顔を包み込んで支えて、チョコレートよりもずっと甘い唇を食らおうと近づいた。
突如───部屋中にけたたましいバイブレーションの音が鳴り響く。
ビクッと身体を跳ねさせたさんが、テーブルを振り返った。そこにおかれたスマホが、着信を強く主張するように暴れ回っていた。
さんは滑り込むようにスマホを掴んで、床に転がりながら電話に出る。
緊急呼び出しだと思うが、口から飛び出してきたのは中々に物騒なワードで、
───「え、バスジャック、ですか?」
高佐の愛深まるイベント奪いがちなので、お詫びにキスしようとするとすれ違ったり、邪魔が入る呪いも謹んでお受けしておりま~す。
コミックスの順番的に、バスジャックはお見合いや爆弾事件より前に収録されてるんですが、赤井さんが口にしてた日付が2月後半だったのでこのタイミングにしました。
でも11月にくっついたのに2月までちゅーも出来てないというのは現実的な時間では考えない方向で。世界観世界観。
Sep. 2026